第12話

 帰り道、わたしは自転車を押しながらリルさんと並んで歩いていた。

 少し前を歩くコンソメは、わたしのカバンにしのばせてあった、にんじんクッキーを食べたおかげで体力を回復させつつあった。

   

「ホントに色々とありがとうございました」

「いや、殆どコンソメちゃんの力だよ」

「いえいえ……!!リルさんが来てくれなかったら感情的になって、きっと元夫を説得できなかったと思います」

「僕も内心苛立ってたけど」

「えっ?全然そんなふうには……」

「だって、好きな人が貶されてたら平常心でいられないよ」

「………………」

 

 リルさんはごく自然に言ったが、”好きな人”という言葉がわたしには面映ゆかった。

 視線を泳がせていたわたしは、彼の着ているチャコールブラウンのジャケットの中が制服だということに改めて気が付き、「あっ」と声を漏らした。


「もしかして、今日はお仕事だったんですか?」

「うん。でも、ちょうど休憩入る前だったから」

「すみません……!!貴重な休憩時間を無駄にしてしまって……」

「無駄なんかじゃないよ。クラッペさんの役に立てて嬉しかった」

「あっ、うん、いえ…………あ、そういえば、どうやってリルさんを呼んだの……?」


 眩しい笑みを直視できなかったわたしはコンソメに尋ねた。

 彼の連絡先や自宅は知らないし、日曜日だから白センも閉まっているので先生達に聞くこともできないはずだ。


「トオシで、ゆるりんのこと思い浮かべて強く願ったら声が届いたんだ。で、白センで待ち合わせて、バスに乗ってパパの家まで来たの」

「それってテレパシーじゃないの……!?」

「今はもうできないけどね。ピンチに陥ると発揮される力みたい」

「へえ…………」

「コンソメちゃんはすごいよ。トオシ能力のある大人でもなかなかできないからね」

 リルさんに褒められたコンソメはくるりと振り、むふふ~と小鼻をうごめかした。


「ママもかっこよかったよ」

「そうかな……?いつキレてもおかしくなかったよ。まあ、パパはちょっと可哀想な気もするけど……」

「また、コンが慰めに行ってあげるよ!!『元気出しな!!』って」

「ははははは…………」

 右手を高く上げて張り切るコンソメに、わたしとリルさんは同時に声を上げて笑ってしまった。


 そうこうしているうちに自宅に到着した。

 雲の切れ間からはうっすらと陽が差し、南の空は麗らかに晴れ渡っていた。


「自転車置いて来るから先に入ってて」

「は~い。じゃあリルさんありがとう~」

「またね~」

 わたしはコンソメに先に自宅の中へ入るよう促すと、彼女はぺこりと頭を下げ、小走りで家の中へ入って行った。


 自転車を庭の隅に止めたわたしは、待ってくれていたリルさんに声をかけた。

「あ、あの……“パートナーに迎える“って言ってたのは……」

「ああでもしないと、クラッペさんとコンソメちゃんが一緒に暮らせないかなと思って……でも、クラッペさんの言葉で彼は納得できてたね。だから聞かなかったことに…………」

「待ってください……!!」

 言葉を遮るわたしに彼はひどく驚いていた。


(きちんと言わなきゃ……!!)

 心臓の音が自分でも聞こえるくらい緊張が最高潮に達していた。


「わたし、そ、その…………リルさんのこと好きなんです。でも、若くて美人でもないし、歳を取ってるからって思慮深くもない……元夫の前では褒めちぎってくれてましたけど、あそこまでできた人間じゃないんです」

「嘘じゃないよ。本心でそう思ったんだ」


「それだけじゃなくて、何より、一度ウクーとの結婚に失敗してるので、またパートナーと暮らすことに、期待よりも不安のほうが大きく感じてしまって……だから一歩踏み出せなかったんです。でも、短い人生、自分で可能性を狭めることしちゃだめだって…………」


 言いたいことがまとまらず、しどろもどろでまともに彼の顔を見られなかった。


「わたし、リルさんといるとふわっとした雰囲気に和むというか…………その、リラックスできて……話していくうちに、素の自分でいられることに気が付いたんです。些細なことでも褒めてくれて、自分の価値を高めてくれるような存在で……だから、まだ、もしこの先、付き合ってもらえるなら一緒にいたいなって……」


(なんだこの語彙力のなさ……もっとマシな言い方あるのに~~!!)

 わたしの脳内は大混乱していた。

 

 ところが、

「僕も同じ気持ちだよ」

「え?」

 顔を上げたわたしは、リルさんの温かい眼差しに心が和らいだ。


「クラッペさんと会った頃は……ちょっと悪い言い方だけど、お互い“必要とされない者”どうしなんだなって感じてた。帰る故郷もあるのに、どうしてここに居続けるんだろう、変な人だなって……」

「変な人……その通りですね」


「普通、逆境に陥ったら腐ってもおかしくないはずなのに、前向きに生きてる。それも、がむしゃらじゃなくて、適度に力を抜いている感じが何となくいいな……って気になったんだよ」

「わたしは、自分の身の丈に合った生活をしてただけで……それに、前向きってわけじゃなく、この先いつまでここにいられるのかなって、結構後ろ向きなことも考えてます……」


「それは誰しも思うことだよ。クラッペさんは一歩ずつ自分のペースで歩んでると思う。僕は今まで表面上の付き合いがほとんどだった。相手の望む自分でいたら上手くやり過ごせていたから。誰かを好きになったとしても見守っていようって……そうすれば自分の執着心も抑えられるし、相手を傷つけないで済む。でも……やっぱり好きな人には、近くにいてほしいなって欲が出てきちゃうもんだね」


「それは自然な気持ちじゃないでしょうか……?」

「うん……僕が宝玉を盗もうとした時覚えてる?」

 わたしはうんと頷いた。


「“消えるのはもったいない”って、クラッペさんが自分の思いを話して引き止めてくれた時に結構気が楽になったというか、まっすぐ人を見てくれる人なんだなって思ったんだ。この人といたら地に足が着いた、豊かな人生を送れるかもしれないって……」

 

「わ、わたしは、手本になる生活なんて全然してないですよ……基本のんびり生きたい質なので……」

 

 10代、20代の頃は外見や性格重視で交際相手を選び、自分磨きに余念がなかったが、歳をとってくると次第にしんどさを感じ、本当に大切なものは別にあるのではないかということを常に考えるようになった。


 それはある種の諦めでもあり、無理をしない自分の生き方や考え方に共感してくれる人を心のどこかで求めていた。


「生きるのに高い志を持つ必要はないよ。日々の小さな幸せに満足することが大切だと思うから」

「小さな幸せ……」

 コンソメと2人で過ごすひと時や、リルさんとの昼休みの雑談を思い浮かべた。

 こんな日がいつまでも続けばいいなと思う一方で、突然打ち切られる不安が脳裏を過った。


 そんな思いを見透かしたのかリルさんは、

「大丈夫。僕はずっと傍にいるよ」

 安心させるように微笑んだ。

「橙には……戻らないんですか?」

「新しい居場所はもうここなんだ。クラッペさんといれば、過去にとらわれず強くいられる気がするから……だからあなたと一緒に歳を重ねたい」

 

 彼はわたしから視線を外すと、やや曇り気味の顔で言った。

「ただ、僕は療養中だからここから出ることはできないし、メハトの副作用もいつ起きるかわからない。不自由をさせてしまうこともきっと多いと思うから、貴女を幸せにするとは言い切れない。でも……それでも、共に生きてくれるなら嬉しい」

 

 顔を上げた表情は凛として、瑠璃色の瞳は今までで一番深く澄み切っていた。


「幸せは自分で掴むものですよ……ううん、もう、そう言ってもらえるだけで十分幸せです…………」

 思わず涙ぐんでしまったわたしを彼は抱き寄せ、

「ありがとう」

 と頭を優しく撫でてくれた。


 金木犀の甘い爽やかな香りに包まれ、体中にじんわりと伝わる温もりに身を委ねていた。


 そんな夢見心地の中、突然リビングの窓が、ガラリ!!と開いた。

「ママぁ~!!早くご飯食べようよ~!!」

 窓からひょこっと顔を出したコンソメに、

(うわぁぁっ……!!)

 わたしは慌ててリルさんから体を離した。


 その様子を不思議そうに見ていたコンソメ。

「あれ?何してんの?」

「な、何でもないよ~!!」

「そうなんだ。あ、近いうちに、ゆるりんのお家に引っ越すんだよねえ?」

「は……?」

「パパの家で言ってたじゃん。3人で一緒に暮らすって」

「あれってその場を凌ぐための嘘だったんじゃ……?」

 わたしは気が動転していた。


「嘘でもないかな。でも、無理にっていうわけにはいかないから」

「家族になるのに別々なんてヘンだよ」

 口を尖らせるコンソメにわたしは戸惑った。

「か、家族……コンソメはいいの?」

「え?ママとゆるりん、結婚するんでしょ?」

「それはそうなるかもしれないけど……コンソメはパパのこと好きなんだったら、新しい家族にならなくても……」


 再婚すると、子供を迎える時の条件を満たせば、現在の子は新しい夫との子として認められる。


「え~~?ひとりぼっちなんてやだよ~~パパのことは好きだけどさ、一緒に暮らしたいって思わないし。これからはママとゆるりんと一緒がいいな。それに“親子”じゃなくなっても、コンのパパはパパで変わらないんだから。違う?」

「違わないけど…………」


 こうも恬淡とされると、深く悩み過ぎているわたしのほうがおかしいのではないかという錯覚に陥りそうだった。


「じゃあ何も問題ない!!ママもこの家にいたら、パパのこといつまでも引きずってそうじゃん。ここは負のオーラ払って、気持ちを新たにしたほうがスッキリすると思う」

「ま、まあ、そうかもしれないなあ……でも、今まで1人で快適に暮らしてたのに、わたし達が住み着いたら寛げないんじゃないかと思って……」

「そんなことないよ。空いてる部屋があるから、自由に使ってくれればいい」

「あ………はい」

「すぐにとは言わないけど、もし良かったら……白センも近いから便利だと思うよ」

「は、はい……考えておきます」


「もうっ!!オールオッケーって言えばいいのにっ……!!」

 コンソメはぷんぷんしていた。

 そして、

「それより、まだかかるならコンがご飯つくっちゃうよ~」

 と、キッチンの冷蔵庫を開けて食材を探しを始めたので、

「待って……!!すぐ行くから……!!……あ、あの、すみません…………」

 わたしは後ろ髪を引かれる思いでリルさんを見ると彼は、

「また、白センでゆっくり話そうか」

 にっこりと優しく笑った。

 


 帰宅後、わたしはコンソメと今後について話し合った。

 リルさんの前では遠慮して本音を言えず、実は真逆のことを思っていた――などというのはわたしの杞憂に過ぎず、コンソメの「ママにはずっと笑っていてほしいから!!」という一言に救われた。

 

 天真爛漫で思いやりのある子に成長してくれたと、母としてしみじみ感じ入っていた。


 翌週、オノオさんに退職願い取り消しの旨を伝えに行き、新たなメツケ役とパートナーのことも話したらたいそう目を丸くしていたが、さすがは白の住人、

「良かったわね、おめでとう!!」

 の一言で終わってしまった。


 ちなみに、ハユキ先生とウルリュウ先生にも伝えたところ、ハユキ先生は、

「わあ~おめでとう!!嬉しいな!!またお祝いしよ。ケーキ買ってくるから一緒に食べよ~!!」

 と心から祝福してくれた。


 ウルリュウ先生はというと、

「ほら~俺の目に狂いはなかっただろ?これからはさ、また夫婦の揉め事とか出てくるだろうから、その時は遠慮なく俺を頼ってくれよ」

 想定はしていたが、“ウザリュウ”モードが鬱陶しかったので、

「幸せ過ぎるので、先生には悩み相談しなくて済みそうです~」

 と嫌味らしく言って黙らせておいた。


 

 そして迎えた恒例の昼休み雑談タイム。


「家の件はコンソメと話して、引っ越すことにしました」

「うん、わかった。段取りとか決めないとね」

 

 いつもと変わらない、あたたかな微笑を湛えるリルさん。

 オフホワイトのケーブル編みセーターに、ライトグレーのスリムパンツという、こざっぱりとした格好がさまになっていた。


「お手数かけてすみません……その、至らないところがあれば遠慮なく言ってください」

 

 まだ正式に夫婦と認められたわけではないし、パートナーになったからといって劇的に何か変わるわけでもないが、改めて意識すると緊張してしまう。


 と、窓からひゅうっと吹き込んだ隙間風に、ああ、もっとしっかりしないと――より一層身が引き締まる思いに駆り立てられた。


「気負わなくていいよ。メツケ役とか夫婦っていっても、自分の人生は自分のもの。クラッペさんには、のびのびと生きてほしいんだ」

 

 煌めく笑顔にわたしの心が跳ねた。


(彼と一緒なら、わたしもコンソメもここで安心して暮らしていける……)

 

 ようやく安住の地に辿り着いた――いや、これからが始まりなのか。

 心機一転、自分らしく生きられることに喜びを感じていた。


「ゆるりゆるりとした日々を、ですね……」

 うん、と顔を綻ばせたリルさんの隣に、ぽわんと、ゆるりるりの気の抜けた顔が重なった。

 

 人生折り返し地点からの新たなスタートに、「肩肘張らず上手くやれよ!」とウインクをして励ますかのように――


(全然似てないのにな…………)

 妙だなと思ったわたしは、心の中で「あ、そうか!」と小さく声を上げた。


 リルさんが、ゆるりるりと重なるのは、わたしにほどよい活力と心華やぐ安らぎをもたらし、そっと寄り添ってくれる存在だからなんだ――

 

 わたしはなんだか心がほんわかすると、彼との縁を結んでくれたゆるい動物がより愛おしく感じられた。



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ゆるりるり さぴいるか @takoiruka23

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