第10話

 週末になっても、わたしは悶々とした気持ちを抱えたままだった。

 けれども、退職することをオノオさんに伝えるため、彼女が手隙の時を見計らって声をかけた。


「あの、ちょっとお話したいことが……」

「なになに?」

 自席で書類整理を終えたオノオさんは手を止めて顔を上げた。


「再来月で今の仕事辞めさせていただこうと思いまして……」

「えっ?これまた急ね」

「故郷に帰るので……」

「娘さんは?」

「元夫が引き取ってくれます」

「そうなの……残念ね。じゃあ、引継ぎのこととかまた連絡するわね」

「すみません。よろしくお願いします」

 

 オノオさんは詳しい事情も聞かず、全く引き止めることもなかった。

 ここで引き止められても未練が残るだけだし、最終的には断るので手短に済んで良かった。


(またハユキ先生にも言っておかないとな……机周りの整理もし始めよう)

 と、ファイリングされた紙類を整理していたら紙が1枚、ひらりと床に落ちた。

 拾い上げると“相談利用日変更のお知らせ”の案内文とともに、ニコニコ顔のゆるりるりが印刷されていた。


(なんか泣けてくるな…………)

 真っ先に思い浮かんだのがリルさんの顔だった。

 なんとなく雰囲気が似ているだけなのに。

 

 わたしの思い付きで生まれたキャラクターが、今では白センの顔として多くの利用者に認知されている。

 別に、このキャラがいなくても相談や活動に影響はないし、直接利用者の心の傷を癒すわけではない。


 しかし、この子がいることでちょっとでも勇気をもらえたり、和んだり、そういう力を与えられたなら、わたしも白センに勤めてきた甲斐があったし、人間として少しは貢献できたのかもしれないと思った。


(……長い間ありがとう)

 わたしは感傷に浸るのをやめて、ゆるりるりの画像データをまとめる作業に移った。


(基本の表情だけあれば足りると思うけど……作ったやつ全部フォルダに入れておこう)

 次の担当者が使わなかったとしても、仕事の成果の証としてパソコンのフォルダにデータを残すことにした。


 クリアファイルに突っ込んでいた紙はとりあえず、イラストが載っているものだけを記念に何枚か故郷に持って帰ろうと思ったが、目にする度ここでの暮らしを思い出し、せつなくなるので全て裏紙として処分することにした。

 こうして午前中は書類整理と事務作業でほとんど終わっていった。



 昼休み、わたしはロビーで1人、ハッカメティーを飲んでいた。

 気分爽快になるお茶なのに全くすっきりせず、逆に沈む一方だった。


 誰もいないのをいいことにテーブルに、ぐでーっと突っ伏していると、カタンと椅子を引く音がした。


「どうかしたの……?」

 慌てて顔を上げて右に振り向くと、心配顔のリルさんが隣に座っていた。

 くすんだ青色のジャケットに白銅色のシャツ、紺色のスラックス、と青系で統一された服装はカジュアルながらも、真面目で上品なイメージを作り上げていた。

 

 わたしは一呼吸置いてから、

「故郷に帰ることになりました」

 と口にした。

「え?コンソメちゃんは?」

「元夫が引き取って、新しい奥さんと3人で住むそうです」

「そこまで話が進んでたんだ」

「いや、かなり急で……3日前に言われました。あと昔……わたしと結婚してた時、浮気してたってことも…………」

「えっ……?」

「本人は“浮気”ってハッキリ認めなかったけど、ほぼクロなのは間違いないです。その人と再婚したって。せめて、コンソメが生まれる前にしてくれればまだマシだったのに…………」

 ぼやくわたしに彼はきょとんとしていた。


「あっ、リルさんは気にしないでください。浮気はともかく、コンソメを迎えた時から別れが来る日は覚悟してたので……案外早かったけど」

「でも、すごく辛そうな顔してるよ……」

「……辛さと怒りと悔しさが混ざって、どういう気持ちなのか自分でもよくわからないんです。離婚の原因は性格や価値観の不一致だと思ってたから。元夫に申し訳ないなって思う気持ちも多少あったんです。でも、浮気してたってのを知ったら一気に冷めたっていうか……」


 ひどく打ちのめされた姿に、彼もかける言葉に迷っただろう。


「生活費も1年分は支払ってくれるので、お金には困らないと思うけど、この23年間わたしは何をしてたんだろうって……自分の存在意義って何だったのかなって…………」

 

住み慣れた土地を無一文――いや、お金はもらえるが、ポーンと追放された気分だった。


 わたしの場合、実家もあり、両親も健在だから衣食住には困らない。

 社会人経験があるとはいえ、この国では育児と家事の経験値が少し上がったくらいで、ニホン国に戻れば、特別なスキルななど皆無のバツイチアラフィフ無職独身。


 “23年間異世界で暮らしてました!”なんて嘘でも周囲はドン引きすることまちがいなかった。


ここに残りたくないの?」

「できるならそうしたいです。けど、それには新たなメツケ役を探さないと……でも、こんな平凡な人間に肩入れしてくれるウクーなんているのかどうか……」

 自嘲気味に笑うわたしに対し、リルさんは至極真剣な表情だった。


「貯蓄はいくらかあるけど……」

「貯蓄?」

「うん。ハッカメソウ使用の手数料が」

「ハッカメソウって、このお茶のハッカメソウですか?手数料って……?」

 ティーカップのお茶を指したわたしに、彼はうん、と頷いた。


「ハッカメソウを探し当てたんだよ」

「ええっ……!?あの偉業を成し遂げたのって、リルさんだったんですか?」

「いや、僕は見つけただけで、その後のことは橙さんや仲間に任せてたんだ。皆で自由に栽培してくれって橙さんに言ったんだけど、『苦労した分、きっちり金取りなさい』って反対されて……しれっと使用手数料も取るようにされたから、自動的にメハトに貯蓄されてるんだ」


「へえ…………」

(いわゆる不労所得か……いいなあ~)

 羨ましがっている場合ではなかった。


「僕がメツケ役になるよ。クラッペさんが良ければだけど」

「そ、そんな…………!!生活費とか、白センに通う費用もかかるのにダメですよ!!」

「メツケ料ってそんなに高くないんだよね?」

「それは、そうですけど…………」


 メツケ料とは、人間が事件や事故を起こしても、ある程度の範囲までなら白さん側で処理し、身の安全を保障するという所謂保険料のことだ。

 メツケ役の収入の2割程度の額だが、メツケ役を解除しない限り、その人間が死ぬまで払い続ける必要がある。


「でも、ここに残るには誰かがメツケ役にならないと」

「だからって何の関係もないリルさんに頼るわけには……それに、お金を使うなら本当に大事な人に使ってあげてください」

「クラッペさんがそうなんだよ。できれば白にいてほしい。力になりたいんだ」

「……ど、どうしてですか?」

「ただ、そうしてもいいかなって」


「でも、わたしが何かやらかしたらメツケ役にも被害が……それに、わたしは人間です……」

「人間とかウクーとか気にしていないよ。多少うっかりはあったとしても、クラッペさんは他人を陥れるような人じゃないってわかってるから」


「仮にメツケ役になったら、自由がきかなくなってしまいませんか?」

「う~ん……そんなふうには感じないなあ……人間にはウクーが“自由”に見えるかもしれないけど、主の意思に反することをすれば、すぐにメハトを通して罰せられる。命を握られてるって言っても過言じゃないんだ。常に主の監視下にあるって考えたら、人間よりも不自由な存在なんだよ。それに自分のためでもあるんだ。これまでなんとなく流されて、人付き合いを蔑ろにして生きてきた気がするから。きちんと向き合いたいって」

 

 曇りなき眼に捉えられたわたしはパッと目を逸らした。


「でも、わたしはウキウクここでは余所者です……だからわたしが我慢すれば全て上手くいくんじゃないかって……」

「それでいいの?後悔しない?」

「…………はい」


「そうやって自分に言い聞かせてるだけだよ。僕がクラッペさんの立場だったら、何も悪いことしていないのに国から追い出されて、元伴侶は浮気相手とのうのうと過ごすなんて絶対耐えられない。クラッペさんは人間だけどウキウクの住人。何も引け目を感じることはない。それに、あなたは”元夫を見返したい”って思ってここにいるんでしょ?」

「ああ、はい……」

「じゃあ実現しなきゃ。そのために役立てるなら力を貸すよ」

 

 彼の力強い言葉と笑顔に、わたしの心の中の靄が少し晴れた気がした。


「あ、ありがとうございます……」

「まだ浮かない顔してるね」

「いえ……もし、わたしがここに住み続けられるようになっても、元夫は強引に娘を引き取りそうで……」

「クラッペさんが育児してきたのに?」

「人間とウクーならウクーが優先されるから。特別な事情がない限り……あ、子供迎えたのに浮気してたなら不貞行為ってことで処罰の対象になるかも……って言っても証明する方法がないな……」

 わたしはガクリと肩を落とした。


 あれは「浮気じゃなかった」とか「離婚後のことだ」と言われてしまえばそれまでだ。


(わたしがウクーならこんな悩みないのに…………くそぉ~!!)

 ぎゅっと両手を握りしめ、俯きながら心の中で狂乱するわたし。

 その間、リルさんは静かに何かを考えていた。


「それって、相手と対等な立場になれば、コンソメちゃんが引き取られずに済むってことだよね?」

「はい、まあ、そうなんですけど……わたしがウクーにならない限り無理ですよ。そんなの不可能だし。あとは新しいパートナーがウクーなら、片親がウクーってことで認めてもらえるかも……」


「じゃあ、なろうか」

「えっ……?パートナーに!?」

「メツケ役になるんだったら、パートナーになるのもあまり変わらないことだと思うんだけどな」

「そんな、好きでもないのに……」

「好きだよ」

「はっ……?」

 

 真剣な表情で言われたら、頭の中がぐるぐるまわって、わたしはもう何と返せばよいのかわからなかった。


「あ、こんな頼りない奴に言われても嫌だよね……この話はなしに……」

「いえ……!!好きです…………!!」

 大声で叫んでしまったわたしは恥ずかしくなり口を押えた。

 幸い近くには誰もいなかった。


 メツケ役を引き受けてくれるだけでなくパートナーにまでなってくれようとするなんて、いくら“昼休みの親友”でも、それだけは天地がひっくり返ってもないと思っていた。


「で、でも………わたしにとっては精神安定剤的な存在で……あまりにも唐突すぎて…………」

 しどろもどろになって俯くわたしに彼は、

「すぐに”パートナー”になる必要はないよ。形だけそうして、お互いを知りながら徐々に仲を深めていくっていうのでもいいと思う」

「形だけ……」

 所謂、仮の結婚というやつか。

 それでも、上手いように彼を利用しているみたいで気が進まなかった。


「あ、それも嫌かな……」

「いえいえいえいえ……!!すごく嬉しいです。じゃ、じゃあ、メツケ役はお願いしてもよいでしょうか?」

「うん、わかった」

「ありがとうございます。でもパートナーのことはその…………すみません、上手くまとまらなくて……」

 わたしが言い淀んでいると、彼は優しい口調で言った。


「思うところがあるのは、経験と時間を積んで想定できる自分になったってことだから、悪いことじゃないんだよ」

「はい……少し考えてもいいですか?すみません……」

「あまり深刻に受け止めないでね。待ってるから」

「はい……」


 本心はこの場で「是非!!」と言いたかった。

 でも、コンソメもいるのに、上手くやれるのだろうかという不安のほうが大きすぎて、軽率な返答はできなかった。


 

 翌日いつも通り出勤したが、昨日の告白が気になって仕事に集中できなかった。


(はあ…………“好き”って男の人に言われたのなんて元夫以来……いや、ウルリュウ先生にも言われたな。まあ、あれは本気じゃないからノーカウントだな)

 

 思い出すだけで背筋がぞくりとした。

 リルさんに言われた時は、頭はふわふわ、胸はドキドキだったのに。同じ男前でも質の違いによってこうも捉え方が違うのか――


(にしても、わたしなんかの一体どこを好きになったんだろう……昨日聞けばよかったけど、テンパっててそれどころじゃなかった……)


 手を止めて、窓の外をぼんやり眺めていると視界の端に不吉な影が映った。

(あっ、やばい…………)

 不運なことに、窓の近くで主任の先生と話していたウルリュウ先生と目が合ってしまった。


 咄嗟に視線を逸らしたが時既に遅し。

 彼は会話を中断すると忍者が壁を伝うようにスーッと移動して、わたしの隣へやって来た。


「今見てただろ?」

「え、いや、見てません」

「だって、めっちゃ目合ったじゃん」

「気のせいですよ」

「気のせいで見つめたりしないだろ?」

「別に見つめてないです」

「まあまあ~他の人には言わないからさ、言ってみ」

 

 耳に手を当てて、聞き出そうとするウルリュウ先生に、

(ああ、うざい……)

 わたしはげんなりしつつも、話すことで気が紛れるかもと思い、

「ある人に『パートナーになって』って言われて、ちょっと迷ってるんです」

 と胸の内を明かした。


「へえ~いよいよ、クラッペさんにも春再来かあ~~いいじゃん。付き合っちゃいなよ!!」

 想定内のノリの軽い答えが返ってきた。


「あ、ちなみに相手って、俺が知ってる人?」

「ああ、はい……」

「リルっち?」

「へっ……!?何で……?」

「だって、最近親しい人って言ったら彼くらいだし」


(こういう時、交友関係乏しいと裏目に出るんだよな……)

 バレるのも時間の問題だろうと、

「そうなんですけど……」

「そっか~」

 白状したら急にニコニコ顔になった。


「なんで迷ってんの?」

「わたし、人間なのにいいのかなって。メツケ役も引き受けてくれたから」

「じゃあ、な~んも迷うことじゃないだろ。第一、嫌なら引き受けないし。クラッペさんはリルっちのこと信用してないの?」

「してますよ……!!でも、ほら、一度失敗してるから、また同じことになったらって思うと、なかなか一歩踏み出せなくて……」


「なんだ、背中を押してほしいってことか」

「え、いや、まあ、そういうことになるのかな……白センで話してていいなって思っても、実際一緒に暮らしてみるとそうじゃなかったってこともあると思うし……なんかもういきなりすぎて……」

「いきなりって、1日で付き合うことになったわけじゃないだろ」

「5か月くらいかな……わたしにとって短いって感じるんだから、ウクーにとってはもっと短いんだろうなって……」

「付き合いが長ければいいってもんでもないぞ。それに、このご時世 “交際ゼロ婚”ってのもあるくらいだからな。この国ではどうか知らんけど……まあ、そこんとこは気にしなくてもいいんじゃね?」

「そうですかね……」


(ハユキ先生に話すべきだったかな……)

 人選を間違えたことを後悔しかけたが、

「人間の人生って短いんだからさ、“好き”って言われるうちが花だぞ」

「そう、ですね……」

 不本意にもその台詞が心に沁みてしまった。


「にしても、彼も身を固める決意をしたのかぁ…………お互い支え合って生きるか~いいねえ~クラッペさんとは合いそうだし」

「いや、わたし地味なのに……」

「リルっちは意外と素朴好みだと思うぞ」

「そうなんですか………?」

「相談の時、色々話してくれるよ。仕事のことはもちろん、趣味や好きなこととか……」

「へえ……」


「あれ、もしかして妬いてる?」

「は?」

「そうだよな。週2回とはいえ、俺のほうがリルっちとは付き合いが長いわけだし……」

「え?」

「好きな人の秘密を他人が知ってるって、やっぱちょっとモヤるだろ?」

「……そんなことはないです」

「まあまあ~でもさ、俺とリルっち、2人きりで何話してるか、正直気にならないか?」

「いやそこまでは……」

「教えてあげたいのはやまやまだけど守秘義務あるから……ごめんな」

「はあ……」


 人が頼んでもいないことに対して、よくもこうぺらぺらと思い込みで喋れるなあとわたしは別の意味で感心していた。

 わたしの大きな溜息にも彼は全く気に留めていなかった。


 と、そこへカウンセリングを終えたハユキ先生が事務室に戻ってきて、

「あら、珍しい」

 わたしとウルリュウ先生が話しこんでいる様子に驚いていた。


「お悩み相談だよ。無事に解決したんだぞ」

「ホンマに?」

 鼻を鳴らす彼を疑わし気な目で見るハユキ先生。

 わたしは、

「うん、まあ……そんな感じかな……はは」

 本当のことを言うと、また面倒ごとになりそうだと思い、うやむやにしてしまった。


「ちょっと視線が合ったとかで、自分に気があるんか~って絡んでるんかと思ったわ」


(ハユキ先生鋭いな……って、まあウルリュウ先生の言動と性格知ってたらそうなるのか……)


「ハユキ先生も何か悩みがあれば俺が相談乗るぞ」

「いえ、うちは悩みないんで……あっても、自力で解決できるからいいわ」

 ハユキ先生がクールにスルーしようとすると、ウルリュウ先生は行く手を阻んだ。


「1人で抱え込むのは良くないぞ~ここは信頼できる相手に話したほうが、手っ取り早く解決するし、気分もスッキリするぞ」

「なら、ウルリュウ先生には相談でけへんわ」

「なんで?」

「だって、信頼できる相手ちゃうもん」

「え~~」

 

 ハユキ先生の冷ややかな視線を受けても彼はひかなかった。


「そんなにはっきり言っちゃう~?あ、でも、わかるかも。異性に相談するのは勇気いるもんな」

「いや、どっちでも変わらんし」

「まして、俺みたいに出来過ぎる男前だと、恥ずかしいって思うのも無理はないよな……うんうん」


 一人悦に入るウルリュウ先生に、ハユキ先生はゴミを見るような目で「アホか」と短く言い捨てて、再び部屋を出て行った。


「ああ、もう、素直じゃないなあ~」

 はっはっは……と虚しく響く笑い声。


(相談の時は頼れる存在感出てるのになあ…………)

 わたしは惜しいなあと残念に思いながら、やれやれと首を振って自席に戻る先生の後ろ姿を見送っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る