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【 十月七日 】


 昨日の夜に見たことは現実だったのだろうか。そんなことは既にどうでもいいけれども。私の中にはある確信が宿っていて、その使命感だけが私を突き動かしていた。


 私が庭を掘らせてくれと頼むと、ルカレッリ医師は明らかな戸惑いと侮蔑を顔に浮かべた。それでも私が頑として引かなかったので、彼は私の頼みを承知するほかなかった――私が中庭に穴を掘るのを許可すること。その間はジャコモを病室に閉じ込め、決して私の邪魔をさせないことを。


 私は中庭へ出た。掘る場所はわかっている。雑草が残る土の上に立ち、その中央にシャベルを突き立てた。

 私は掘った。穴を掘り続けた。過ぎた歳月の間に土はきつく踏み固められ、そこを掘り進めるのはかなりの労を要した。手には血豆ができ、潰れて手の平を赤く染めたが、私は一度も手を休めなかった。


 その時は来た。

 ザリリ、と。今までとは異なる音がした。今までと異なる手応えがあった。

 私は目的のものを見つけたことを確信した。


 それからどんなことがあったか。


 ルカレッリは直ちに警察に通報させた。彼には隠蔽することもできただろうが、通報した場合と結果はそれほど変わらなかったろう。犯人であるジャコモ・ノベッティは、既に責任能力を失っている。


 私が掘った穴からは、ちょうど人一人分の人骨が出た。虫に食われて肉はほぼ残っていなかったけれど、衣服はまだ辛うじて原型を留めていた。私はその朽ちた服の残骸が、元は淡いラベンダー色だったことを知っている。

 遺体をすべて取り除くと、その下から指輪が一つ見つかった。結婚指輪だ。内側に彫られた名前から、発見された遺体は確かにヴァレンティナ・ノベッティのものであると断定された。


 事件は二年前のことであり、物的証拠も不十分なため、警察がジャコモをどうするのかはわからない。だが、今や誰の目にも真相は明らかであった。

 ヴァレンティナが病棟を脱走したと見られていたあの日。当直をしていたジャコモは、妻ヴァレンティナを死なせてしまった。不慮の事故だったのか、衝動的な殺人だったのか。もしかすると、ジャコモは家庭すら崩壊させた妻の病に疲れ果ててしまったのかもしれない。とにもかくにも、ヴァレンティナはあの夜に死んでしまったのだ。

 ジャコモは遺体を中庭の一角に埋めた。それから病室の窓を抉じ開け、さも脱走したかのように痕跡を偽装した。それらの行為を夜中の数時間のうちに行うのも、力の強い彼にはきっと造作ないことだっただろう。


 警官たちが穴を埋め戻している間に、ルカレッリは私を捕まえて言った。


「名推理でしたね、フラ・トマゾ。あなたにこんな能力があったなんて」


 彼は一連の対応に疲れた顔をしている。彼を象徴する豊かな赤茶色の髭ですら、いつものようなボリュームを失って萎れているように見えた。


「いいえ……ただ、彼女が私に助けを求めていたので」


 そう答えてしまってから、迂闊なことを言ったと反省したが、ルカレッリは一瞬怪訝そうな顔をしただけで頷いた。私が死者への使命感から行動したとでも解釈したのだろうか。それは半分は正しく、半分は誤りだ。


「しかし、今朝は驚きましたよ。あなたは本当に尋常じゃない様子でしたからね。まるで何かに憑りつかれているみたいに」

「……そうでしたか?」

「ああ、お気を悪くなさらずに。ただの比喩ですから」


 警官たちが作業を終えた。ルカレッリは私に軽く微笑み掛けてから、彼らの方へ向かった。

 ふと気が付くと、傍の木にリリィが寄り掛かっていた。いつの間に出てきたのだろうか。子供が見るようなものでもないが、好奇心旺盛な彼女のことだから、辛抱できなかったのだろう。


「リリィ」


 私が呼ぶと彼女は軽やかに走ってきた。


「盗み見とは感心しないな」

「盗み見だなんて、人聞きが悪いわ。正々堂々見ていたつもりよ」

「リリィ……君は、気付いていたのかい?」


 だが、私はこの考えに確信を持っていた。薄っすらと微笑む彼女の表情を見ればわかる。それは不思議な、幼い少女らしからぬ達観した笑みであった。


「彼がわざと見つけないようにしているから――君が言ったのは、そういう意味だろう?」


 ジャコモが探していたのはヴァレンティナの遺体だった。自分で埋めたのだから、場所は当然知っているはずで。彼が毎日穴を掘り続けても見つけられなかったのは、故意か無意識か、その場所を避け続けていたからなのだ。

 ヴァレンティナは彼の前にも姿を現したのだろうか。だから彼は狂ってしまったのだろうか。遺体の場所を避け続けたことから考えると、彼には保身の気持ちがあったことを否定できない。

 それでも――彼が妻の遺体を『宝物』と呼んでいたことを思うと、酷く複雑で悲しい気持ちになる。彼にとって妻は確かに『何物にも代え難い宝物』だったはずなのだから。


 リリィが答えなかったことを肯定と受け取って、私は更に気になることを質問した。


「君はどうしてヴァレンティナがあそこに埋められていると知っていたのだい?」

「ずっと見ていればわかるわ。彼はあそこには近寄らないんだもの」

「だったらもっと早く教えてくれればよかったのに」

「でも、修道士さま、あたしが言ったって信じなかったでしょ?」


 そう言われれば否定できない。私は苦笑し、そのことを謝った。


「これからは君の言うことを信じるよ。他に何か隠していることはあるのかい?」

「ええ」

「それはなに?」

「もう一ヵ所、ジャコモおじさんが絶対に手を付けない場所があったでしょ」


 リリィはそう言って笑った。


「あたしはそこに埋まってるの」


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