第6話
朝夕めっきり冷え込む頃には、リルさんとの雑談もすっかり定着しつつあった。
昼休みの時間にちょこっと話せるというのが、わたしにはほどよい息抜きになっていた。
お昼ご飯のおにぎりを食べ終えたわたしは、お手洗いに行った帰りにロビーに寄ってみると、玄関に近い席にリルさんがいるのが見えたが、既に若い男女3人と談笑していた。
(まあ、今日はいっか…………)
たまにはこんな日もある。
10年も通っていれば白センの友人がいてもおかしくないし、わたしと喋るよりもきっと有意義なこともあるだろう。
なんとなく眺めていると、視線に気付いたリルさんが小さく手を振ってくれた。
と同時に男女の視線も一斉にわたしに向けられ、思い切り「誰?」という顔をされた。
小恥ずかしくなったわたしは、少し頭を下げて足早にロビーを通り中庭へ向かった。
さわさわと風が吹き、秋色に染まり始めた木々の葉が音を立てて揺れる。
わたしはひとりベンチに座り、持っていたクリアファイルの中から印字された紙を1枚取り出すと、オノオさんから依頼されていた掲示物の修正箇所をチェックし始めた。
「ここにいたんだ」
「あっ……こんにちは」
足音も立てず現れたのはリルさんだった。
甘美な花の香りをふんわりと纏ったままわたしの隣に座った。
首に巻いている薄手のストールは、藤色から菫色にグラデーションがかり、その優雅な色合いに匂いが相まって、幻想的な空間にいるような心地にさせた。
(いい香りだな……歩く芳香剤?アロマ?癒される~)
すう……と深く息を吸い込むと、清楚で華やかな空気が全身にいきわたり、緊張感もほぐれた。
「休憩時間も仕事なの?」
「ええっと、これはすぐにできそうだからやっとこうかなって……」
「ちゃんと休めてる?」
「は、はい、もちろん。さすがに体力の限界まで働くのは無理なので……疲れたら適度に休憩とってるので大丈夫です」
「そっか、なら安心したよ」
「いえ、お気遣いありがとうございます……」
いつものクセでやっていることを改めて指摘されてわたしは焦った。
そして彼は、私が手にしている紙の隅にちょこんと載っている、ゆるりるりを指した。
「そのキャラクターいたるところにいるよね。たしか、6年くらい前に変わったんだっけ。随分可愛くなったなあって……」
「あ、ありがとうございます。そうか……リルさんが利用し始めた頃は、まだ初代でしたもんね」
「そうそう。“ゆるりるり”」
「名前覚えてくれたんですか?」
「うん、自分の名前が入ってるからなんとなく気になってた」
「はっ……そういえば……!!」
(“ゆるりるり”……“りる”が入ってたんだな。すっかり見落としてた……)
「だからって何かあるわけじゃないけど……」
「どことなく似てるし、親近感がわきますよね……あ、いや、そんなことないか…………」
手元の“ゆるりるり”に視線を落とすと、彼には似ても似つかぬとぼけた面をした2足歩行のコアラがいた。
いくら名前が入っていて瞳も同じ青色系だからといって、こんなへなちょこキャラクターに親近感わくなんて失礼すぎるよなと思った。
でも、爽やかでやさしいブルーを基調としたパンフレットの色合いは、彼のイメージにぴったり当てはまる。
アイボリーや淡いグリーンがポイントで入っているのも清潔感をより一層引き立てていた。
「2代目は訳あってこんな形に……すみません」
思わず謝るとリルさんは首を傾げた。
「これもクラッペさんが考えたの?」
「考えたというか、無意識に思いついたというか……モデルは白さんらしいんですよ。けど、ウォンバットでもないし、色も違うし……ガラリと変わってしまったのにOKもらえて……奇跡です」
「これはこれで、また違った可愛さがあるよ。白センのイメージに合ってると思う」
「そ、そう言ってもらえると嬉しいです……偶然の産物ですけど、結構気に入ってるんですよ。落書きはちょこちょこ描いてても、きちんと絵を描くってなると難しいので……」
「日頃の練習の成果が表れたんだね」
「そうだといいんですけど……公の場で使われてると、自分って役立ってるんだなってモチベーションも上がるんですよね」
「無から何かを創り出せるなんてすごいよ。僕は芸術的なことは苦手だから羨ましい」
「芸術なんですかねえ、これは……」
「発想力、想像力が豊かだと思う」
「ありがとうございます」
わたしが深々とお辞儀すると、彼はくすくすと笑った。
「それ、別に敬語じゃなくてもいいんだよ」
「えっ?いや、わたしは、その、恐れ多いというか……このほうが慣れてるというか話しやすいので……!!」
「ある程度の距離は保ちたいもんね」
「そ、そういうのじゃなくて…………!!」
誤解を招かないように伝えようとわたしはあたふたしていた。
「リルさんのこと嫌いだとか、距離をとりたいとかじゃなくて、その、もうクセになってしまってて……」
「そっか。ならいいんだよ。困らせてごめんね」
「いえいえ、わたしのほうこそ……」
ふわりと微笑む彼にわたしは申し訳なく思い、
(はあ~~気を遣わせてしまったな……)
何気なく耳後ろの髪を触ると毛束がびよんと飛び出てきた。
(あっ……まずい……)
今朝は時間に余裕があったので、後ろの髪を何本か三つ編みにしてゴムで結びヘアピンで留め、それをまとめてリボン型のバンスクリップではさむという力技のアップスタイルにしてみたのだが、三つ編みの1本がだらんと落ちてきていた。
ヘアピンを外して直そうとするも、ごわついた髪はなかなかうまく留まってくれない。
(どうしよう……洗面所で直してこようかな……)
悪戦苦闘しているわたしを眺めていたリルさんが、
「よかったら、髪整えようか?」
と言ってくれた。
「えっ……!?いいんですか?」
「手櫛になるから、あまり綺麗にはできないだろうけど………」
「やってもらえるなら是非……」
「うん。じゃあ、ヘアクリップ外してくれるかな」
リルさんは立ち上がってわたしの後ろにまわった。
モカ茶のバンスクリップを外した途端、三つ編みに結んだ4本の毛束がばらけ、一部がヘアピンに引っかかって落ちかけた。
「そのままでいいよ」
「お、お願いします……」
彼の細くてしなやかな指が髪の毛に触れる度に心臓が高鳴り、わたしは首を動かすことさえできないくらい固まってしまっていた。
鏡がないので今がどういう状態かわからないが、手際よく進めているようだった。
(あっ、白髪あるかも……最近切ってなかったからなあ…………)
30代後半からじわじわと増えつつある白髪。
髪の毛をかき分けて発見する程度の本数だが、黒に白が混ざっていると目立つものだった。
ピン、とちょっと引っ張られた感覚がすると、
「痛くない?」
「だ、大丈夫です……」
リルさんは丁寧に聞いてくれた。
「すごいですね。編み込みできるなんて」
「……昔、よくやってたから」
その妙な間に、
「恋人にですか……?」
わたしはうっかり聞いてしまったが、
「うん」
彼は戸惑うことなく答えてくれた。
「優しい時間が流れてたんですね。いいなあ……」
「当時はそれが”ずっと”続くものだと思ってた。でも自分の移り気のせいで、ひどく追い詰めてしまって……あの頃は恋人への執着心が強すぎたんだ」
「あ、すみません……!!辛いこと思い出させてしまって」
「いいんだよ。今はもうだいぶ落ち着いて……未練なく生活できてるから。今は相手の幸せを願うだけだよ」
「今でもその人のこと好きなんですね。じゃないと相手の幸せを願うなんてできませんよ」
「クラッペさんは?元旦那さんとは?」
「ここに来たら嫌でも顔合わせますけど、娘のため、渋々ですね。愛情はもうないです。完全に冷めきってます。元夫の幸せとか、ぶっちゃけ知るか!!って感じです」
「はははは………」
彼は吹き出した。
「クラッペさん、面白いなあ」
「すみません、毒吐いてしまって……思ってることがそのまま出てしまいました」
「かまわないよ。本音を言ってもらったほうがラクだから」
「普段、他の人と話すことがあんまりないから……あ、ハユキ先生とは仲良いですけど、親しい利用者さんはいないのでリルさんと話せるのは新鮮です」
「僕も人間の知り合いはいないから、気兼ねなく話せて楽しいよ」
「え、あ、はい………」
わたしが「ありがとうございます」と言おうとすると、
「できたよ」
髪が結い終わった。
後ろの髪を触ってみるとぴっちり編み込まれているのがわかった。
「また、あとで鏡見て確認してね。変なとこあるかもしれないから」
「いえ、ないです……ってこれ、お金支払ってもいいくらいのレベルですよ」
「代金は要らないよ。色々助けてもらったお礼にと思って」
(色々……そんなに助けたっけ?)
わたしの心の声が聞こえたのか、
「宝玉の時、フラフラさんの時、あと、介抱してくれた時だよ」
「ああ……いや……でも…………」
躊躇したが、ここは厚意に感謝して、
「…………じゃあ、今度何かあった時のお礼はヘアセットでお願いします」
と冗談のつもりだったのに、
「うん、それでもいいよ」
飾り気のない眩しい笑顔で答えてくれた。
「あ、もうすぐ相談の時間ですよね。わたしも仕事に戻らないと……」
「もうそんな時間か。じゃあまた来週……」
「はい。ありがとうございました」
「こちらこそ」
軽く会釈をすると、彼は先に建物の中に入っていた。
事務室に戻ると、窓際の植木に水遣りをしているハユキ先生がわたしに気付いた。
「お疲れ~……あ、今日は髪、アップにしてるんや。珍しいなあ~可愛いやん」
午前中は外出していたので、今日顔を合わせるのは初めてだった。
「ああ、これ、リルさんにしてもらったんだ」
「えっ!?」
「自分で結んでたけど取れちゃって……たまたま会ったから、さっと直してくれたんだよ。器用だよね~」
ハユキ先生は口をぽかんと開けていたが、
「仲良い感じやん。くっついたらええんちゃうん?」
とにやにやした。
「えっ……彼くらいかっこよくてモテるなら、彼女の1人や2人、もういるんじゃないかな……」
「わからんで」
「そ、それに、わたしじゃあ釣り合わないよ……」
「元、玉の輿やのに~」
彼女は声を出して笑った。
「元旦那さん、金持ちで、そこそこ男前やん」
「まあ、そこはね……あの頃のわたしはピッチピチの20代だったし……正直、自分の可愛さに自信があったよ。ああ……人生最大のモテ期に出会ったのが運の尽きだった」
「これからも来るかもしれんで、モテ期」
「はは……ないない。なんか、こう、”スマートで素敵な大人の女性!!”ならまだしも、わたしみたいに所帯じみてると彼とはバランスがとれないというか……」
「いや、むしろそっちのがええと思うで。今まで華やかな環境におったわけやし……自然体でいられるほうが本人も負担かからんで済むやろに」
「もうちょい若かったら、ロマンスを夢見てただろうけど、今は娘もいるし、新たな恋愛する体力がないよ」
「そうやってまた歳を理由にする~クラッペさん、真面目なんよ」
「そう?」
「なんていうか、浮かれてるとこみたことない」
「そんなことないよ。なんか、次また、誰かと付き合うことになっても、心変わりされたら……って思うと怖くて」
「元旦那さんのことか」
「うん。人とウクーってパートナーになると、うまくいかないものなのかなって……あの人も、昔はもっと優しかったのにな~変わったなあって。それはわたしも同じなんだけどね……ちょっとしたことで苛々してきつく当たったことも何度かあったから」
「一緒になるってそんなもんちゃうん?パートナーになるって、違いをどれだけ許容できるかってことやと思うで」
「うん……そうなんだろうね。でも、だから、余計に次の人を考えると慎重になってしまうな。特にリルさんは……深入りして汚したくないって思うんだ。辛い経験してきただろうから。わたしが関わって悪い方向にいったら嫌だもん」
「悪くはならんよ、きっと。自分とは違う世界で生きてきた人や、考え方の人と交流するってのは良い刺激になるからな。彼がどう捉えるかはわからんけど」
「『気兼ねなく話せて楽しい』とは言われたけど……」
「おっ、ほな、脈アリやん。話してて楽しいは基本やからな。陰ながら応援しとくわ」
「いや、ちょっと待ってよ。この前は『惚れたらアカンで』って言っときながら、応援するって……」
「クラッペさんならもしかして、彼と上手くやってけるんちゃうかなって思ったんよ」
「上手くはわからないけど、自然に会話できるかな」
「ええやん。そういう人身近におったほうが。なんでもないこと喋って笑って楽しい、嬉しいって思うのが一番のリラックス方法やで」
「ハユキ先生と話してる時もそんな感じだよ」
「はは、ありがと」
「まあ、彼とはここで会えれば満足。十分潤ってるから大丈夫だよ」
「クラッペさんがそう言うんなら……うち、自分は恋愛したくないけど、他人の恋愛話はわりと好きなんやん。また進展あったら教えて」
「進展?進展か……う~ん、何かあればね……」
わたしは取り繕うように笑ってみせた。
その日の夕食後、わたしがリビングで本を読んでいると、浴室の扉が開く音が聞こえた。
現在の住まいは元夫と暮らしていた時に住んでいた平屋建ての家だ。
3DKと2人暮らしには十分な広さで、コンソメの部屋と寝室以外の個室は物置になっていた。
キッチンダイニングの隣は浴室につながっていて、浴室といっても湯舟はなく、シャワーのみだ。
本来ウクーは入浴の習慣がなく、ミストシャワーだけで済ませる。
裸にならずに服を着たままでも体を洗えて、しかもすぐに乾くという、入浴と洗濯が一つになった何とも画期的なシャワーだ。
わたしも一度試したことがあるが、服が肌に張り付く感じがどうしても気持ち悪くて耐えられず、結局、通常のシャワーをつけてもらった。
今ではコンソメも気に入って毎日シャワー浴を楽しんでいる。
しばらくして、上下レモンイエローの長袖パジャマを着たコンソメがリビングに入って来た。
「ママ、最近イキイキしてるよね~」
「そう?」
「ゆるりんのおかけじゃない?」
「ゆるりん?」
「リルさんのあだ名だよ」
「そんな、ゆるキャラっぽい名前、本人の前では呼んじゃだめだよ」
「それでいいよって、怒られなかったもーん」
「ならいいけど……って、いつの間にそんなに仲良くなったの?」
「たまに白センの中庭で見かけるんだ。あ、今日も放課後ね、ミナクちゃんとサキュリーちゃんと一緒に中庭で遊んでたんだけど、ゆるりんがいたからお話したんだよ」
「へえ~」
ミナクちゃんとサキュリーちゃんはコンソメの同じクラスの友人である。
「んで、ついでに勉強も教えてもらった~」
「えっ!?」
「宿題でわからないところがあって、聞いたら教えてくれた」
「自分で考えないとだめでしょ」
「だって、考えてもわからなかったんだもん。わからないことずっと悩んでるより、正解聞いて、そのやり方を覚えた方が効率いいと思うんだよね~」
「いや、まあそうだけど、考えることも大事なことなんだよ……ちゃんとお礼言った?」
「うん。教え方上手いからみんなすぐにわかったよ。また、わからないところあったら聞こうかな~」
「それは、先生に聞かないと。それに、リルさんも1人でゆっくりするために中庭に来てるのに、押しかけたら迷惑だよ」
「はいはい」
生返事のコンソメは、にこにこしながら、
「でも、ゆるりんって優しいよね~全然かっこつけてないし、なんか、そよ風みたいな人だな~」
と言ったので、
「初対面で抱っこしてくれるくらいだからね……また同じこと言わなかった?」
「コンはもう大人だからそんなことは言わない……!!」
わたしの揶揄に全力で否定した。
そして思い出したかのようにポンと手を叩き、わたしに尋ねた。
「ママ、この頃、お化粧濃くなったよね?」
「えっ?いや、それは…………身だしなみっていうもので……ほら、自分も綺麗にしとかないと失礼でしょ……!!」
ろたえるわたしにコンソメは「ふ~ん」と疑いの眼差しを向けたが、
「でも、ママも“推し”が見つかったんだね~良かったね!!」
満足げな笑みで飛び跳ねた。
「う~ん……推しとは違うかな。そっと見守っていたい人……?繊細そうだし」
「でも好きなんでしょ?」
「す、好きって……んまあ、人としてはね…………」
いきなり“好き”などとストレート表現する娘にわたしは動揺した。
「好きなものは好きって堂々としてていいんだよ。コンもハピィくん好きだし」
「ははは……ありがと。ハピィくんは可愛いもんね」
「うん!!コンの憧れで生き甲斐なの~……だから、ハピィくんを愛でられれば、それだけで毎日幸せなんだ……」
彼女は急にシュンとした。
「どうしたの?」
「今日ね、“進路について”ってテーマの授業があったの。みんな、将来なりたいもの、やりたいことを話してたんだけど、コンは何も答えられなかった……なりたいものなんてよくわかんないよ。それに趣味が充実してたら仕事はこだわりないかなって。そんなのダメなのかな?」
「ううん。ダメなことないよ。ママもコンソメぐらいの頃は同じだったよ」
「パパはね、コンにトオシを極めさせたくて『トオシ塾に通わないか?』って勧めてくるんだ……」
「トオシ塾?」
「うん。トオシのプロに学ぶらしい。コンはあんまり受けたくないんだよね……トオシは今くらいで、ちょっと探し物できるくらいでいい。あんまり出来過ぎて、人の心とか読めるようになったら怖いもん」
「それはだいぶ特訓しないとできなさそうだけど……」
「うん、だから嫌なんだよ。でも、嫌だからって他にやりたいことも特にないし……『それなら塾に行って、一度授業を受けてみれば気持ちが変わるかもしれない』ってパパが言ってた」
「う~ん……ここは正直に、学校の授業もあるし、趣味も楽しいから今はそこまで余裕がないって言ってみたらどうかな?」
「それじゃあパパは納得しないんだよ。学校は学校、趣味は趣味!って思ってるから」
「頭硬いなあ~」
「うんうん、コンもそう思う!!」
コンソメはテーブルを、ドン!!と両手で叩いた。
「コン、またパパにきちんと話しとく!!」
「困ったらママに言ってね」
「大丈夫!!”ムキ~!!”ってなったら、パパじゃなくて物にパンチしちゃうから!!」
彼女はキッチン横の木製キャビネットを尻目に溌溂としていた。
「壊すといけないから、やったらだめだよ…………」
まだコンソメが4歳頃だったか、床に寝っ転がってギャアギャア泣き喚く姿に腹が据えかねたわたしは「ふざけんな、コラァ!!」と、衝動的に傍のキャビネットを思い切り殴ってしまったせいで、片開き扉は大きくへこんだ上に、きっちり閉まらなくなってしまうという失態をおかしたことがあった。
帰宅した元夫に、正直に話して謝ると驚愕していたが、わたしを叱責することもなく、明らかに侮蔑した態度で「そうか」と呟いただけだった。
思えば、この頃から夫婦の溝が生じ始めていたのかもしれない。
「ママはコンが小さい時、よく物を投げてたよね」
「あの頃は特にイライラしてたから……ごめん」
反省するわたしにコンソメは、
「コンも、おもちゃ投げつけて暴れたり、そこらじゅうラクガキしまくってたの覚えてるよ」
とリビングからキッチンにかけてぐるっと見渡した。
どんなに気を付けていたとしても、手元が滑って物を落とすことはある。
更に小さい子供がいれば、遊んでいた玩具を投げたり、クレヨンやペンで床や壁に落書きするのは普通のことで、我が家にも目を凝らさないとわからない程度の傷や汚れは随所にあった。
(それにしても将来のことか……ウクーは高等教育が終わったらもう社会人なんだもんなあ……まあ、定職に就かなくても食いっぱぐれる心配はないんだけど)
高校、大学へと進学し、その後クリエイティブ系の企業に就職したわたし。
しかし、元夫と結婚するため1年半ほどで退職し、ウキウク国へ来てからしばらくは無職だった。
離婚後は白センで仕事をしているが、決して、夢や希望に満ちた子供の良い手本となる大人ではなかった。
「進路のことは急がなくても、ゆっくり決めればいいよ」
「うん、ありがとう」
すっかり元気になったコンソメは、
「さてと、“ハピィチャンネル”見なきゃ!!今日更新なんだ~」
嬉々としながら、テーブルに置いてあったタブレットを手に取った。
“ハピィチャンネル”とは、“ハッピィ・ハピィ”のキャラ紹介や、本編のピックアップ場面など、20分程度の動画である。
週末の夜に更新され、コンソメはいつもそれを視聴してから就寝する。
「見終わったら寝るんだよ」
「はいは~い!!」
快く返事をした彼女は動画を見始めた。
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