4. デルフィーナとの面会を望むと
デルフィーナとの面会を望むと、案の定ルカレッリはいい顔をしなかった。やはり彼女の言葉が、トマゾ修道士の最期の一押しになってしまったのではと、誰しもが考えていたのだろう。
ルカレッリの執務室でそのことを切り出すと、彼は渋い顔で黙り込んでしまったのだ。
「ですが、
ルカレッリが口を開く前に、ペテロは反論した。
「そうかもしれませんが……彼女の話は、何も過去に限ったことではないんですよ」
「恐ろしい未来を予言するかもしれないってことですね。それも心配いりません。言ってるじゃないですか。わたしはそんなに思い悩む性質じゃないって」
胸を張るペテロの顔が余程おかしかったのだろう。ルカレッリは苦笑した。
「わかりました。でも、何か言われた時はすぐに僕に相談してくださいよ」
「もちろんです」
「では、デルフィーナに面会できるか聞いてきますね」
ルカレッリは立ち上がりかけて、振り返った。
「そうだ。
「あ、はい。昨日からですけど……」
「もしよろしければなんですが、定期的に見せていただくことはできませんか?」
ペテロはきょとんと目を瞬いた。
「どうしてです?」
「やはり、慰問に来てくださる方のケアもしていかなければと思い改めましてね。あんなことがあった後ですから……」
ルカレッリが言い淀む。ペテロは素直に了承した。
デルフィーナは面会を受け入れた。ペテロはルカレッリに連れられて病室の前まで行き、彼がデルフィーナと一言交わすのを見守る。その後、部屋の中へと通された。
デルフィーナ・インセーニョはトマゾ修道士が日誌に書いていた通りの人物だった。小柄な女性だが、濃い化粧のために年齢がわからない。ただ、彼女の達観した眼差しや、ベッドに腰掛ける背の丸みから、老女であることは間違いないだろうとペテロは判断した。
「それでは……二人だけ、ということでいいんですよね?」
ルカレッリがデルフィーナに確認する。彼女は手を振って答えた。その爪は黒く塗られていた。
「慰問の時に医師は立ち会わないんだろう? 大丈夫だよ」
「わかりました。十五分したら呼びに来ますね」
「もっと早く終わるさ」
扉が閉まる。
ペテロは突然自分が緊張し始めたことに気が付いた。丸椅子に腰を下ろしながら、落ち着かなげに尻を動かす。それもすべて、目の前の女が放つ異様な空気のためであった。
「はじめまして、インセーニョさん」
「デルフィーナでいいよ、フラ・ペテロ。あたしに隠しごとは無駄だからね。率直に話しな」
ペテロは少々面食らったが、若さがすぐに立ち直らせた。唾を飲み込んで喉を潤し、姿勢を正す。
「それでは、デルフィーナ。単刀直入にお話しします。トマゾ修道士を殺害した犯人を知っていますか」
「知らないよ」
即答だった。ペテロは一拍遅れて彼女の言葉を理解し、驚いて身を乗り出した。
「えっ。知らないんですか?」
「知るわけがないだろ。あんたはあたしをなんだと思っているんだい? 予言者ってのは未来や過去を見通すだけのもので、全知全能じゃあないんだよ」
ペテロが困惑顔で固まっていると、デルフィーナは僅かに微笑んだ。
「何が違うんだって顔だね。あたしはね、起きたことや起こること――つまり現実の事象は見通せるんだよ。だけど、それに意味や名前を付けるのはあたしの仕事じゃない」
「どういう意味ですか?」
「言った通りさ。あんた、あの可哀想な修道士の日誌を読んだんだろう?」
「はい。あなたは彼が疑いの心故に自らを殺すと予言されましたね」
「そう。事実はそれ以上でもそれ以下でもない。トマゾ修道士は疑心暗鬼を募らせて死んだ。そこに別の何かの存在を見出したいとあんたたちが望んだとしても、それはあたしが名付けるべきものじゃない」
「名付けるって……」
どうも彼女の言うことがわからない。話が噛み合っていないのではとさえ思う。ペテロは自身の顔が強張るのを感じながら、努めて礼儀正しく聞こえるよう訊ねた。
「デルフィーナ、あなたはトマゾ修道士が、その……悪魔や悪霊に殺されたのではないとおっしゃっているんですか。そう確信されていると」
「フラ・ペテロ」
デルフィーナが真っすぐに彼を見る。焦げ茶に橙の散った虹彩は不思議な輝きを帯びていた。ペテロは思わずそれに魅せられ、息を潜める。
「あたしは事象に名前を付けない。とある狂人を医師は統合失調症だと言った。教会のエクソシストは悪魔憑きだと言った。そのどちらが正しいのか、あんたはあたしにそれを決めてほしいと言っているのさ」
ペテロは答えられなかった。若い心の中にむくむくと湧き上がる反抗心のようなものを必死で飲み込んでいた。
悪魔に憑りつかれているかどうか、それは是か否かで言い表せられるものではないのか。悪魔の仕業であれば是、そうでなければ否。それだけのことなのに、デルフィーナはそうではないという。
「……よく、わからなくなりました」
浴びせかけそうになった失礼な言葉の数々を飲み下し、辛うじて口にできたのはそれだけだった。デルフィーナはそんな彼の心中さえ見透かしたのか、宥めるように、肯定するように微笑んでみせる。
「わかったら、もうお帰り。深入りしないことがあんたのためになるんだ。すべて忘れて、あんたの進むべき信仰の道に戻るんだ」
ペテロは驚いて食い下がった。
「待ってくださいよ。話はまだ終わっていません」
デルフィーナは気怠げに瞼を下ろした。
「予言ならしないよ」
「えっ?」
「何言ってるんだい。あんたはトマゾ修道士が死んだのはあたしのせいだと思っているだろう? 少なくとも、最後の一押しをしてしまったのは。そんな子に予言なんかしてやれるかい」
図星である。ペテロは一瞬唇を噛んだが、すぐに持ち直した。
「確かに、あなたの言葉がきっかけだったとは思います。でも、トマゾ修道士はあなたの言葉がなくても同じ運命を辿っていたのではありませんか? もはや決まった運命だったから、あなたはあの予言をしたんだ」
「……おや」
デルフィーナが剃った眉を吊り上げる。
「思ったより賢い子だねぇ。そうだよ。未来なんてものは変えられない。予言は決まった未来に従うために為されるものなんだ。それ以上でもそれ以下でもないんだよ」
ペテロは居住まいを正した。
「それならなおさら、予言をしてください。もし良くない内容の予言なのだとしたら、その通りにならないよう行動しますから」
「ああ、それは違う。やっぱりあんたはわかっていないよ」
デルフィーナは手を振った。立ち上がり、病室の扉を開ける。もう出て行けと、そういうことらしい。
「予言は一見誤っているように見えることがある。でもそれは、あんたに『定められた行動』を取らせるためになされた予言だからだ。そのことが理解できない限り、あんたに予言は扱えない」
ペテロは黙って立ち上がった。促された通り病室の入り口に立ち、低いところにあるデルフィーナの額を見下ろす。反抗心はもはや抑えることはできず、ペテロは引き攣る笑みを堪えていた。
「……そうおっしゃるということは、悪い未来が待っているということだ」
デルフィーナは答えない。ただその目に過った悲しみの色を読み取り、ペテロは言った。
「それなら、わたしが未来を変えてみせますよ」
病室を後にする。扉が閉ざされる音は、廊下の角を曲がるまで聞こえなかった。
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