断章 蛇が見せる夢

第7話 蛇の夢

 家にパトカーが詰めかけている。

 警察官が、まりあの家から手錠をかけた人々を連れ出している。どれも見知った顔。教団の信者たちだ。

 慌ただしい捜査の手がまりあの家をひっくり返す。

 押入れを開けた捜査官が冷や汗をかいて息を飲んだ。

 収納されていたのは大量の瓶。すべてに、人毛の束が収められている。

 取り調べを受けている信者の一人が言う。


「これは神の加護が宿った、いわばお守りのようなものです。聖人の肉体には聖なる力が宿るので、まりあ様の御髪を一束いただくと、そのお力を分けてもらうことができるのです」


 一瓶一万円で売られていた髪の毛は、霊感商法の証拠として押収された。

 取り調べを受けている父は言う。


「なぜ娘が蘇らなかったのかわからない」


 話にならない、といううんざりした顔で、刑事はため息をついた。

 取り調べを受けている母は言う。


「これでようやく解放された」


 カルトに傾倒した夫に逆らえなかったのだという旨を供述し始めた母の話を、刑事はメモを取りながら聞いている。

 テレビのワイドショーは、この事件を面白おかしく取り扱う。


 狂気のカルト宗教。

 祀り上げられた女子高生。

 現代によみがえった黒魔術。

 こうなる前になにかできなかったのでしょうか。


 無機質な蛍光灯に照らされた解剖室で、焼死体が手術台に乗せられている。


 まりあだ。


 見る影もないほど無残に焼けた上、かろうじて残った肉や脂肪はどろりと腐っている。死んでから長いこと放置されていたことがうかがえる。

 検死官が両手を合わせて、遺体を調べ始めた。

「なにこれ」

 目の前の光景に吐き気を催しながらまりあが呟くと、首に巻き付いている蛇が答えた。

「あっちの様子。知りたいんじゃないかと思って」

 鱗の感触が、首の皮膚の薄いところをはいずっている。


「君は復活しなかった。信者たちは奇跡の来訪を信じて待ったが、遺体は腐り始め異臭がすると通報され……、向こうのことは、向こうの法律が片を付けることになりそうだ」

「もういい」

「君が望むのなら、君を両親の夢に登場させるくらいのことはできるよ? 恨み言の一つや二つ言いたいだろう?」

「もういいってば」

「そう。それなら無理にとは言わないけど」


 蛇が軽く尻尾で薙ぎ払うと、まりあが死んだ後の光景は霞が晴れるように消え、代わりに最初に蛇と出会ったのどかな丘が現れた。

 柔らかな風が頬を撫で、髪を揺らす。

「あっちの話はもういいというのなら、こっちの話を始めよう」

 蛇はまりあの首からリンゴの木の枝へと体を伸ばし、移っていく。

「生還おめでとう。無事に裁判が終わってなによりだ」

 蛇は木の上で枝に巻き付いて、まりあを見下ろした。

「えらい目に遭ったんだけど。なにあれ」

 蛇はちろりと真っ赤な舌を出した。

「あれが魔女裁判だよ」

「だから、魔女裁判ってなに? って聞いてるの」

「魔法を使って悪いことをする犯罪者を追い詰め、裁くための裁判だ」

「魔法なんてあるの?」

「あるんだよ。こちらの世界ではね。まあ、ありふれているわけではなく一部の者が使うのみだから、日常的に見ることにはならないけれど」

「なんであんなに拷問されなきゃいけなかったわけ?」

「魔女は、姿を隠し、正体を隠し、闇に紛れて悪事を働く。それを探し出すために人々が作り出したのが魔女裁判と、荊の檻だよ」

 もったいぶった言い方に、だんだん歯がゆくなってくる。


「あれは、怪しい者を殺すための装置。無罪有罪は関係ない。殺してしまえばみんな魔女だ。死人に口なし。判決に文句を言う者もいない。体験したならわかると思うけど、適切な弁護がなければ被告人が選べるのは、拷問の末の死か自白をもっての処刑のみ。拷問を終わらせてもらうためには、事実であれ虚偽であれ「自分が魔女だ」と言うより他にはない」


「うっわ。どうなのそれ」

「僕もどうかと思う。だから、君に止めて欲しいんだ。不可解なことは悪魔の仕業。怪しい奴は魔女だから殺せ。疑わしきは罰せよ。君が迷い込んだ世界は、そういうルールで回っている」

 なんだか、思ったよりもスケールの大きい話に巻き込まれてしまったのかもしれない。世界のルールを敵に回さないといけないだなんて思わなかった。

「あっちとか、こっちとか、よくわかんないんだけど。私が暮らすことになったあそこは、なんなの?」

 まりあが聞くと、蛇は言葉を選ぶように少し黙ってから、ゆっくりと語る。


「異世界、とでも言おうか」

「異世界?」

「竜宮城や妖精の国、ティルナノーグや、蓬莱島や、地底世界みたいな、世界のどこかにある不思議な国に迷い込む、っておとぎ話、たくさんあるだろう?」


 蛇の無感情な目からは、なにも読み取れない。


「ここを見て」


 蛇が尻尾で指した先には、透き通った水をたたえた泉がある。

 ぽつり、と雨が降ってきた。

 パラパラと落ちてくる雨粒が、頭上の葉を叩く音が小気味よい。

 足元から、ぬれた土の匂いが立ち上って来る。


 雨粒は、池の水面に無数の波紋を作る。


 雫が落ちた場所から同心円状に、いくつもいくつも、ぽつぽつと波紋が現れては消えていく。


「それが世界だ」


 雨音の中でもかき消されることなく、はっきりした声で蛇は言った。

「その波紋のように、いくつもの世界がこの世にはある。君が生まれて今まで暮らしてきたのは、その中の一つ」

 少しずつ、雨は弱くなっていく。この分なら、木陰でやり過ごしていれば濡れずに済みそうだ。

 蛇は語る。


「たまに。本当にごくごく稀に。隣り合い、重なり合った世界に道が通じることがある。君は、その道を通って別世界へ迷い込んだというわけさ」


 どこか含みのある声色で、蛇は笑った。


「ようこそ、追放者たちの国へ」


 だんだんと視界がかすんでくる。

 いいや、明るくなっているんだ。

 目が覚めると、朝だった。

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