第50話

 闇には欲が潜むという。

 それは闇に紛れたほうが悪事を働きやすいのか、はたまた闇の力に魅入られたヒトが堕ちていくのか。それとも、元からそういう奴らが集まり闇が作られたのか。

 まぁ、なんにしろ、闇に生きる奴らというのは扱いにくい。俺もその一人ではあるのだが。


「な、何、この音……?」


 ブブブ、ブーン――

 奥から聞こえる羽音に、ヴェインがリーフィとフェリカを下がらせ、剣を腰から引き抜いた。ガレリアが「私は庇ってくれないの?」とわざと首を傾げれば、ヴェインはすぐに「あ、ごめん」と一歩、踏み出した。


「虫……?」


 その姿はまだ何も見えないが、響く羽音の大きさから、それは随分とデカいことがわかる。


「ここここ、ここって安全な道って言ってませんでしたか!?」

「トラップがない、という意味で安全なだけだ。そもそも、上にも魔物はいただろうが」

「そ、そうですけど!」


 フェリカの息が荒い。極度の緊張状態で、息に乱れが生じているのだ。あれではろくに魔法を放つことは出来ないだろう。虫系に限らず、生物系に火は有効ではあるが、それは下手をすれば味方すら焼いてしまう恐れがある。


「チッ」


 この暗闇だ。ガレリアの槍も下手に振り回しは出来ない。

 俺は本に手を伸ばしかけ、いや、まだ早いかと考えを巡らせる。


「ディアス! 来たよ!?」

「あぁクソッ」


 それはヌッと暗闇から顔だけを出すように、背後から手を伸ばし闇へ引きずり込むかのように、静かに現れた。迷いのないヴェインの剣が真横に振り抜かれ、それは一瞬怯み、後ろへ下がる。

 俺は手にした魔石を投げ、暗闇から顔を覗かせるそれを、少しの光で照らし出した。


「蚊?」


 六本の足、血を吸うための口器、翔ぶための羽。リーフィの身長ほどあるそれは、紛れもない蚊だ。


「で、でっかい……!」

「気持ち悪い」

「発達良すぎですよ!?」


 狂蚊マッドモスキート。それは暗闇に好んで住む巨大な蚊だ。一般的な蚊は一センチほどだが、このマッドモスキートは小さなもので五十センチ、大きなもので人間の大人と同じほどにまで成長する。


「まだ小さいほうだ、これなら」

「言ってる場合じゃないですよ! 気持ち悪いものは気持ち悪いです!」


 フェリカはさらに後ろに下がっていき、壁にぶつかったのか「あで!」と潰れた声を出した。


「大丈夫、これぐらいなら僕が切ってみせるよ!」

「あら。じゃあ、お任せしちゃおうかしら」


 デカく出たもんだと思ったが、他にマッドモスキートが来る様子はなさそうだ。ガレリアが完全に傍観を決め込んだのを見て、よくもまぁ任せられるもんだと思った。それでも――


「なら、やってみせろ。ヴェイン」

「うん!」


 いつかは来るその日のため。

 剣を重たげに引きずる背中を眺め、俺はそっと本に手を伸ばした。

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