ルカレッリ医師による解説

 トマゾ・アバチーノ修道士が「見えないもの」を見るようになったのは、この時からのようです。より正確に言えば、彼が目に見えないものが見えると『自覚した』のがこの時でした。


 ここに明言しておきます。

 この病院に、リリィと呼ばれる少女はいません。


 過去にも現在にも、この病院で精神疾患を患う小児患者を預かったことはないのです。そのことから推測するに、リリィはトマゾ修道士の妄想(または幻覚)であるか、幽霊などの実在しないはずの存在であると考えられます。


 同様に、リリィなる少女の病室も存在しません。

 トマゾ修道士がどこで彼女と会談していたのかは疑問です。空き病室もありはしますが、私も看護師も彼が空き病室にいるところを見たことはないし、彼は慰問を終えると必ず私の部屋を訪れ、必ず私が彼の帰宅を見送っていたからです。私たちの知らぬ間に空き病室を訪れていたとは考えにくいのです。

 これはどういうことなのでしょうか。


 さてここで、私が数ある日誌のページの中から、これら九編を選び出した基準を明かしておきます。あなたは聡明な方だと伺いましたので、私が改めて述べずとも既にお気付きかもしれませんが。


 選んだ基準は二つ。


(1) リリィをはじめとした『他人の目には見えていないもの』をトマゾ修道士が見聞きし、記録しているもの。

(2) 悪魔ないしそれに類する存在について、言及されているもの。


 それぞれ具体的に解説しましょう。


 一つ目の基準について。

 リリィという名前が出てくるのは、エーネロ・バルビエリの記録、ジャコモ・ノベッティの記録。そしてもちろん、リリィが語ったとされる噂話についての記録です。

 その他に、トビア・アデージの記録の最後で、トマゾ修道士は左目の視界に「赤黒い帯のようなもの」が見えると述べています。これはまさしく(1)の基準にあてはまります。

 トマゾ修道士の日誌の中には、このように不可解な点が散見されるのです。


 トマゾ修道士はいつから見えないものが見えるようになったのでしょうか。日誌を読む限りでは、それは元々彼に備わっていた能力ではないようです。これが後天的なものであるのなら、彼が覚醒した「時期」が重要なように思われるのですが、今のところ私には時期もきっかけも特定できていません。

 ただ、一連の彼の奇行において、「リリィ」と呼ばれる少女の存在が大きく関わっていることだけは、確かだと言えるでしょう。


 そして、二つ目の基準について。

 この日誌では、「悪魔」という存在が要になります。それこそが、トマゾ修道士を追い詰めた元凶であると言えるのですから。


 イサベル・ロマーニが述べた悪夢について覚えておいででしょうか。彼女は夢の中で自分と瓜二つの人物と遭遇し、その姿が黒く変色していくのを目撃しています。彼女はそれを「悪魔」だと言い、自分が「乗っ取られてしまう」ことを酷く恐れていました。

 リリィが正体を明かしたのち、トマゾ修道士の記述は明らかにおかしくなっていきます(もっとも、それは日記の中だけでのことで、私にはもっと後になるまで気が付くことができなかったのですが)。彼は自身の内に眠る悪魔の存在を疑い、徐々にその不可視なるものに心を蝕まれてくのです。


 これから紹介する三つのエピソードでは、トマゾ修道士が如何にして狂気に呑み込まれたのか、その過程が記されています。少々不可解な記述がこれまでよりも多く散見されますので、どうぞご注意ください。

 あなたまで狂気の淵に引き摺られないように。


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