第11話

 朝からどんよりと曇った空が陰々としてあたりを覆っている。

 時折吹く寒風に身震いしながら、アイボリー色のフリースコートのファスナーを首元まで上げた。

 

 わたしは重苦しい気分になりつつも、コンソメに留守番を頼んで、元夫の家を訪ねていた。


 日曜日は彼も休日のため、自宅にいることは明白だったが、突然押しかけるのも心証を損ないかねないので、メハトリングで事前に連絡しておいた。


 ユズリーズさんにリビングまで案内されたわたしは、その様変わりした内装にぎょっとした。


 前に来た時は白や茶色といったナチュラルカラーで統一された部屋が、フェミニンな新妻の趣味や希望を取り入れたのか、ペールピンクに銀の刺繍が入ったカーテンや淡い紫色の壁紙など、全体がパステルカラーに変わっていた。


 わたしと元夫がまだラブラブだった新婚当初、「ポップなイメージにしたい!!」と提案した時は拒否されたので、いくら好きな女性でも他人の趣味には合わせない人だと思っていたのに。

 いや、もうこれは相当新妻に惚れ込んでいるにちがいなかった。


 グレンチェック柄のシャツを着た元夫は、壁際のデスクスペースに座って何やら書き物をしていた。

 わたしが部屋に入ってきたことに気が付くと、手を止めて椅子から立ち上がり、鋭い視線を向けた。


「わざわざ会ってまで話したいとはメツケ役のことか?」

 わたしは、ふう……と一呼吸置いてから、

「わたし、やっぱり故郷には帰らない。新しいメツケ役もお願いしてもらえそうだから……」

「“あの男”か?」

「うん」

 “あの男”――リルさんのことを言っているのはすぐに理解できた。


「だから、コンソメはわたしとこのまま一緒に暮らすよ」

「それは駄目だ」

「どうして?」

「お前ではコンソメの能力が伸ばせない」

「わたしはウクーじゃないからトオシのことはよくわからない……けど、コンソメの傍にいちゃダメなの?あの子は小さく見えて年頃の女の子なんだよ。急にお母さんが変わったら戸惑うに決まってる」


 わたしが反論すると元夫は、

「世話係の経験があるから子育ては問題ない。コンソメも直に慣れるだろう」

 と口調を強めた。

「だいたい、メツケ役を申し出たのも情に絆されただけではないのか?」

「わたしに同情したってこと?」

 ゆっくり瞬きをする彼に、わたしは首を大きく横に振った。


「リルさんはちゃんと条件を受け入れてくれたんだよ……力になりたいって」

「それでコンソメは幸せになれると思うのか?」

「そんなの……今はわからないよ。けど、何十年先かに“幸せ”って思えるように努力していくしかないんじゃないの?」

「……………」

 その問いに元夫は無言で視線を逸らした。


 わたしは「ごちゃごちゃ言うなら、お前が引き取って面倒見ろ!!」と言いそうになるのをこらえていた。

 これまで子の面倒なんて他人任せだった男が今更、十分にできるわけがない。


「ロクに育児もせず、浮気してた人にとやかく言われたくないんだけど」

 わたしはぐっと拳を握りしめ、こみ上げる感情を抑えた。


 お互い一言も発せず睨み合っていると、バン!!と背後の扉が開く音がし、

「ママ!!」

 と、コンソメが入ってきた。


 振り返ると扉の前には、おろおろするユズリーズさん、そして、カフェの制服姿のリルさんが静かに見守っていた。


「コンソメ?……リルさん?」

「トオシでママが泣いてるの見えたから……パパ、ママをいじめないで!!」

「別にいじめてはいないよ。今、パパとママは大事な話をしているんだ」

「大事な話って、ママを追い出そうとしてるんでしょ!コンはママとゆるりんと一緒に暮らすんだから!!」

「えっ……!?」

 素っ頓狂な声を上げたのはわたしだった。


 部屋に入ってきたリルさんはわたしの隣まで来て、前にいる元夫を見据えた。

「その件ですが……クラッペさんをパートナーに迎えることに決めました」

「え、いや、その話は……」

 躊躇するわたしにリルさんは穏やかに笑んだ。

「コンソメちゃんに言われたんだよ。『ママを助けられるのはゆるりんしかいない』って」

「そうそう!!これは運命なんだよ……運命って言葉好きじゃないな……めぐり逢い?チャンス?うん、ビッグチャンス。寄らば大樹の陰!!この波に乗っからないと!!」


(なんか、ウルリュウ先生と同じようなこと言ってるな……)


 でも、コンソメの言う通り、確かに“ビッグチャンス”だ。

 この機会を逃したら、この国には住み続けられない。四の五の言っている場合ではなかった。

 

 わたしが口を開こうとする前に元夫がリルさんに向かって

「正気なのか?」

 と半ば呆れ気味で尋ねた。


(正気?“本気”じゃなくて“正気”って……そんな頭がイカれた人みたいな言い方おかしくない!?)

 わたしは思わず口に出そうになったのを呑み込んだ。


 しかしリルさんは気分を害された様子もなく、

「はい」

 と短く答えた。

「費用もかかる上、管理責任もある……一般人には負担でしかないはずだ。それにパートナーになるだと?全く何を考えているのか……」

「直向きに努力している人に、手を差し伸べたいと思うのはおかしいことでしょうか?」

「相手がウクーならばわかる。だが、鈴樹は人間だ。人間の習慣に合わせることは、少なからずストレスがかかるものだ。貴方はそれに耐えられるのか?」

「やってみないとわかりません」


「貴方ほどの人なら引く手数多だろう。もっと若い者だって選べるはず……」

「ウクーは人間よりも長生きというだけで、老いは必ずやってきます。それが遅いか早いかの違いだけです。それに、内面の美しさは歳と共に磨かれてゆくものだから……見た目ではわからなくても、人柄ににじみ出るものだと思っています」

 やんわりと微笑むリルさんに元夫は深い溜息をついた。


「貴方はここに来る前に色々辛苦を経験したのだろう。人間に関わって何の得がある?」

「人間視点で考えてみるのも、目新しくて面白いものですよ」

「とはいっても、鈴樹にそこまで入れ込むほど魅力があるとも思えない」

「愛していた相手なのに、酷い言い様ですね……」

「年齢を重ねるごとに愛嬌がなくなり、娘を迎えてからは何かと他人に当たり散らすきつい性格になったからな。事実を言ったまでだ」


 腕組みをする元夫に、わたしは拳固を腹にぶちかましたい衝動に駆られていた。

 元夫と2人きりなら我慢できず一発ぶん殴っていそうなところだったが、キレると暴力に走る短気な奴だと証明してしまうことになるので、ぐっと耐えていた。


「2人が夫婦になるのは構わない。好きにしてくれ。でもコンソメは私が引き取る。それが筋というものだ」

「はあ!?筋って、何を今更……」

 口を挟んだわたしを無視して、元夫はリルさんに尋ねた。


「そもそも、貴方にとって大切なのは鈴樹であって、コンソメはお荷物ではないのか?」

「ちょっと、なんてことを……!!」

「恋愛にかまけて子育てを蔑ろにするおそれもあるだろう」

「それならモノだって同じじゃない。自分のことを棚に上げてよく言うよ……モノにとっては自分の娘だけど、新しい奥さんにとっては他人。本当に大事にしてくれるの? 」

「ああ。経済面でも問題ない」


「お金だけじゃないんだよ、子育ては。楽しいだけじゃない。苛立ったりすることもいっぱいある。でも、そういう経験して折り合いつけながら成長していくんだと思う……親も子も。良いとこ取りのあなたにコンソメのことがわかるはずない。今後喧嘩した時に対処できる?もし、家出して帰って来なくなったら責任とれるの……!?」


「話が飛躍しすぎだ」

「コンソメの居場所があるかどうかってことだよ。今のあなた達じゃコンソメを安心して任せられないの」

「それではキリがないと言っているのに……」

 元夫は不服そうな顔つきをすると、リルさんが冷静な表情で言った。


「今、彼女を故郷に帰すことは追放と変わらないと思います」

「身寄りがないなら別の手段を考えるが、両親も健在で親子の仲も良好なのだから問題ないだろう。時期が来たら私が娘を引き取る――それは鈴樹も承知していたことだ。その時期が早まっただけだ」

「でも、本人の意思を無視して無理やり引き離すのは酷なのでは……」

「情のない相手に援助し続けるのも限界があるのだ。まあ、貴方にしてみたら、『愛の力で乗り越える』とか言うのだろうが……」

 

 嘲笑する元夫にリルさんは、

「いえ、愛情はそれほどありません」

 びっくりするくらいあっさり言い放った。


「というより、クラッペさんのことまだほとんど知りません。多分彼女も同じだから、パートナーの件は迷ったんだと思います。愛情も信頼関係と同じように、徐々に育くんでいくものなんじゃないですか?」

「そこまでする価値があるのか……」

「あります」

「どこに惹かれたんだ……?一応聞いておこう」

「それは……健気で逞しいところです」

「矛盾しているだろう」

「彼女には、大切な者のために力を尽くそうという強い意思があります。異国といってもいいウキウクで自分の立場を受け入れ、弛まぬ努力を続けながら、めげずに生きようとする姿に心打たれたんです」


「そんな殊勝なことを心掛けているものか。ウキウクでは無力だからだろう。仕事だってたいした業務をこなしているわけではない」

 ふんと馬鹿にしたように鼻を鳴らす元夫。


 わたしは再度拳を強く握りしめた。

 元夫の挑発ともとれる態度にも、リルさんは毅然としていた。


「僕はクラッペさんの一面しか知らないけど、彼女は自分の仕事に誇りをもって取り組んでいるし、同僚からも評価され、いきいきしていると思います。コンソメちゃんも、そういうお母さんの姿をずっと傍で見ていたからこそ、明るく真っすぐな子に成長したんだろうなって。根気強くて優しい彼女といれば、僕も自分を見失わないでいられる気がして……だから心の支えになりたいと思ったんです」

「………………」


「クラッペさんは、僕にとって必要な人なんです」

 その透き通った深青の瞳に嘘偽りはなかった。


(そんなふうに思ってくれてたんだ……)

 リルさんの言葉が胸にじーんと響いていた。

 

 わたしが彼に対して思っていた不安や心配、それまで迷っていたことが一気に吹き飛び、自分の存在息義を新たに見出せたような感覚を覚えた。

 

 と、それまで目を潤ませながらわたし達の話をじっと聞いていたコンソメが、わなわなと体を震わせ口を開いた。


「そうだよ。はじめから完璧な家族なんてこの世にはないの」

「お前は口を閉じていなさい」

 軽くあしらわれた彼女はぷうっと頬を膨らませ、

「そうやって、いつもコンを除け者にする!!」

 と大声で叫んだ。


「パパはいつも正しいこと言ってるかもしれないけど、相手の気持ち考えてない!!パパはママのこと、人間だからわからない、できないとか言うけど、じゃあパパは人間にできること全部できるの?ママがやってくれたことできる?」

「何を…………」

 たじろぐ元夫に臆せず、コンソメは自分の思いをぶちまけた。

「ムリでしょ…………!!ママはまわりに仲間がいない中で頑張ってきたのに……それなのに見捨てるなんて……!!パパがママを守らないといけないんじゃなかったの!?」


「コンソメ…………」

 目を真っ赤にして泣きじゃくる娘に、わたしは感無量の思いが込み上げ、彼女をぎゅっと抱きしめた。

 そうして元夫を冷ややかに見つめた。


「コンソメが本当に幸せでいてほしいと思うなら、彼女の気持ちを尊重すべきなんじゃないの……?」

 彼は反論せずに黙って唇を噛みしめ、恨めしそう顔つきで見ていた。

 

 しばらくしてコンソメが泣き止んだかと思うと、パッと顔を上げ、

「あ、待って……そうだ!!」

 その目にもう涙の跡はなかった。

「ゆるりんね、“トオシ”のお師匠になってくれるの」

「師匠?」

「うん。だってすごいんだよ。探し人も、くるっと見渡しただけでパッと見つけちゃうんだ!!コンも練習したらできるようになるって。だから授業で教えてもらうの」

「授業って……?」

 ほんの数分前とは打って変わって快活な表情で話すコンソメに、わたしは頭が付いていかなかった。


 すると彼女の代わりに斜め前にいたリルさんが口を開いた。

「学校で“トオシ講師募集”の貼り紙見たから、試しにやってみようかなって思ったんだ。ウルリュウ先生に『何か新しいこと始めてみれば?』って勧められて……それで先週から週1回、お試しで学校に教えに行ってるんだよ」

「ああ、ハユキ先生が言ってたやつか……でも、リルさんが応募したなんて聞かなかったな」

「正式に引き受けてから話そうと思ってたんだ」


「へえ~でも、コンソメ、『トオシは嫌だ』って言ってなかったっけ?」

「うん。でも、ゆるりんの授業受けたら、結構楽しいかも!!って思えて……宿題教わった時も上手だったし、場所も学校だし、余計なお金もかからないし、そしたらパパもママを追い出せなくなるでしょ?」

 ドヤ顔で鼻を鳴らすコンソメにリルさんはコクリとした。


「コン、別にパパが全部やらなくていいと思うんだ。できないことを無理にやるのって自分も疲れるし、相手も嫌な気持ちになっちゃう。それなら得意な人に任せたらいいと思う。パパにしかできないことだってあるんだし」

「私にしかできないこと?」

「えっと、えーっと……ごめん、すぐには思いつかないや」

 コンソメは「えへへ~」と笑い、ぺろっと舌を出した。


「あ、でも、パパはかっこよくてモテるし、頭もいいからユズリーズさんは離れていかないと思うよ。だから2人とも仲良く暮らしなよ!!」

「え…………」

 娘の辛辣な台詞に元夫はかなりのダメージを受けたのか、ぐうの音も出ない様子だった。


 更に追い打ちをかけるのも哀れに思えてきたわたしは、

「こう言ってるけど、コンソメにとっては“パパ”はあなたしかいないんだから。もっと誇れるパパでいられるように、心がけるべきなんじゃないの?」

 と窘めると、

「むう…………そうだな」

 素直に認めた。


「あなたは結局、“若くて可愛くて従順なわたし”を愛していて、『貴女を幸せにできるのは私だけ』とか言ってたのは、メツケ役としての優越感だったんだなってことがわかったよ。今更怒る気もないけどね……」

「……もういい。私が悪かった」


「まあ、色々腹立つこともあったけど、わたしがここで快適に暮らせるように助けてくれたことはすごく感謝してる」

「鈴樹……」

 ばつの悪そうな顔をしている元夫にわたしははっきり言ってやった。

「わたしは“鈴樹”じゃなくて“クラッジュリンペ”だよ」

「あ、ああ……そうだったな。すまない」

 いつもの威厳はどこへやら、すっかり勢いを失くし小さくなっていた。


(ふう……なんとか残れそうで良かった……)

 ほっと一安心したわたしは何だか気が抜け、何気なくリルさんと視線を合わせると、

「切り替えは……?」

 と小声で言われた。

「あっ!ああ、そうだ……大事なこと忘れてた」

 わたしは左腕のメハトリングを外し、

「じゃあ、解除お願いできる?」

 元夫に差し出した。


 彼は顔を上げるとリングをすんなり受け取り、自身のメハトにリングの面を翳して画面で何やら操作をした後、わたしに返してくれた。


「これで解除申請完了だ。残りの迎え料も支払っておいた」

「ありがとう。じゃあ……」

 今度はリングをリルさんに渡すと、彼も同じように操作をし、

「どうぞ」

 と手渡してくれたので、わたしはメハトリングを腕に付け直した。

 

 その様子を見ていた元夫は、

「支障なければ、来週には切り替わるだろう。親子関係も私から鈴樹に移した」

「えっ!?わたし人間なのにいいの?」

「ウクーと人間ならウクーが引き取るのが望ましいというだけで、人間が禁止されているわけではないからな。それに、これまでの行いが評価されれば認められるだろう。もし、異議があれば私が直接白さんを説得する」

「うん……ありがとう」

 冷徹ウクーだと思っていたのに――元夫を少し見直した。


「まあ、“親”じゃなくなっても、また顔見に来ればいいよ」

「いいのか?」

「コンソメが嫌じゃなければ………」

 コンソメを見やると、

「いいよ。だってパパはコンがいないと寂しいでしょ」

「……………………」

 図星を突かれた元夫は閉口した。


 わたしが安堵感を覚えていると、突然どこからか“ぐおぉぉぉぉぉぉ~”と獣の鳴き声のごとく低い音が響いた。


「おなかすいたよぅ~~」

 見れば、コンソメがお腹に手を当てて項垂れていた。

「そろそろ帰ろっか」

「うん」

 コンソメのパワーが切れる前に家を出ることにした。


「じゃあ、そういうことで……」

 わたしが別れの挨拶を切り出すと元夫は、

「長生きしろよ」

 ふっと笑みをもらしたので、わたしは、

「ハ………………」

“ハゲてしまえ!!”と罵倒しそうになったところを新妻の手前、ぐぐっと堪え、

「お幸せに」

 と無難な言葉を返し、この家から立ち去った。

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