7-2
***
修道院長は直ちに悪魔祓いを要請するため人を遣った。
私はシモーネ修道司祭とその他数人の修道士たちと共に病棟へ戻り、悪魔の力を弱めるために、あらゆる祈祷を行った。聖別された十字架を処置室に並べ、交代で聖なる書物を読み聞かせる。
我が修道院において、悪魔と対峙したことがある者はシモーネ修道司祭の他におらず、彼もまた悪魔祓いの知識は持ち合わせていなかった。私たちは書物に記された情報を頼りに手を尽くした。
悪魔は私たちを嘲り続けた。祈りによって一時的に力を削ぐことはできるけれど、悪魔を完全に黙らせるまでには至らない。悪魔が吐く言葉は聞く者の奥深くに眠る傷を抉じ開け、記憶に入り込んで精神をズタズタに引き裂く。それは看護師たちだけでなく、罪と向き合う術を十分に持たない若い修道士たちをも追い詰めた。老練の修道士たちは祈りに専念することで自身を守ろうと努めたが、私たちの消耗は激しかった。
私たちの抵抗は悪魔への敗北を先延ばししているにすぎず、一刻も早く専門の悪魔祓いが到着することを願っていた。
ルカレッリは悪魔憑きとなった青年の母――サンドラ・フェルミ――に最悪の事態を覚悟しておくよう忠告した。
「悪魔は息子さんの中にいます。アレがその気になれば、息子さんの命を奪うことも可能でしょう」
それを防ぐために、私たちは祈りの言葉によって悪魔の力を削ぎ続ける必要がある。悪魔は酷く苦しんでみせ、不当に痛めつけられているのだと訴えるけれど、それはまやかしだ。騙されてはいけない。
「彼が何を言っても聞いてはなりません。たとえ息子さんの口から出た言葉であったとしても、それはヴィジリオではない別の何者かの言葉です。それだけはどうか忘れないで」
サンドラはさめざめと泣きながら、私たちに懇願し続けた。
「お願いです。息子を、ヴィジリオを助けてください……お願いします……」
私たちは彼女の痩せた体を抱き締めて慰めたが、決して成功を保証する言葉を口にすることはできなかった。
正直なところ、私はルカレッリが早々に悪魔祓いを要請する決断を下したことに驚いていた。あれが悪魔であることはもはや疑いようがない。しかし、彼の性格を考えると、もう少し精神医学的な治療を試みるだろうと思っていたのだ。
私がそのことを訊ねると、ルカレッリは苦々しい顔で答えてくれた。それは、ヴィジリオの見張りを他の者に交代し、束の間の休息を取っている時のことである。
「皮肉な話ですが、私はあの瞬間、『アレが悪魔であってほしい』と願ってしまったんです」
そこには言葉以上の意味が込められているような気がしたが、私には彼の真意までは窺えなかった。ただ、現代医学の限界というものを、悪魔という超常的な存在のせいにしてしまいたかったのかもしれない。
「これまでに悪魔憑きを見たことはありますか?」
「いいえ。話を聞いたことしか」
彼は私を見つめた。それはいつになく真剣な眼差しで、挑戦的ですらあった。
「フラ・トマゾ。私はアレを精神的な疾患であると原因を見つけることを諦めてはいません。悪魔祓いが到着するまでの間、医療でできることはすべて試すつもりでいます。ですが……」
彼の脳裏を過ったのは、ひとりでに砕け散る薬瓶か。まったくの別人へと変貌する人格か。誰にも明かしたことの無い秘密を容赦なく暴く鉄槌か。そのどれもが、医学的に説明を付けられるとは思えない。
「……ですが、もし、悪魔祓いによってヴィジリオが回復することがあるのなら。その時は私は『悪魔』というものを認めざるを得ませんし、何よりも重要なことは、ヴィジリオが本来の彼に戻ることです」
そうだ。原因など、治療法など、患者が健康を取り戻すことの前にはどうでもいいこと。
私はそこにルカレッリ医師の覚悟を見た。
***
これで、これまでに起こったことは、一通り書き終えただろうか。悪魔祓いを要請してから以降は、交代で悪魔を抑え込むだけであったので、あまり特筆すべきことが無いのだ。
なお、悪魔に対抗するために行った処置については、シモーネ修道司祭がより詳細に記録しているため、私の方ではこれを割愛する。
現在私は、シモーネ修道司祭と二人で悪魔を見張っている。
病棟の人間も、修道院の人間も、日中の対応だけで心身共に疲労が溜まっていた。そのため、ルカレッリとシモーネ修道司祭は話し合い、夜の間は少人数で見張りを回すことに決めたのだった。彼ら曰く、夜はさらに健全な精神が揺るがされやすくなる。無理に見張りに人を増やすと、かえって被害者が増えかねないとのことだった。
私は見張りに志願した。シモーネ修道司祭は難色を示したが、肩を持ってくれたのはルカレッリであった。彼は私が立ち会ってきた数々の怪事件を話して聞かせ、私が他の人々よりも怪奇に耐性があると説得してくれたのだった。
彼の言葉に応えるためにも、私はこの夜を耐えきってみせたいと思う。
もう日付も変わっただろう。
窓から忍び込む夜気が私たちの体温を奪おうとする。看護師が火鉢を用意してくれたけれど、これだけで一晩過ごすのは心許ない。
私の隣ではシモーネ修道司祭が毛布に包まって仮眠を取っている。ルカレッリは自室に戻っており、あと二、三時間したら私と交代する予定だ。
さて、他に何を書くべきだろうか。ペンを走らせていないと気が狂いそうだ。
あえて記すことでもないので書かなかったが、実は今この瞬間も、悪魔は私の目の前で冒涜的な言葉を吐き散らかしている。私の過ぎた罪を暴く言葉も。
だが、決して悪魔に耳を貸してはならないのだ。取り合ってはいけない。すべては悪魔の妄言にすぎない。私が聞くべきは主の御言葉のみであり、口にすべきは主への祈りのみである。
そうだ。
思い出せ。荒野の誘惑を。
悪魔は主イエス・キリストを神殿の上に連れて行った。ここから身を投げてみろ。お前が本当に神の子であるならば、神がお前を助けるだろう、と。
キリストは悪魔の挑発になんと答えたか?
そうだ――キリストは神殿の上から身を投げたのだ。その体は群衆の目の前で無惨に潰れ、腸が零れ、手足は千切れて転がった。群衆は流れる血の海を足で踏み付けた。卑しい獣たちがその死骸に群がり、肉を食い骨を砕いた。神はそれを見てあああぁえぁあsぁd迢よー励r蠢倥l繧九↑縲
愚かにも私は信仰の道を歩むなどと宣言したが、それは世俗から逃げるための方便に過ぎない。塀の中へ逃げ込めば、誰も私の罪を責めることはできないからだ。
ここに記そう。私の両親が犯した罪を。私の体には穢れた血が流れている。私には穢れた血が流れている。私には穢れた血血血だ穢れれあぁた血が流れている流れるいて穢たれ死あ体には血が【塗り潰された文字】。
なんだこれは?
これを書いたのは断じて私ではない! 私はこんな言葉は書いていない!
こんな、こんな冒涜を――悪魔だ。悪魔の仕業だ。
私が神を、キリストを冒涜するような言葉を書くわけがない。誓って!
私は穢れたパンで作られた。旅人を殺して得た金で買ったパンを食べ、旅人を殺して得た金で買った水を飲んだ。私が着る服は死人から剥ぎ取ったものだった。だから、私がトビアを■したのも、正しい行いである。両親と同じ罪を犯した者を生かしておいてはならない。
やめろ!
どういうことなのか自分でもわからない。悪魔が私の体に乗り移ったのか? ヴィジリオから、私の体へ? 悍ましい。どうすればいい? 主よ、助けてください。
悪魔が私を見ている。
【塗り潰された文字】
【塗り潰された文字】
悪魔の目は。耳は。口は。
その顔は黒く塗り潰されている。
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