第5話 弁護人リリスの主張

 入ってきたのは、幽鬼のような優男だ。


 目立つなりをしている。

 都会の雑踏にいたって、この人とはぐれることはないだろう。

 全てが異質だ。全て他の人間とは違う。


 真っ白な人だ。肩まで垂れた髪の毛も、血の気の薄い皮膚も。聖職者の黒い衣をまとっているせいで、余計に白さが際立っている。

 その人の両手は、囚人のように拘束されている。まりあを捕えている檻の荊と同じ、鋼鉄のように硬い蔓が手錠のように彼の両手に巻き付いている。


 まりあは、その人の目を見てハッとなった。

 その赤い瞳孔が、爬虫類のように縦長の形をしていたから。


 白い体に、赤い目。蛇を彷彿とさせる瞳孔。

 夢に出てきた蛇に似ている。

 柔和に笑った彼の笑顔を見て、まりあは直感した。この人は味方だ。


「こんにちは。僕はリリス。魔女のための弁護人。君を助けに来た」


 リリスは裁判官のほうへ向き直ると、強く断言した。

「処刑は待っておくれ。なぜなら彼女は、放火なんてしていないからだ」

 苦虫をかみつぶしたような顔で、裁判官シャルルはそれに応じる。


「魔女をかばってどうするつもりだ。裁きによって穢れた魂は清められ、天の国へ向かうのを赦される」

「そう慌てないで。僕は聖堂に巣食う火の悪魔の正体を突き止めた。彼女の処刑を執り行うかどうかは、それを聞いてから決めてくれ」


 少しの逡巡の後、裁判官シャルルの木槌が振り下ろされる。それを合図に、まりあを縛り上げていた荊が緩んで、元の檻の形に戻った。

 痛む手首をさする。骨は折れてないようだ。締め上げられていたせいで、指の先が紫色だ。

 それを見届けると、リリスはポケットから大きなガラス片を取り出した。


「これを見て。事件の鍵となる重要な証拠だ」


 そのガラスは透明で、少々不格好に割れていた。尖った縁で指を切らないように、リリスは慎重にガラス片をつまんでいる。

「それは?」

「これは、聖堂のステンドグラスの一部さ」

 こともなげに言われた言葉に、シャルルの目が吊り上がる。

「どうやってそれを持ち出した?」

「もちろん割ったに決まってる。その辺にいた子供にお小遣いあげるからって言ったら喜んで手伝ってくれたよ」

 悪びれずにニコニコしているリリスを、シャルルは怒鳴りつける。

「ふざけるな! 天罰が下るぞ!」


「大丈夫、聖母も神もきっとお赦しくださる。だって被告人を助けるためだし。このガラス片を見れば、彼女にかけられた放火の容疑が全くの濡れ衣だってわかるはずだよ」


 その場にいる皆に見えるように、リリスは手にしたガラス片を掲げながら推理を語り始めた。

「悪魔の不在を、証明してみせよう」






☆弁護人リリスの推理

 壁一面を大きく飾るステンドグラスは、この街に住む者なら皆一度は見たことがあるだろう。

 とても美しい光景だ。

 昼の祈りの時間。信徒たちが静かに祈る空間を聖母のステンドグラスが見守っている。

 高く昇った太陽はちょうど聖母の向こう側にあり、差し込む光でまるで後光がさしているようだ。

 暖かな陽光は色彩を帯びて降り注ぎ、聖なる祈りは幻想的な光とともにある。

 うん、そんな大事なステンドグラスを割ってしまったことは、一応反省はしてるよ。ごめんね。

 でも必要なことだから。

 ここにあるガラス片は、ちょうど聖母の目にあたる部分だ。

 よく見てくれ、少々ぽこりと膨らんでいるだろう?

 これはレンズというものだ。知っているかな?

 学者が小さいものを見る虫眼鏡や、船乗りが遠くを見るための望遠鏡に使われている。専門的な道具を普段触らない僕らのような人間にはちょっとなじみがないけど、とても便利なものだよ。

 問題は、なぜこんなものがステンドグラスにはめ込まれていたのか。

 教会側に問い合わせてみたけど、そんな細工を仕込んだ覚えはないそうだ。

 細かい説明は省くが「光を曲げる」ことが、このレンズというものの特徴だ。それにより、物を大きく見たり、遠くを見たりすることができる。

 それともう一つ。

 これがあれば、火種がなくても火を起こすことができるんだ。

 光が屈折して一か所に集まると、その光が持っている熱も一か所に集まり、極めて高温になる。条件を整える必要はあるが、子供でも火起こしが可能だ。

 放火があったのは、いずれも昼のお祈りの時間。

 ステンドグラスの聖母のちょうど向こう側に太陽が昇り、後光がさしているように見える。

 降り注ぐ陽光の一部がレンズで屈折し、熱が集まる。

 ちょうどそこに、運悪く誰かがいれば、体に火がついてしまう、という寸法さ。

 聖職者の衣装は基本的に黒い。黒というのは熱をため込みやすいため、火が出るまでの高温に至りやすい。

 これで着火の説明はついた。

 だが、しかし。

 まだ説明できないことがもう一つある。

 なぜ、祈りをやめて悪魔を祓おうと反撃に出ると炎が強くなるのか、という点。

 祈るのをやめると火が勢いを増すだなんて、いかにも宗教的、呪術的な意味合いがありそうだけれど、これにもちゃんとからくりがある。

 ところでシャルル、今聖水は持ち歩いているかな? ちょっと貸してもらえる?

 それと、証人のマイケル氏。あなたもだ。聖堂で信仰に生きる弟子であれば、当然持ち歩いているだろう。

 ありがとう。少し預からせてくれ。

 このように、聖職者であればほぼ全員が十字架と聖水を肌身離さず持っている。

 だが、僕の推理が正しければ、聖堂所属の皆さんの聖水は、犯人によって全くの別物にすり替えられている。見た目にはただの水にしか見えないだろうけどね。

 よく見ておくれ。これが真相だ。






 リリスは聖水の入った瓶を二つ持って、壁に設置してある蝋燭の所へ歩いて行った。


「まずは裁判官殿の持っていた聖水で試そう。これは、聖なる祈りを込めてはいるが、物質としては普通の水だ。だから当然、火にかけるとこうなる」


 瓶の蓋を取り、中身を蝋燭の炎にかける。

 水を浴びた火は、当然消える。


「次に、マイケル氏の持っていた聖水を試そう」


 少し歩いて、リリスは次の蝋燭の所へ行くと、同じように炎に瓶の中身をかけた。


 するとどうしたことだろう。今度はさっきとは逆に、炎が激しく勢いづいて燃え上がるではないか。


「反撃に転じたら炎が大きくなったのは、祈りを中断したからではない。聖水が燃える水とすり替えられていたからだ」

 確信を持って語るリリスに、裁判官シャルルは目を丸くして問いかけた。

「なんだそれは。水が燃える? そんなことあるのか?」


「見た目にはわからないかもしれないけど、これはアルコールだよ。お酒として飲んだら体を壊す濃度のものが、この瓶には入っている。レンズの高温で服に火がついている被害者に、悪魔を追い払おうとしてこんな聖水もどきをかけたら……。どうなるかわかるだろう?」


 検察官のアンリが声をあげた。

「すごーい! なんでわかったんですか?」

 リリスは服を引っ張って、自分の首元を見せた。一部分がかぶれたように赤い。

「聖堂のガラスを割った時に、怒られて思いっきり聖水を撒かれちゃってね。かかった部分がこれだ。僕はお酒に弱い体質だから、すぐわかった」

「なるほど! じゃ、アルコールの出どころと流通ルートの洗い出しはこっちでやりますんで! 任せてください!」

 リリスは、まりあが閉じ込められている檻の前まで歩いてきた。

 裁判官とまりあの間に割って入って、高らかに宣言する。


「つまり、彼女は魔女ではない。よそ者の彼女には、聖堂の人間に聖水を配ることはできないから。犯人は内部犯。水を清めて瓶に入れ、信徒たちに配る流通ルートのどこかで細工ができる人間にしか、この事件は起こせない」


 ついでだから、とリリスは言葉を続ける。

「簡単に犯人を見つける方法を教えよう。お昼のお祈りの時間に、教会関係者を一人ずつ個別に聖堂へ連れて行くんだ。すると、一人だけがステンドグラスが割れていることに気づかない。その人が犯人だよ」


 裁判官が問いかける。

「なぜだ?」


「レンズを通して太陽を見ると目がつぶれるんだ。このトリックを使った犯人であれば、その危険性は知っている。ステンドグラスのほうを直視しないよう気を付けているに違いない」


 カン、と木槌の音が響く。

「よかろう。被告人天草まりあは、放火の件に関しては不問だ」


 まりあはほっと息をついた。

 目まぐるしくいろいろと起こりすぎてなにがなんだかわからないが、とにかく助かった。

 と、思ったが、裁判官はまだ言葉を続ける。


「しかし、この女が不審なことに変わりはない。どうやって聖堂に入った? 侵入した目的はなんだ?」

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