第7話
ある日の午後、わたしはカウンセリングが終わったリルさんとロビーで話していた。
10分ほどして妙に冷たい視線を感じるなあ……と玄関のほうを見やると、グレーのスーツに身を包んだ30歳すぎの外見の男性が立っていた。
「あ……」
「知ってる人?」
「元夫です」
わたしの気まずそうな口調からリルさんは察したのか、
「じゃあ、今日はもう先に帰るね」
にこりと笑ってから玄関に向かい、軽く会釈をして元夫とすれ違った。
リルさんが出て行ってからしばらくして、元夫はわたしのほうへと歩いて来た。
「邪魔をしたな」
黒髪短髪のキリっとした顔立ちに切れ長の瞳。
知的な雰囲気が漂うこの男性は元夫のモノスキニだ。
「そりゃ、もう……何か用?」
せっかく貴重な癒しのひと時を満喫していたのに、ぶち壊されたわたしは内心苛々していた。
「コンソメのことが気になってな。今日はたまたま時間がとれたんだ」
「はあ、そう……じゃあ、直で学校に行けばいいのに」
「ここを通ったら鈴樹の姿が見えたからな」
元夫はわたしのことをずっと、本名の“鈴樹”でしか呼んでくれなかった。
当時は“夫だけの呼び名”という特別感を抱いていたが、今思うと、わたしをこの国の住人として認めていなかったのかもしれない。
「さっきの男は誰なんだ?」
「ここの利用者さんだよ」
「懇意にしているのか?」
「え……?フツーに世間話してただけなんだけど…………なんでそんな怖い顔するの?」
眉間にしわを寄せる元夫にわたしはわけが分からなかった。
「よく考えてみろ。鈴樹は人間、あの者はウクーだろう」
「そりゃ、人間のが少ないんだから必然的にそうなるよ」
「それだけではない。見目の良い奴はもっと華のある者を好むんだ。」
「いや、わたしは地味だけどさ……でも、彼は見た目で判断する人じゃないよ」
「それは”ウクーなら”だろう」
「何それ?彼は仕方なくわたしの相手してるってこと?」
「ああ。老化の兆しが表れている人間に好意を抱くはずがない」
「老化ってねえ…………人間は40も過ぎると、体や心に不調をきたすものなんだよ。自然現象なの。そうと知ってて求婚したのはあなたじゃないの?」
「当時は今とは違って体型や身なりにも気を遣い、優しく愛嬌もあったからだ」
いちいち“今とは違って”と言ってくるところが小憎らしかった。
コンソメを迎えてからは、自分のことよりも娘のこと優先で、服装や化粧も適当になっていたり、苛々して怒りっぽくなっていた時期もある。
ただ、それも娘が成長するにつれておさまってきたし、体型については、風に吹き飛ばされそうなくらい痩せていたのが、強風の中でも踏みとどまっていられる体重になっただけで激太りしたわけではなかった。
「まあ、わたしも、『これは運命なんだ!!』『私には貴女だけなんだ!!』って愛の言葉を囁かれて舞い上がってたところもあったよ……でも、歳とって身も心もオバサン化したわたしと、コンソメの面倒みるのに嫌気がさしたんでしょ」
「違う。人間とウクーの共同生活には限界があると感じたからだ。私とお前では価値観が違うんだ」
「はいはい。価値観のすれ違いだね。もういいよ、この話は。キリがないもん」
元夫としては元妻の交際関係が気になるところなのか。
逆の場合、残念ながらわたしは全く気にならなかった。わたしは、はあとため息をついた。
「リルさんは良い人だよ。老若男女分け隔てなく接してくれる」
「では、彼が肥満体型で不細工でも良かったのか?」
「そんな極端な…………」
(多少肥えてても元が良い人はかっこいいと思うけど……うう、意地悪なこと聞くよなあ~)
いきなりとんでもない仮定話にわたしは口ごもってしまった。
すると元夫はそれみたことかといった顔で、
「ほら、私とおなじように、あいつも見た目で選んだのだろう」
「は……?何?わたしはモノを見た目で選んだと思ってるの?」
「ああ」
「はあ…………」
(その自信はどこから来るんだよ……)
生真面目なボケでもかましているのかと思い、わたしはずっこけそうになった。
確かにウキウク国の人達に比べたら、ニホン国の男性なんてイモみたいに見えるかもしれないが、生憎わたしはそこまで面食いではない。
「話してて楽しいから会ってるだけだよ」
「コンソメの教育上にも良くない」
と言い放つ元夫にだんだん苛々してきた。
「貴方もコンソメを困らせてるでしょ。聞いたよ、トオシ塾のこと。コンソメは“嫌”って言ってるのに……」
「自立したらもっと時間が少なくなるだろう。今が始め時なんだ。いや、もう遅いほうか……」
「でも、今は今で大事だよ。学校の友達と遊んだり、趣味に打ち込んだり……無理矢理通わせても力がつかないよ」
「同じような子供は他にもいる。初めは乗り気ではなかった子も、塾に通ううちに自然と力が身についてくるものだ」
「勉強じゃないんだからトオシを鍛えるのは個人の自由じゃないの?本人はうまくできるか不安があるようだし……」
「それも学ぶことで解消されていく」
「いや、それって“トオシをもっと極めたい!”って思いがあるってのが前提でしょうに……コンソメは全くそんなこと思ってない」
「力のある者はそれを活用する義務があるんだ」
「はあ……?」
今度は“義務”という言葉を持ち出した元夫にわたしは呆れた。
「自分に能力がないからって、他人に夢を押し付けないでよ」
元夫にはトオシ能力がない。
昔からそれがコンプレックスだというのも知っていた。
「私は父親としての役目を果たしているだけだ」
「こういう時だけ父親ぶって……」
いまや他人どうしなのに、なんでこうもつっかかってくるのか。
メツケ役とはいえ上から目線すぎるだろう。
わたしは「もうほっといてくれ!!」と掴みかかりたい気持ちをぐっとこらえ、
「早くコンソメのところに行ってあげたら?」
と顔を背けてやった。
彼は、
「あの男だけはやめとけ」
念を押すとロビーを抜けて渡り廊下へと向かった。
(くっそ~!!あいつ、一体何様だ……!!)
わたしは腸が煮えくり返るほどの怒りに叫びそうになりながら事務室へ向かっていた。
昔から元夫はやや高圧的な話し方だったが、もう少し温かみがあった気がする。
きっちりタイプのイケメンで、ぐいぐい引っ張っていってくれる頼れる存在感に、まだまだ夢見る乙女感が抜けなかった当時のわたしは騙されたのだろう。
元夫とは、出会いから結婚に至るまで半年もかからなかった。
美形揃いのこの国で、なぜ彼が十人並みの
おそらくケガを手当してあげた時に、わたしが美人度5割増で天使のように見えたのだろう。弱っている時に優しくされるとコロっといってしまうのはウクーも変わらないらしい。
だからといって結婚まで決意できるとは余程元夫の心に響いたものがあったのか、別の考えがあったのか――今更考えても仕方ないことだった。
コンソメの特別授業が終わる頃、学校に行くと教室からハユキ先生が出てきた。
「あ、クラッペさん。元旦那さん来てたで」
「そうなの……!!実は…………」
わたしは一連の出来事を話した。
「元夫は悪い人じゃないんだけど、言い方がきついというか……昔はあんなんじゃなかったのにな」
「”悪い人じゃないけど”てのが一番質悪いと思うで。てか、元パートナーに“老化した”とか失礼やろ!!クラッペさん可愛いのに……!!中庭に呼び出して締め上げたろかな~」
「ええっ…………?」
悪魔の笑みを浮かべ物騒なことを言うハユキ先生に背筋が凍りつつ、親身になってくれる存在に感謝した。
「でもなんでリルさんに、あんなに敵対心抱くのかわからないんだけど」
「ずばり、ジェラシーやろ」
「嫉妬?トオシが使えないから?」
「それもありそうやけど……」
「自分よりカッコイイ相手と仲良くしてたら、もやってするやん」
「そうなのかな?」
「もしくは、昔の恋人を取られたとか?」
「え~まさかそんなこと……」
わたしは「ない」と言いかけて、
「ありえないこともないか……」
考え込んでしまった。
「想像できるやろ。本人にその気がなくても、ふわっとさらっと引き寄せて~とか。でも、橙と白って遠すぎるから2人に接点があったかどうかわからんな」
「はあ……昔のこと持ち出されるとなあ……あ、それより、コンソメはどうだった?」
「今日も元気にやってたで。一度教えたことはすぐに真似して覚えてくれるし、パパが見てたからか、張り切って挙手もしてた」
「パパのことは大好きだからね……」
わたしはため息をつくと、教室から出てきたコンソメが、ぱあっと明るい顔で駆けてきた。
「ママ~!!今日ね、パパ来てくれたの!!『頑張ったな』って、頭なでなでしてほめてくれた!!」
満面の笑みではしゃぐコンソメにわたしは内心複雑な思いだった。
(今日はトオシ塾のことは言われなかったのか。ってかこの頃、やたら白センに来るよなあ……やっと父性に目覚めたのかな。コンソメが喜んでるならいいけど)
父として娘を見守ってくれる分にはありがたいが、本人の気が乗らないことを言い続けたり、元妻の交友関係までいちいち口出しされるのは不快だった。
「トオシ塾のことはきちんと『嫌だから』って言ったから」
「何て言ってた?」
「そうか、って」
納得した、納得してないどちらの意味にもとれる曖昧な返事だなと思いつつわたしは、
「パパの機嫌うかがう必要ないからね。コンソメはコンソメの思いを正直に伝えればいいんだから」
とコンソメの頭を撫でた。
「うん。あと、『ママとあんまりケンカしないでね』ってのも言っておいたよ」
「えっ?ケンカはしてないんだけどな……」
「さっき教室に来る前、パパとママ、白センで会ってたんでしょ。その時のことがもやもや~って頭の中に浮かんできて、言い合ってる場面が見えたから」
「え…………そこまで見えてたの?」
「会話の内容までは聞き取れなかったけど、2人ともぷんすかしてた」
「す、すごいなあ……」
これが卓越したトオシの力なのか――元夫が力を伸ばしたいというのもわからなくもなかった。
でも、本人はそれができたところで得意げになるわけでもなく、むしろ心配事が増えたような顔をしていた。
「うちも元旦那さんほどじゃないけど、コンソメちゃんはトオシの才能あると思うで」
わたしとコンソメのやり取りを聞いていたハユキ先生が口を開いた。
「でも、トオシ塾は勧めやんな。なんかめっちゃ胡散臭いニオイがプンプンするし……それなら、学校で今、講師募集してるから、その人に指導してもろたほうがええと思うわ」
「トオシの授業も始めるの?」
「うん。力ない子達も、どういうもんか知っとくのは大切やからって、年明けから授業進めてく予定らしい」
「へえ~で、誰かもう来たの?」
「2、3人、面接来たらしいで。採用されるかはまだわからんけど」
渋い表情を浮かべるハユキ先生にわたしは、
「楽しく取り組める授業だといいんだけどな~」
と言うと彼女も目を細めた。
「ほな、今日はこのへんで。また来週な~」
「は~い。ありがとうございました~」
挨拶をして、わたしとコンソメはハユキ先生と別れた。
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