不老長寿
星雷はやと
不老長寿
「こんにちは、私は平泉さんの使いで参りました。雨宮です」
私は渡された地図を頼りに郊外にある洋館のベルを鳴らした。本来ならば訪れる機会などない高級住宅街だ。新社会人である私は、緊張から汗ばむ手を握り直す。本日は雇用主からお使いを頼まれ、洋館を訪れたのである。
「お待ちしておりました」
静かに玄関のドアが開くと、金色の髪に青い瞳が綺麗な男性が出迎えた。スーツ姿な彼に促され洋館の中へと足を踏み入れる。
「この屋敷の主の富楼と申します」
「あ、雨宮です」
三十代の男性は柔和な笑みを浮かべると、胸に手を当て一例をした。外見から察するに彼は外国人であるが、その口から発せられる日本語は流暢である。私も彼に倣い会釈をした。
〇
「こちらに、お部屋です」
「はい、失礼します」
靴音を吸収してしまうほどの柔らかい絨毯の上を歩き、案内された先には広い空間が広がっていた。
「わぁ……凄い……」
長方形の部屋の壁には無数の写真が飾られている。宛ら写真の美術館のようだ。思わず、子どものような単純な感想が漏れた。
「有難うございます。此処に飾らせて頂いているのは、ご本人様に許可を得た一部なのです」
「そうなのですね。雨宮からも長年にわたり、お世話になっている写真家の方だと伺っております」
慈しむような視線で写真たちを眺める富楼さんに、彼が仕事人である事を実感する。先日、雇用主の米寿祝いを撮影した写真を受け取りに来たのだ。私は新人であるが、先輩方から写真撮影は長年この富楼さんに頼むほどに信頼が厚いと聞いている。
「こちらこそ。雨宮様にはご誕生の際から、御贔屓にさせて頂き感謝しております」
「平泉に伝えます」
仕事への誇りが溢れるこの部屋に、訪れることが出来て良かったと感じる。きっと私の雇用主も、彼の仕事に対する腕と誠実さを買っているのだろう。
「用意をして参りますので、少々お待ちください。お好きにご覧ください」
「ありがとうございます」
再び綺麗なお辞儀を披露すると、扉が静かに閉められた。
〇
「さてと……」
一人の空間になり、私はソファーに鞄を置くと写真を眺めながら歩く。木の床に私の靴音が響く。
「凄い量だわ」
壁に飾られている写真には、個人で写るものから家族で写るものと幅広い。被写体も老若男女問わず、多種多様な撮影方法で映し出されている。どの写真にも共通することは、誰もが生き生きとしていることだろう。
被写体と撮影者との信頼関係があってこそ実現しているように思える。
「あ、これは富楼さんだ」
一枚の家族写真に写る彼を見つけた。写る人々の顔は朗らかである。きっと信頼されているからこそ、一緒に写真を撮ることを求められたのだろう。照れくさそうに写る彼に、皆から愛されていることを感じる。
「……あれ? これは、富楼さんのお父さんか、お祖父さんかな?」
カラー写真が終わり、白黒写真へのコーナーにと移る。すると和服の女性と写る、富楼さんによく似た男性を見つけた。私は写真に詳しくはないが、白黒写真に写るこの二人は今の年齢では私の雇用主と近い年齢だろう。三十代ぐらいの彼が、白黒写真に写ることはない。
きっと彼の父親か祖父だろう。よく似ていると思いながら、更に足を進める。
「ん? これは……?」
写真は白黒写真だが、場所が屋外に変わり外国の街が写し出される。不思議なことに、それらの写真は手前の人物にピントを合わせていない。柱の陰や人々が行き交う雑踏へと、焦点が当てられていた。中には大きな蒸気船に乗り込む、男性の後ろ姿の写真もある。
「分からないや……」
人物写真から急に風景を中心とした写真に変わり、私では理解出来ない芸術の世界なのかもしれない。理解することに対して匙を投げた。
「今度は絵?」
長い壁が終わりを迎えそうになると、壁に掛かっている物が絵に変った。油画で描かれたそれらの紳士淑女は写真のように鮮明である。カメラが発明される以前は、絵がその役割を担っていたということを不意に思い出した。
「……っ、これは……」
一枚の絵画に目が釘付けになる。
そこには学校の音楽室で見るような、独特なカツラを被る男性。そして同じ様に特徴的なカツラを被り、レースが多く膨らんだドレスに身を包む女性。その二人と共に描かれている金色の髪に青い瞳が綺麗な男性。
「良く描かれているでしょう?」
「っ!?」
絵に夢中になっていると、背後から急に声をかけられた。完全に自分だけだと思い込んでいた。急ぎ振り向くと絵画と瓜二つの、富楼さんが封筒を片手に立っていた。まるで絵画から抜け出てきたかのようだ。いや、違うこれは……。
「あ……あの……こちらは……ご先祖様ですか?」
速くなる鼓動に、過った思考を誤魔化すように縺れる舌を動かす。
「いえ、違いますよ」
「そ……そうですか……」
私の唐突な質問にも彼は律儀に答えてくれる。これ以上の質問はしてはいけないと、本能が警鐘を鳴らす。そうだ私の馬鹿げた想像が当たる筈がない。人の寿命を考えれば有り得ないことである。
「こちらが、お写真になります」
「あ、ありがとうございます……急ぎ戻らなければならないので、失礼します」
差し出された封筒を受け取ると、足早に彼の隣を通り過ぎる。靴音を響かせ、ソファーまで戻ると鞄を掴む。少し頭を冷やす時間が必要なようだ。
「雨宮さん。私のことは……」
「は……はい」
名前を呼ばれて顔を上げると、富楼さんが唇に人差し指を当て微笑んだ。人には知って良いことと、悪いことがある。好奇心は猫を殺す。私はそんな猫になりたくない。大人しく頷いた。
だから、彼が歩いても靴音は響かなかったことも直ぐに忘れることにした。
不老長寿 星雷はやと @hosirai-hayato
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