第10話 被告人ナタリー

 小さな机と椅子が二脚しか入らないような狭い面会室で、まりあたちは被告人と面会することを許された。部屋の外には武器を持った見張りが立っている。

 被告人は若い女で、ぐったりと憔悴していた。


 あらかじめ聞かされた話によれば、意中の男性に惚れ薬を盛り、望まぬ性的な行動を強制した痴漢行為によって被害者を辱めたという容疑で捕まったらしい。

 被告人も被害者も、その容疑を否認している。

 被告人ナタリーは、自分は薬を売りはしたが盛ってはいない。被害者は、「彼女は悪くない」と言っているそうだ。


 しかし、被害者が否定すればするほど、恋の魔法で目が曇っている、魔術で操られて言わされていると、疑いが色濃くなっていく。

 魔女の薬は恐ろしいほどに強力で、被害者は自我を奪われた、ということになっている。


 そもそも、惚れ薬なんて本当にあるのか? というところからして、まりあにとっては疑問なのだが、魔女の薬はなんでもできる、というのがこっちでは常識らしい。

 魔女がトカゲやカエルやコウモリを煮込んで作る薬は、飲めば空を飛んだり体が透明になったり透視ができるようになったりするそうだ。


 いやいや、ないでしょ。


 と思うが、悪魔の力を借りればそれくらいはちょろいとかどうとか。

 見たところ、彼女は悪い人には見えない。普通の女の人だ。

 小柄で青白い顔で、痩せている。髪の毛は伸び放題のもさもさ頭だけど、くるくるした毛質のおかげで奇跡的に目にはかかっていない。おしゃれに気を使っているようには見えないけれど、衣服だけは個性的だ。チュニックはわざと太い糸で荒くランダムに縫われ、スカートにはぱっと見に自分でやったのだとわかる絞り染めが施されている。


「こんにちは。僕はリリス。こっちは助手のまりあ。あなたの弁護を務める。必ず助けるから安心して」

「どうも」


 愛想のない目は虚空を見つめ、こちらには全く何の関心も払っていない。


「ナタリーさんだね? 早速だけど、事件の概要を聞かせて欲しい」

「うん……」


 それきりナタリーは、一言も発さない。

 リリスとまりあは彼が話始めるのを待ったが、無言の時間が続く。


「話したくないような酷いことがあった? でも、こちらとしても法廷で話す内容ははっきりさせたい。あなたの命を助けるためにも、包み隠さず話してほしい」

「うん」


 そして、また長い沈黙の時間が続く。

「あなたは自分の薬屋で植物を栽培しており、その草木を採取して薬を作っている。今回の事件、被害者側はあなたに惚れ薬を盛られた、と訴えているが、実際の所はどうなの?」

 ナタリーはめんどくさそうにため息をついた。

「あなたの無実を証明するためだ。協力して欲しい」

 ナタリーは、やれやれと目を細めた。

「どうせ、ボクがやったって言うまで裁判を続ける気なんだろう。こんな茶番には付き合っていられない。やってない、と言ったところで、水掛け論にしかならないんだから」

 すると、さっきまでのそっけなくて適当な態度からは一変、ナタリーはマシンガンのようにまくし立て始める。


「裁判だなんて、人間というのはどうしてこんな無駄なことをするんだろう。それに比べて植物は素晴らしい。ただその場にいるだけで空気をきれいにし、場を明るくする。それに引き換え人間は愚かだよ。いや、人間がというよりは動物全体か。動物の生殖行為には無駄が多すぎるんだ。はあ、どうしてボクはあんな仕事を引き受けてしまったんだろう。惚れた腫れたに関わるべきじゃなかったな。ボクもまた愚かな人間の一人でしかないというわけだね。天国で暮らすことを許された人々というのは、穏やかな心を持ち常に静かに微笑んでいるような人格だとよく言うがね、それが本当だとしたら、全ての人間は草花を至高の目指すべき存在と定めておくべきなんだよ。そう思わないか? 執着! 歩行と思考を始めたばかりに人間が手に入れた馬鹿な感情! それがあらゆる争いを引き起こす! どいつもこいつも人間という奴は争ってばかりだ。みんな地獄に落ちてしまえ!」


 しびれを切らしたリリスは席を立った。

「信用してもらえないかもしれないが、僕は本気であなたの無罪を勝ち取ろうとしている。あなたが話してくれないのなら、自分の足で全部調べなければならない。時間が惜しいから、これで失礼させてもらう。あなたの店に立ち入らせてもらうけど、かまわない?」

「好きにしてくれ。ついでにボクの店の植物に水をやっておいてくれないか。本当なら毎日水やりをしなければいけないのに、ここに閉じ込められているせいでなにもできていないんだ。余分な葉を切ったり肥料をやったりも、可能ならお願いしたいけど、素人にそこまでやらせるわけにもいかないし」

「時間が惜しいと言っているだろう。無罪を勝ち取れたら、自分でやってくれ」


 席を立とうとするリリスを、まりあは慌てて引き留めた。


「ちょっと待ってよ。この人まだ喋ってるでしょ?」

「この長話に付き合っていられないよ」

 困り顔のリリスを見て、まりあは、はて、と首を傾げた。


「こんなに大事な話をしてるのに?」


「彼女にとっては大事かもしれないけど、事件には関係なさそうじゃないか」

 まりあには、ますますわからない。

「なんで? 薬屋で惚れ薬を買っていったお客さんがまずい使い方をしちゃった、って話なんだから、薬を処方したお客さんが誰だったのかくらいは聞かないとでしょ?」

 え、とリリスは目を見開いた。

「……そんなこと言ってた?」

 当たり前だ、という顔でまりあは答える。

「うん。私たちが調べるのは、惚れ薬はどういうルートで誰の手に渡ったのか、ってこと……じゃないかな。お客さんの中の誰かが、被害者に薬を盛ったんだと思う」

 今度はリリスが、はて、と首を傾げた。

「なんでわかるの?」






 まりあの育成環境は、お世辞にもいいとは言えなかった。

 怖い顔で信じがたい教義を語る大人たち。

 苦しみを吐露する信者たち。

 歪んだ価値観で外の世界を見ている両親との日常会話。

 そんなものに囲まれ続けたまりあは、必然的に究極の聞き上手に育ってしまった。

 しばらく話を聞けば、まりあにはだいたいのことがわかる。


 その人には、世界がどんな風に見えているのか。


 どんな感情で、どんな意図で、その言葉を選んで語っているのか。


 その話をすることで、相手にどう思ってほしいのか。または、自分がどう思い込みたいのか。


 地雷原の真ん中で育ったまりあが地雷を踏まずに暮らすためには、こういった傾聴する力が、どうしても必要だった。


「植物、好きなんだね」

「うん」

 まりあが聞くと、ナタリーはうなずく。

「その服、自分で作ったの?」

「うん。綿を育てて、染料も木の実から作って、全部自分で」

「すごい!」

 ナタリーは嬉しそうにはにかんだ。

「事件に関してもう少し教えてくれない? せっかく作った薬なのに、お客さんがよくない使い方しちゃったから、怒ってるんでしょう?」

「うん」

 ナタリーはまた頷いた。

「惚れ薬ってどうやって作るの?」

 ナタリーはすらすらと答えた。

「発酵させた豆、オクラ、それから舶来のマカという薬草の根。これらを混ぜる。粉にも丸薬にもできるけど、あの日は丸薬のほうを売った。店にレシピ帳があるから見ていいよ。とてもよく効くんだ。だから使い方には気をつけろと言ったのに」

「それは、薬を飲んじゃったっていうリッキーって人の話?」

「人の顔なんていちいち覚えてないよ」

「誰に惚れ薬を売ったのか、教えてくれない? 盛ったのがあなたじゃないなら、買っていった誰かが何か知ってるかも」

「わからないよ。覚えてないんだ」

「じゃあ、何人くらいが買っていったかはわかる?」

「うん。惚れ薬を買ったのは三人だ」

「どこかに記録があったりしない?」

「薬には飲み合わせ次第で本来の意図とは違う効き方をしてしまうものもある。種類によっては危険だから、注意を払ってるよ」

「やった、あるんだね。手がかりになるかも。どこにあるの?」

「記録は二種類。店側の記録と、客側の記録。全部の客に手帳を渡して、どの薬を買っていったのかその都度記入してる。手帳を出さない客には売らない」

「なるほどね。じゃあ、その手帳に「惚れ薬」って書きこんだ相手が三人いるってことか。そっちを探すのは難しそうだけど、お店側の記録は見せてもらってもいい?」

「いいよ」

「ありがとう。それじゃあ、見に行かせてもらうね。他に、なにか言っておきたいことはある?」

 おずおずと、ナタリーはまりあの様子を伺い始めた。


「……。ごめんね。ボクと話すの、大変だと思う」


 まりあは笑って答えた。

「そんなことないよ。これくらい普通だし」




 面会が終わって、看守がナタリーを独房へ連れ戻す。

 鉄格子のはまった檻の奥で、ナタリーはふーっと息を吐いた。


 人のいる空間は苦手だ。

 人と話すのは苦手だ。


 特に、二人以上を同時に相手にすると、どっと疲れてしまう。

 あの子。まりあさん。いい子だったな。

 どうせもうだめだから、早く殺してもらえればいい、くらいに思っていたのに。


 ちゃんと聞いてくれた。


 今の気持ちのままで眠りについて、二度と目が覚めなければいいのに。

 だって、もう一度会ったら、自分はあの子に酷いことをしてしまう。


 あの子に嫌われてしまう。


 今まで関わりあった全ての人がそうであったように。

 願わくば、この面会を最後に彼女との縁が切れますように。

 とっくの昔に、人の中で生きていくのは諦めた。

 誰も、自分の言い分など聞かないから。信用しないから。そんなことあるはずないって鼻で笑うから。

 ボクがどんな人間なのか知ったら、あの子もボクを嫌うだろう。


「嫌だなあ……」


 檻の奥で、ナタリーは小さく呟いた。

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