居酒屋

 僕らは事務所を出た。

「俺はこれから社長と打ち合わせするから、悪いがお前たちはタクシーで金沢まで戻ってくれ。支払いは済ませてある。あと、これで飯でも食ってくれ」そう言って大樹さんは一万円札をさしだした。

「大樹さん太っ腹ー!いただきまーす」と言ってヒナが受け取る。

「また連絡する」大樹さんはそう言い残し事務所へと戻っていった。

 晩御飯まで時間がある。金沢駅に戻った僕たちは周遊バスで観光を楽しんだ。趣あふれるひがし茶屋街、香林坊を散策する。確かに社長が言っていた通り、歴史と現代の技術が調和しているように感じた。

「ねぇ、あっくんは幽霊って信じる?」

「否定はできないと思うよ。ただ何でもかんでも幽霊の仕業だと結論づけるのは早計だとは思うけどね」

「確かにね」

「僕は金縛りにあったことが何回かある」

「うそだー」

「いや、本当の話なんだけど、どれもベッドで横になっているときになった。1回目は仰向けだったんだけど、背後から腰回りに抱きつかれた感覚があった」

「床からってこと? ありえないじゃん!」

「2回目は、両足首を掴まれたと思った直後に体が動かなくなった」

「えっと冗談だよね?」

「3回目は、うめき声が聞こえたと思った瞬間に動けなくなった」

「ちょっとやめてよ!絶対私を怖がらせようとしてるでしょ」

「いや、全部本当だよ。ただ、これらは心霊現象ではなく科学で証明されている。僕も金縛りは脳が覚醒して身体が眠っている状態という知識はあったけど、実際体験してみると心霊現象としか思えなかったよ」

「屋敷の心霊現象も幽霊じゃないってことよね?」

「多分ね。否定はしないでおくよ。それは悪魔の証明だから」

「何それ?」

「存在していることを証明するなら、それを示せばすむけど、存在しないことの証明は困難ということだよ」

「ふーん、ねぇ、そろそろご飯に行かない?」

「ちょっと待って電話だ。あれ、東さんから?」

「もしもし」僕は電話に出た。

「やぁ、兄さんから聞いたよ。業務提携の件ありがとう。ちょっと時間ができたから僕も今金沢に来てる。これから一緒に食事できないかな?」

「わかりました。僕たちも近くにいるんで今から行きます」


 僕は電話を切り、ヒナと一緒に待ち合わせの居酒屋へと行った。

「早かったね」店の前で待っていた東さんから声をかけられた。

 東さんの横には若い男女が立っている。

「未成年を居酒屋に誘ってすまないね。あと、この二人は森文で採用した新入社員なんだけどね、研修と面談をかねて飲食店を回っているんだ」

 僕たちはその二人と互いに自己紹介した。

「東さん自ら? 人事もやっているんですか?」とヒナが不思議そうに聞く。

「そう言うわけじゃないけど、できるだけ社員一人ひとりと直接コミュニケーションをとりたいと思ってね」

 東さんらしいなと僕は思った。

「さぁ立ち話もなんだし、中に入ろう」

 東さんに前田建設での出来事を話しながら日本海の幸を味わっていたら、近くのテーブルから大きな話し声が聞こえてきた。


「女ってやつは何でああもノロマなんだろうなぁ」50代くらいのスーツを着た男が言う。

「この前女房が買い物に行きたいとか言うもんだから、一緒に出かけることになったんだ。そしたら、その時になってガスの元栓閉め忘れてないかとか、ケータイ忘れたとかぐずぐずしだしてイライラしちまった。いつもそんなんだ」

 ヒナと女性社員にも聞こえているようで、露骨に嫌な顔をしている。

「女なんてそんなもんですよ」50代男性の部下らしき男が合いの手を入れる。

「だろ? それに、あいつは言われた事しかできない。ちゃんと先を考えて動けっていつも言ってるのによ」

「そうじゃないと社会では通用しないですもんね。会社は戦場です。僕は女性の社会進出なんてナンセンスだと思ってます」

「お前はわかってるよな。俺が長年仕込んだだけある」

「恐縮です。課長、そろそろ」

「おお、そうだな」課長と呼ばれた男はビールの残ったジョッキを傾け、その後店を出て行った。


 東さんは、面白そうに僕たちに問いかける。

「さて、皆は今の客たちの会話が聞こえたかな?」

 一同頷く。

「今の会話を聞いて君たちが思ったことを聞きたい」

 東さんは、男性社員に目を向ける。

「ここは森文じゃない。正解がある質問でもない。素直に答えてくれるかな」

「わかりました」男性社員がそう答えた。

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