惚れ薬にご用心

第8話 新しい日常

 ひどい怪我だし、よくなるまでは休養してて、との上司命令により、まりあはリリスの事務所兼住居で一週間ほど療養していた。

 事務所兼住居は年季の入った一軒家だ。

 レンガの壁には苔が生え、庭は正体がわからない植物でにぎわい、日陰においてある丸太でキノコを栽培している。このキノコは笠が丸く、頂点に黒い点がついているので、どう見ても目玉にしか見えない。ギョロリタケというらしい。


 言っちゃなんだが魔女の家みたいだ。


 しばらく過ごして分かったことだが、ここはもと居た場所とはだいぶ勝手が違う。

 水道はなくて井戸から水を汲んでいるし、ガスもないから薪に火打石で火種を入れて風を送っている。電気もないから明かりと言えば蝋燭が主流だ。

 街並みは、たぶん、西洋に近い。

 レンガを敷いた通りに沿って立ち並ぶ家々は、塗料を塗られた木造が主で、テレビで見る観光地のようだ。「ここでは古い街並みがまだ残っているんです、きれいですねー」なんて紹介されていそう。


「ごはんよー」


 居間のほうから声が聞こえて、部屋のドアを開ける。

 部屋から出ると、朝食のいい匂いがした。


「おはようまりあちゃん」


 そう言ってにこやかにまりあを出迎えたのは、この家の大家であるバーバラだ。

 大人の女性の理想形のような人だ。黒いドレスをかっこよく着こなし、豊かな金髪をおしゃれにまとめ上げ、上品なしぐさと言葉遣いは、女のまりあの目から見ても色っぽい。


 リリスはこの家に間借りしている下宿人らしい。

 年代も近いし一つ屋根の下に暮らしているというから、もしかして恋人とか、夫婦とか、そういう関係なのかと一瞬思ったが、そんなことはないようだ。


 テーブルの上を見て、まりあは一瞬たじろいだ。

 今日の朝食は、トーストとスープとハンバーグとかぼちゃの炒め物だ。


 多い。トーストだけでいい。


 まりあは心の中で思ったが、口には出さない。

 この一週間でそろそろ慣れてきたが、やっぱりたじろいでしまう。

 量もさることながら、バーバラはよほど料理が好きなようで、インスタにあげるわけでもないのに見た目にもかなりこだわっている。独創的なものばかりだ。


 トーストはほうれん草を練りこんでいるため、深い緑色だ。分厚く切ったパンにバターを塗ると湿り気を帯びて、森からとってきたばかりの苔のように見える。

 スープはたっぷりの具材を煮込んだ野菜スープだ。人参とトマトをメインにした赤いスープに、たくさんのギョロリタケが浮かんでいる。血だまりに目玉が浮かんでいるみたいでちょっとグロい。

 ハンバーグは食べやすい小さめサイズで、細長い形をしている。そして、アクセントにスライスしたアーモンドを乗せているのだが、これが鋭い爪のような形をしているせいで、細長い形のハンバーグの肉部分も人の指のように見えてくる。

 切って炒めただけのかぼちゃを見て、謎の安心感を覚えた。

 テーマパークのハロウィンメニューのような食事は、見た目で躊躇するものも中にはあるが、どれもおいしい。


 食べきれないほど出されるが、いらないとは言いづらい。歓迎してもらえるのは嬉しいし。

 こっちではこれが普通なのかもしれない。郷に入っては郷に従えと言う。

 いや、でもさすがに多すぎる。

 あんまり遠慮なく食べ過ぎたら、来たばかりのよそ者のくせに図々しいと思われたりしない?


 と、来たばかりの頃は、相反するたくさんの考えに振り回されてしまったが、すぐになんの他意もないとわかった。

 彼女はただ純粋に、人にご飯を食べさせるのが好きらしい。

 バーバラはニコニコしながらお茶を淹れている。


「いっぱい食べてね。神の教えの中には信じがたいようなこともあるけど、「与える者は幸福である」っていうのだけは本当だと思うわぁ」


 これだから、多すぎても断り切れない。

「い、いただきまーす!」

 よーし、今日もたくさん食べるぞー、と思って手を合わせた時、あくびをしながらリリスがやってきた。


「おはよう、今日もすごい量だね。僕は……、トーストだけでいいかな」

「だめよ。「人はパンのみにて生きていくにあらず」ってよく言うでしょ? お肉も野菜もバランスよく食べないと」

「聖書の解釈は人それぞれだけど、それはそういう意味じゃないと思うな」

 リリスのやんわりした抗議に、バーバラはあきれ顔で笑った。

「そんなにパンが好きだなんて知らなかったわ」

 そしてリリスの前に皿を置く。

 そこには、国語辞典くらいの分厚さに切られたトーストが、五枚も六枚もどーんと重ねられている。

「おっと、こうきたか。うまく伝えるって難しいね」

 苦笑いを浮かべたリリスは、やれやれと諦めた。


 軽く両手を組み合わせて食膳の祈りを済ませると、リリスはせっせとトーストを詰め込み始める。

 一枚目を飲み込むとリリスは口を開いた。


「次の事件が舞い込んできた。体調に問題がないようならまりあにも手伝ってもらおうと思うんだけど、いけそう?」

「うん。いける」


 初仕事だ。


 まりあは少しの不安を抱えながら、血だまりスープを一気に飲み干した。野菜のうまみがよくしみ出していて、とてもおいしい。

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