第32話

 俺はただの人間で、強くはない。

 ガレリアほどの強靭さも、リーフィやフェリカほどの強いコアも、ましてヴェインのように常に希望を持ち続けているわけでもない。

 自分の力に自惚うぬぼれ、才能をひけらかし、挙げ句の果てに全てを失い絶望した、弱い惨めな人間だ。

 だから俺は、俺のような阿呆を出さないために、の保護者であり続けなければならない。


「もう一度聞いていいか。なぁ、誰が馬鹿でナルシストだって?」

「ば、馬鹿も、ナルシストも言ったが、ふ、ふたつ合わせてはいない……!」

「わざわざ訂正ご苦労さん。ご褒美だ」


 男の目を片手で鷲掴みするように覆うと、俺は空いた手で軽く本に触れた。


「月誘いて彷徨さまようは深淵。常世より現れし魔によりて闇へと導かん」

「ぁ……あぁ……」


 ぐるんと白目を剥き膝から崩れ落ちた男は、器用にもその格好で寝息を立て始めた。


「夜は寝るもんだ。健康にもいいぞ?」


 男はそのまま、俺の足に軽くもたれかかってきたものだから、邪魔だとばかりに軽く蹴飛ばしてやる。すると、先ほど拳で殴った男が、鼻先を押さえながらこちらを伺うように見ているのに気づいた。

 その視線の先には、俺が持つあの黒い本がある。


「そ、その本っ、まさか、まさか“月火げっかの裁定者”……!」

「それに答えるには、どうにもつまらん答えしか俺は持ち合わせていない。だから答え合わせは出来んが、代わりにそこで寝てる奴に毛布でもかけてやれ」


 それだけ言い、俺は男の横を素通りしていく。その際、ただでさえ震える肩が、一段と飛び跳ねたが、まぁ気の所為だろう。


 鼻歌混じりに敷地内をふらついていく。

 御力を授けられたとかいう兵士や騎士が来るかと思いきや、そのほとんどが木の幹にもたれかかる形で寝ていたり、地面に転がっていたりと、まぁなんとも健康的な奴らだ。

 館の敷地内は、草木や小さな池、砂利があった。確かこれを庭園と言うらしいが、アークベルトが領主になってからは手入れもされていないのだろう。枯れた草木、濁った池、砂利なんかは隅に固めて置かれ、剥き出しの土は乾ききっていた。


「入るぞ」


 一応声をかけ、館へと入る。横にも縦にも長い廊下が続き、左右にはずらりと扉が並んでいる。遠い記憶の中にある前領主の説明だと、あれは“襖”というらしい。描かれている立派だった絵は、もう見る影もないほどにくすんでいる。

 と、一歩、二歩、進んだところで、襖を蹴り飛ばすように出てきた騎士どもが、各々叫びながら飛びかかってきやがった。


「はぁ。俺の耳は確かにふたつついてはいるが、悪いな、一回で聞けるのは一人までだ。だから一人ずつな」


 襲いかかってくる騎士の顔面やら腹に拳をめり込ませ、一人ずつ確実に床へと沈めていく。

 その積み重なる騎士や魔法士のさらに奥、廊下を塞ぐように立っている男に見覚えがあり、俺は「お前は確か……」と顎に手をやる。

 威厳を表す金の鎧、自信に溢れていた顔は多少成りを潜めたようだが、まだどこか自分は強いと信じてうたがっていないようだ。


「確か、アークベルトの腰巾着だったか?」

「ち、違……わないが、グンダー様だ! 覚えておけと言ったはずだぞ!」

「覚える必要がないと言ったはずだ。が、訂正しよう。立っていられるのは、なかなか素質が高いようだ」

「ば、馬鹿にするなよ!」


 素直に訂正したというのに、馬鹿にされたとは心外だ。

 だが、逃げずに向かってきたことを評し、俺は本をホルダーから外すと左手に構えた。

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