第十四話 ユメ

 その日、ホノカは嫌な夢を見た。

 六年前、ホノカの髪色がまだ黒色で、そして弱く、ただただ守られる側の子供だった頃の夢――――悪夢だ。




◇ ◇ ◇




 そこは暗い、どこかの地下だった。

 冷たい地面に置かれたランプの灯りが、ゆらゆらと頼りなく揺れながら周囲を照らしている。

 ポチャン、

 と天井から水滴がホノカの頬に落ちて来る。その冷たさで目が覚めた。

 意識が覚醒すると、何故か身体中に痛みを感じた。

 何だろう、これ。そう思いながら、ぼんやりした頭で、目で、無意識に自分の身体を見る。すると身体が縄できつく縛られている事に気が付いた。


 何だ、これ。


 急に意識が覚醒する。慌てて周囲を見回せば、ホノカの隣には双子の弟のヒノカが、自分と同じように縄に縛られ倒れていた。

 ヒノカは目を閉じたままだ。怪我らしい怪我は見当たらないが、倒れた弟を見てホノカは焦った。


「ヒノカ、ヒノカ! 大丈夫!? ねぇ、起きて、ヒノカ――」


「――アァ、起きたのだね」


 だが、ホノカの呼びかけに答えたのは別の人間だった。

 ねたり、と纏わりつくような不気味な声の男だ。

 思わずぞっとして、ホノカは身体を強張らせる。反射的に声の方へ顔を向ければ、顔の上半分だけを仮面で隠した燕尾服の男が立っていた。

 よく見える口元が、ニタリ、と弧を描く。くつくつと低い笑い声を零している。


「だ、誰……?」


 ガチガチと震える声でホノカは問う。

 そうして見ていると、ふと、視界に男の手が入った。何か握っている。大振りのナイフだ。

 ナイフの先端からぽたり、と何かが地面に落ちた。

 血だ。ナイフの刃にべっとりと、赤い血がついている。


「――ひっ!?」


 ホノカは思わず悲鳴を上げかけた。

 恐怖に目を見開くホノカの反応に、仮面の男は満足そうに頷いた。

 

「アァ、アァ、やはり――良い。穢れていない子供達の眼差しは、とても、とても美しい!」


 そして歓喜に身を震わせ、男は芝居じみた態度で手を振り上げる。

 その時、ホノカは見てしまった。男の背後に倒れている誰か――血まみれの父の姿を。父の白い軍服は、血で真っ赤に染まっている。


「お父さん!?」


「――――アァ、彼かい?」


 男は口で笑みを作ったまま、身体をそちらに向ける。

 そして靴のつま先で、軽く父、御桜ミハヤを小突いた。すると父の口から、かすかに呻く声が漏れる。


「――――、――――ホノ……ヒノ……」


 ごふ、と父は血を吐く。

 ヒュウヒュウ、と酷く不安定な呼吸の音が聞こえた。


「彼はね、とても穢れているんだ。だからこうなった」


「けが、れ?」


「アァ、そうだとも。私の神聖な審判の時間をことごとく邪魔し、ドブネズミのように私の事を嗅ぎ回っていた。何と愚かで、汚らしく、醜い事か!」


 男は芝居がかった調子で話す。

 そして話ながら男は片手でミハヤの頭を掴んで持ち上げる。異様な腕力だ。

 そうして持ち上げられたミハヤは、両腕はおかしな方向に曲がって、だらりと垂れている。足もそうだ。膝のあたりから酷く出血している。

 男はくつくつ笑うと、もう片方の手に握っていたナイフを、ホノカに見せるように動かした。


 そして。


「やめ」


 ホノカがすべてを言う前に、男はそのナイフで、ミハヤの喉を真横に掻き切った。

 血が噴き出る。ミハヤの目から生気が消える。


「あ、ああ、あああ……ッ」


 男は動かなくなったミハヤを放り投げると、今度はホノカの方へと、靴音を立てて近づいて来た。

 そして目の前まで来ると、その両手でホノカの顔を包む。ミハヤの血がべっとりと、ホノカの頬を濡らす。


「…………アァ、美しい、本当に美しい。穢れる前に、ちゃぁんと私が導いてあげなくちゃ……」


 男が、そんなおぞましい事を口走った時、ヒノカが目を覚ました。

 彼の目に映ったのは、不気味な男を前に硬直しているホノカだ。

 何が起きているのかヒノカには理解できていなかった。

 だがホノカが危険な事だけは分かったようだ。

 

「――――ッ」


 ヒノカは体を動かそうとするが、縛られている事に気づく。

 なら、とヒノカは歯を食いしばって上半身を起き上がらせて、


「ホノカを放せッ!」


 そう叫び、男に体当たりした。

 予想外の攻撃に、男が体勢を崩しホノカから離れ、後ろによろける。

 だがそれだけだ。

 男はギロリとヒノカを睨む。


「……穢れかけている。これはいけない、いけない……私が治してあげなくちゃなぁあぁ……」


 そう低い声で言うと、男は立ち上がり、ナイフを振ってヒノカに近づく。

 ああ、駄目だ。このままでは駄目だ。

 このままだと父のように、ヒノカまで。


――――やめて。


 胸のあたりが、酷く痛い。熱い。吐きそうになりながら、ホノカは必死で体を起こす。

 男がついにヒノカの目の前までやって来た。そしてナイフを振り上げ、


「やめて!!!」


 ホノカは叫んで、その前に飛び出した。

 男のナイフがホノカの右肩から背中を深く斬り付ける。

 血が飛ぶ。その血と一緒に、ホノカの内から、自身の霊力も噴き出した。


「な――――」


 それは眩い光を放ち。

 空気に触れたとたん、けたたましい音を立てて爆発した。



◇ ◇ ◇ ◇



「――――ッ」


 爆発が起こった瞬間、ホノカはハッとなって目を覚ました。

 目の前には桜花寮にある自室の天井が映っている。

 どくどくと心臓が鳴り、体中汗でびっしょりになっていた。

 短い呼吸を繰り返しながら、ホノカは身体を起こす。


「……またこの夢」


 ぽつりとつぶやき、手で顔の片側を覆う。

 そうして、しばらく。ふと、窓の方が少し明るくなっている事に気が付く。

 顔を向ければ、カーテンの向こうから、朝日が差し込み始めていた。

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