第5話
秋の気配も色濃くなってきた9月下旬。
その日わたしは朝からなんとなく体がだるかったため、昼食をとった後しばらく休もうと西棟の休憩所へと向かった。
白センにはロビーとは別に西棟の端にもう一か所、休憩コーナーがある。
主に相談利用で使う東棟とは違って人もまばらで、特に休憩時間中は人通りはほぼゼロなので、スタッフの束の間の息抜き所として使われることも多かった。
スタッフ皆気に入っているのが、ロビーにはないふかふかで大きなソファだ。
少し休むだけで疲れが吹き飛んでしまうくらい寝心地も抜群だった。
(ちょっとだけ寝よう……)
わたしは靴を脱いで、ころんとソファに横になった。
ニホンの更年期女性に見られる症状ははっきりとは出ていないが、歳を取るごとに体の疲れはとれにくくなったと身をもって感じていた。
十数分ほど経った頃だろうか。体勢を横向きに変えると何かが手に触れた。
(うん…………?)
ふんわりした細い毛のような手触り――
なんだろう?これって髪の毛?ちょっとあったかいし……誰かいたっけ……?
などと夢現で考えていたわたしは目を開け、それが人の頭だと認識した瞬間飛び起きた。
「うわぁっ…………!!!!」
灰桜色のカーディガンを着た灰青髪の男性が、わたしの膝あたりのソファ座面のスペースに顔を伏せていた――
(えっ?リルさん?なんでここに……!?ってか、大丈夫なの……!?)
混乱しつつも、とりあえず人を呼ぼうとソファから下りると、
「待って……」
目を覚まし立ち上がった彼に腕を掴まれ、いきなり正面から抱き着かれた。
「わっ?あの…………!!」
わたしはよろめきながらも彼をしっかり抱きとめると、項からふわりと甘い香りがした。
(うは~色気やばいな……めっちゃいい匂い……男の人に触れるなんて何十年ぶりだろ……いやいやいや!!今はそんなこと言ってる場合じゃない!!)
よく見たら、顔色が悪く呼吸も荒いではないか。
具合が悪いなら先生に伝えないと――と思っていると、リルさんは俯いたままぽそりと呟いた。
「先生には知らせないでほしい…………」
「で、でも……」
「お願い。このあとカウンセリングあるから…………」
彼は顔を上げた。
潤んだ瞳で見つめられたら断れるわけがなかった。
「わ、わかりました。とりあえず、ソファに寝てください……」
そっと体を離そうとすると彼は、
「ごめんね…………ありがとう」
辛そうな表情でソファに横たわった。
「大丈夫ですか?」
「……急に気持ち悪くなって…………少し休めば治るはずだから」
「あ、あの……何か飲み物持ってきましょうか?」
「ああ、うん…………」
「ちょっと待っててくださいね……!!」
急いで給湯室に向かったわたしは、流し台の前で「ふんふふふふ~ん」と上機嫌で鼻歌を歌いながら、お茶を飲んでいるウェンシスを見つけた。
「あっ、ウェンシス、いいところに……!!」
「先輩?どうしたんですか?」
「えっと……利用者さんが気分悪くて、お茶を持っていきたいんだけど、どれがいいのかなって……」
「う~ん、なら、すっきり系がいいですかねえ?」
「うんうん」
「それなら断然コレですよ!!」
ウェンシスは壁際にあるカントリー風の白いキッチン棚からティーポットと、茶葉の入った缶を手早く取り出した。
そして缶のフタを開けてティーパックを1つポットに入れ、お湯を注いだ。瞬時に爽快な香りが広がった。
「ハッカメティーか」
「レモンバームも入ってます。イライラや不安を落ち着かせる効果があるんです。ハッカメソウとダブル爽やかで、これならどんな状態でもたちまちスッキリしますよ」
ウェンシスは茶葉作りが趣味で、給湯室の一角には彼女専用の茶葉棚があるくらいだった。
「私イチおすすめです。ってか、今日はこれとローズヒップしかないんですよね。あっちは酸っぱいですからね。美味しいけどちょっと苦手で……自分で作っておいて苦手とかヘンなんですけど、少しでもそう意識してると自然と飲まないもんですね……へへへっ」
薄ら笑いを浮かべるウェンシスに、わたしは若干引いていた。
彼女は喋り出すと止まらないタイプで、特に好きなものについては放っておいても独りで語っている。
「また新しいの作っときまーす」
「う、うん……ありがとう」
わたしは彼女にお礼を言ってから、白いマグカップに入れたお茶をトレイに乗せて運んだ。
休憩スペースに戻ると、その独特な香りで、ソファにもたれかかっていたリルさんは瞼を開いた。
「お待たせしました。ど、どうぞ……」
「ありがとう…………美味しい」
ほっとした顔にわたしは安堵した。
「これ、ハッカメソウ?」
「はい。白センでとれたやつです」
「ここでも栽培してるんだ」
「5年くらい前に購入したんです。オノオさんが“いいお値段したのよ~”って嘆いてましたけど……」
「新種だと高いよね……」
「でも、これのおかげでオドロシムシ寄せ付けないんだから、虫除け剤買うよりコスパいいですよね」
「そうだね」
リルさんはゆっくり瞬きをした。
「あ、そのお茶、カモミールも入ってるんです」
「だから飲みやすいんだね。クラッペさんが作ったの?」
「いいえ……茶葉作りが趣味の後輩がいて、その子が選んでくれました」
「こんなに美味しくなるんだ」
彼はマグカップの中を凝視した後、何回かにわけて全て飲み終えると、
「ちょっと落ち着いたかも」
顔色もいくらか良くなっていた。
「良かったです……さっきは何事かとびっくりしました」
「ごめんね……ここのところ、急にお腹や頭が痛くなったりして」
「えっ……!?それって体のどこか悪いんじゃ……?」
「いや、メハトの副作用だって」
「副作用?」
「うん。ほら、ここに来た時に制御してもらったから、それの」
彼は首にある水色と白色のマーブル模様のメハトに触れた。
「時間が経てばおさまってく……って、ウルリュウ先生が言ってたけどね」
(ウルリュウ先生か……まさか、テキトーに診てるはずはないと思うけど)
ウルリュウ先生は性格にやや難があるが腕は確かだ。
「宝玉やフウラーヌラさんのことも、迷惑かけてごめんね」
「め、迷惑だなんて思ってないですよ……!!」
謝ってくれるリルさんにわたしはあたふたしながら、気に留めていないことを伝えた。
「またあとでウルリュウ先生に診てもらってくださいね」
「うん。ありがとう」
ゆっくり立ち上がった彼は淑やかに去っていった。
(まったく、強力な眠気覚ましだよ……)
わたしの眠気は既にぶっ飛び、体もいくらか軽くなって清々しい気分に包まれていた。
ぐーっと伸びをすると、「よし」と気合を入れて事務室へ向かった。
ロビーを通りすぎた所で、
「よっ!」
「わっ!」
ポンと誰かに肩を叩かれて思わず声が出た。
振り返ると目を丸くしたハユキ先生が。
「ぼーっとしてどないしたん?」
「ぼーっと?してたかな……」
わたしは頬をポリポリとかくと、先程のことを彼女に話した。
「ありゃま~……彼も大胆な手で攻めてくるな」
「攻めるって、本当に具合悪かったんだよ。はあ……イケメンって心臓に悪いことばっかりだな……」
「“クラッペさんは安心できる”って思われてるんかもしれんで」
ふふっと笑う彼女に、わたしは半信半疑だった。
「そうかなあ……先生ならどうしてた?」
「せやな…………」
うーんと考える仕草をした後、
「うちならとりあえず、そのへんの分厚そうなファイル持ってきて引っぱたくかな」
躊躇することなく言ってのけた。
(こ、こわい……)
「嘘や嘘。病人にそんなひどいことせんわ。まあ、そういう危険もあるってことや。やから敢えて無防備な姿晒せるのは、安心しきってたからやと思うで」
「でも、白センのスタッフに攻撃的な人っていないと思うけどなあ」
「怖い人はおらんやろうけど、“キモい”って人はおるやろ。ウルリュウ先生とか」
「あ、ああ…………うん」
「目覚めたら、あの顔が至近距離におるとか想像しただけでキモい」
「キモいというか、ぞわっとするかも……」
「やろ」
わたしの即答にハユキ先生は、にかりと笑った。
「“キモい”って言うても、あの人は褒め言葉として受け取るからな~」
「ポジティブだよね」
「ほんま厄介やわ……て、油売ってる場合じゃなかったわ。はよ行かな。ごめんな、じゃあまた……!!」
ハユキ先生は手をひらひらと振りながら足早に去って行った。
事務室に戻ったわたしが備品棚の整理をしていると、ガチャと扉が開いてカーキ色のスクラブを着た長身の男性が入ってきた。
「お疲れさん~」
明るく挨拶してくれた彼こそ、ハユキ先生に“キモい男”扱いされていたウルリュウ先生だ。
人間名は「
見た目は全然キモくなく、むしろその逆で、彫の深い顔立ちに整った無精髭がワイルドで渋い男を演出していた。
彼もまたニホン国でウクーに出会ったことがきっかけで白郡に移り住み、以来17年間、白センの相談員として勤務している。
気さくで利用者さん達にも人気があるという噂なのだが、やや自分に酔いしれているところがあり、ハユキ先生は彼を嫌っていた。
昔付き合っていたナルシスト彼氏を彷彿とさせ、更にウザさが増すからだそうだ。
「お疲れ様です。カウンセリング終わったんですか?」
「リルっちのこと?」
「はい。さっき体調悪そうだったので……」
「ああ……『スタッフにハッカメティーもらったらマシになった』って言ってたな。クラッペさんだったのか」
「たまたま休憩ルームで会ったので……彼は大丈夫なんでしょうか?そ、その……マーブルメハトだし……何か、平気そうな顔してるけど、どこか悲しそうに見える時があるから」
「う~ん……支えとなるものがまだなさそうだな。ちょっと脆い感じ………気になる?」
ウルリュウ先生は急に何かを探るような眼差しをわたしに向けた。
「え、いや、ほら……!!子を心配する母みたいなもんです」
「子って、クラッペさんのが若いのに……」
「気持ち的にってことです。弱ってると余計気にかかりませんか?」
「ああ、わかるわかる~!気丈にふるまってるけど、ふとした時に見せる儚い一面っていうのかな……」
「惚れましたか?」
「うん。ぎゅっと包み込んで守ってあげたくなる感じ……って何言わすんだよ!!」
「ぷふ……」
ノリツッコミに思わず笑いが漏れてしまった。
「柔和なイケメンで謙虚だし、嫌味もないし……」
ねちっこいウルリュウ先生とは正反対ですね、と言ってやろうかと思った。
「クラッペさんはどう思う?」
「なんでわたしに聞くんですか?」
「だって、個人のこと詳しく聞くなんて珍しいから。他人に興味ないクラッペさんにとって話しやすい相手なのかなって」
「”他人に興味ない”は余計です」
わたしは反論したが、洞察力の鋭さにどぎまぎした。
「気軽に喋れるから……あと、目の保養です」
「ここにも気さくな男前がいるのに〜」
「は………?」
わたしは思わず声が裏返ってしまった。
「俺とはこうやって打ち解けてるから、もしかして俺のこと好きなのかな~とか思ってたんだけど」
(うわあ、出たよ。自分大好き!!俺最高!!モードが…………)
こういう部分がウザかった。
ハユキ先生ほどではないが、彼には微かに嫌悪感を抱いてしまう煩わさしさがあった。
「ないです。ただ話しやすいってだけです」
「俺は結構クラッペさんのこと好きなんだけどな~」
「え…………」
その瞬間鳥肌が立った。
「そんな、苦虫を噛み潰したような顔しなくても……」
「すみません……」
「どうでもいい話も聞いてくれるし。うん、聞き上手」
「雑談苦手だからテンポよく喋れないだけで……だいたい聞き流してますよ」
「はははは~おっとりしてるのに、わりとヒドい言いようだな」
「おっとりというかのっそりです……先生はすごいですね。めちゃくちゃ有能な人間ですもんね」
嫌味を込めていったにもかかわらず、ウルリュウ先生は、
「そうそう!!わかってるじゃん~!!
鼻高々に言った。
「はあ……それはお師匠様に感謝ですね」
“お師匠様”というのは、ウルリュウ先生のメツケ役のウクーのことだ。
ITエンジニアだった彼は、徹夜続きの日々で心身ともに疲弊し、将来への希望を失いかけていた矢先、偶然、当時白センのスタッフだったおじさんウクーと出会い、彼のすすめでこの国に移り住んだらしい。
現在では白センの相談員として一目置かれる存在となっている。
「うんうん。気持ちも若返ってる気がするし、そう思わない?」
「いや、あんまり……」
「クラッペさんも30代前半っていってもまだまだいけるぞ」
「いや、それはさすがに無理があるような……仮に化粧で誤魔化せたとしても、中身はきちんと衰えてますよ」
「そうか~?」
「まあ、でも、同年代の友達とは殆ど会わないし、道行く人をパッと見ても何歳代か判別できないし……自分の外見が年相応なのかどうかもよくわからないんですよね」
「はは、そりゃわかるわ。でも、見た目気にしてたって、どうにもならないからな~俺は諦めた」
「先生は、自称”男前”だから、何も心配ないじゃないですか」
「あっ、そうだった~!!って、そこ“自称”じゃなくて“他称”な」
ピシッと指を突きつける仕草にますますウザくなってきたがスルーした。
「そう言うクラッペさんだって、“可愛い美人”の部類に入るから気にする必要ないと思うぞ」
「はあ…………」
カラカラと笑う彼とは反対にわたしは気が重かった。
“可憐なウサギ”と呼ばれていた時代も遥か昔の話。か弱くて守ってあげたくなる可愛い女子と、周囲には思われていたらしい。
今は例えるなら“不憫なアルマジロ”といったところか。
ガードも固くなり、当時の見る影もない中年女性と自覚していた。
「褒め言葉として受け取っておきます。先生のようにモテませんけど」
「それがさ~声はかけられるけど、付き合いたい!とは思わないんだよなあ~」
彼には“謙遜”の”け”の文字もないらしい。
モテることは否定しなかった。
「彼女は作らないんですか?」
「ほしいなあ~って思うこともあるけど、縛られるのはイヤだからなあ~1人の時間充実してるし、わざわざデートなんて面倒くさいし。付き合っても、お互いが好きなところで好きなことしててもいいよ!っていう人ならいいけど」
(あれ?どっかで同じようなこと聞いた気が……あ、ハユキ先生か)
「案外いるかもしれないですよ」
ハユキ先生へのウザい絡みを懸念して、わたしは敢えて彼女の名は出さなかった。
「好きな人とは片時も離れたくない!!って思うもんじゃないの?」
「いやーそれも疲れてきますよ。いつも一緒にいなくても、共有する時間がちょっとでもあれば十分だと思うんですけどね……」
「クラッペさんが言うと現実味があるな。ウクーの女性と付き合うのって、色々覚悟もいるだろうし……しばらくは独り身でいいかな~」
「寿命的に先生のが絶対先に死にますもんね」
「“死ぬ”ってストレートに言うなよ。まあ、合ってるんだけどさ」
「先生は長生きしそうですけど……あんまり悩みがなさそう」
「ははははは……どうせ長生きするなら辛い思いばっかしたくないだろ。俺は物事を深く考えすぎないようにしてる。あと、常に新しいことに挑戦してみるとか」
「ちょっと勇気が要りますね」
「ん~~小さいことでいいんだよ。植物育ててみるとか、念入りに掃除してみるとか、今まで話したことなかった人と1分でも長く話してみるとか……自己成長のためになんかしなきゃ!!って思うとそれが苦になるから、無心でできるものがおすすめかな~」
そう言われたわたしはリルさんを思い浮かべた。
その様子に何やら察した先生は、
「あ、どれか当てはまった?」
「え、ああ、はい……」
「おっ、な~んだ、ちゃんと毎日ときめいてるじゃん」
「ときめいてる……のかな」
確かに、楽しいと思えるひと時は増えた気がする。
「いつの間にか、わたしの悩み相談になってますね」
「俺って話を自然に引き出すの得意だから。いつでも相談してくれていいぞ」
「はあ…………ありがとうございます」
過剰な自画自賛がなければイイ男なのに――全くもって残念すぎる。
(でも、もっと気楽に生きていいのかもな……)
いい加減そうで、わりと的確なアドバイスをくれたウルリュウ先生に感謝していた。
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