9-3

 私は一目散に自室へ戻った。今は誰にも会いたくなかったし、会うべきでないと思っていた。



 自分のしたことが信じられない。私は……私は、あの女性をこの手で殺すつもりだったのか?

 わからない。もう何もわからない。


 あの瞬間、私には彼女がバケモノのように見えたのだ。黒い面貌。深淵のような眼窩。あれは――あれも幻覚だったのか?


「あなたは疲れているんですよ」


 ルカレッリ医師はそう言った。視界に異変が生じているのも、居もしないものを見てしまうのも。すべて精神症状の一端であって、その治療には十分な休息が必要だと。

 私にはわからない。わからないが、その言葉を信じるしかない。医師が言うのだ。きっと正しい。私は疲れていて、それで、デルフィーナを絞め殺そうとした。



 いけない。この思考はよくないと、私は寝台から立ち上がった。頭を冷やさなければ。

 私が幻覚を見てしまうのも、きっと疲労や睡眠不足から来るものだ。一度頭を冷やして、冷静に考え直すべきだ。


 顔を洗いに部屋を出る。洗面台の前に立つ。水は冷たく、乾燥した皮膚を切り裂くように痛みを感じた。冷水に顔を浸したあと、私は顔面を流れ落ちる雫の一筋一筋を感じながら、身を起こした。一拍遅れ、鏡面に私の影がぬるりと姿を現した。


 鏡に映った人影に、顔は無かった。


 悲鳴を上げた。鏡面の影も、同じように大きく口を開けた。それは真っ黒く焼け焦げた炭のようであったが、確かに私と連動していた。


 絶句した。

 私の顔は黒くなっているのか?

 指で顔の皮を擦り、爪で引っ掻いて剥がそうとした。けれども、痛いばかりで何も変わらない。鏡に映る私は、真っ黒な面貌を頻りに掻き毟っている。


 私は思い出していた。

 イザベラが見た夢を。

 去り際にヴィジリオが見せたあの目。


 悪魔の顔は黒く塗り潰されている、と我が師タダイは書いていた。

 ということは、私も悪魔になってしまったのか?

 そんなはずはない。そんなはず――……?


 もう、何もわからない。





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