6-2
【 十月六日 】
リリィの病室を訪れた際に、ジャコモのことを話題に出してみた。
「君はいつも彼が穴を掘るのを眺めているね。面白いのかい?」
するとリリィはご機嫌で答えた。
「そうね、面白いわ」
「でも、何も見つからないだろう?」
「そうでもないのよ。白くて軽い石とか、気の利いた形の石とか。塩みたいな結晶が付いた石はとっても珍しいから、価値が高いわね」
「全部石じゃないか」
「ミミズや幼虫の時もあるわ」
リリィは手を口に当ててクスクスと笑っている。私はからかわれているのだと気付いて溜息を吐いた。
「ジャコモはそれじゃあ喜ばないだろう? 彼は宝物を探しているって聞いたよ」
「ええ、そうよ。でも、絶対に見つかりっこないわ」
「あんなところには何も無いものね」
「彼がわざと見付けないようにしているからよ」
私は口を噤んで彼女を見た。リリィは長い髪を手櫛で梳いている。
彼女の鼻歌を聞いているうちに、またしてもからかわれたのだと気付く。子供のすることだから仕方がないとはいえ、こうも頻繁に大人を馬鹿にする言動は好ましくない。
「リリィ、何度も言っているけれどね。あまり大人をからかってはいけないよ」
「まぁ。からかったわけじゃないのに」
ムッと頬を膨らませるリリィは、すぐにまたクスクス笑いだす。私は呆れると同時にふと思い至った。
「まさか、その調子でジャコモのこともからかったりしていないだろうね?」
偏見を持つべきではないが、ジャコモは精神病患者だ。咄嗟に正常な判断ができない可能性がある。何かの拍子で彼が逆上し、リリィに危害を加えることを私は恐れた。けれど、私の心配は無邪気な少女には伝わらないようで、彼女は素っ気なく肩を竦めるだけだった。
「してないってば。だって、彼、あたしのことは見えてないみたいだもの」
「そういうことではなくてだね……」
リリィはもう一度肩を竦めた。これ以上何を言っても無駄だと思い、私はやれやれと首を振ったのだった。
***
リリィとのお喋りを終えた後、私は自分でもジャコモに話し掛けてみることにした。それで彼に危険な兆候が見られるのなら、リリィには彼に近付かないよう厳しく言い聞かせなければならない。
ジャコモは今日も黙々と穴を掘っていた。近くで見ると彼は一層大きく、獣染みて見えた。しかし、決して野蛮な猛獣ではなく、温厚な大型の草食動物に近い印象を受ける。それは垂れた眦やゆったりとした動作によるものだろう。それとも、時折瞳に過る怯えの色のためだろうか。
「こんにちは。それは何のための穴ですか?」
私は彼が掘る穴の向かいに立って話し掛けた。つまりは正面にいる訳なので、当然視界に入っていたと思うのだが。彼は一目線を上げることなく、シャベルを地面につき立て続ける手も止めようとしない。
ひょっとすると声が小さかったのかもと思い、私はもう一度、今度は少し声を張って呼び掛けた。
「こんにちは」
巨体がビクリを跳ね上がる。ジャコモはシャベルを握り締めて辺りを見回した。なぜだかその視線は私の上を素通りする。
もしや目が悪いのだろうか。そんな話は聞いていないが。再三呼び掛け、さらに目の前で手を振ってみせてようやく、私はジャコモに気付いてもらえることができた。
「これは……これは、修道士さま」
ジャコモは恭しく腰を折って挨拶した。その声は低く、心地の良い響き方をする。
「そこに穴を掘ってどうするのです?」
「どうにもしません。探してるんでさ」
「何を?」
待ってましたとばかりにジャコモは目を光らせる。怯えた表情が消え、声には抑えきれない興奮が潜んでいた。
「お宝ですよ。宝を掘ってるんです」
「それはすごい。いったいどんな宝ですか?」
「宝は宝ですよ、修道士さま。すごくすごく価値があって、何物にも代え難いお宝です」
「その宝は金貨にするとどれくらいの価値がありますか?」
すると彼は白けた目で私を見つめた。さも憐れまずにはいられないといった顔で。私は自分が愚か者になったような気がして不安になったが、めげずに次の質問を重ねた。
「その宝は本当にここにあるんですか?」
「ああ、そうですとも。ここにあるんですよ。ここに――」
ジャコモが視線を落とした。穴はまだ一メートルにも達していない。しかし、彼は黒い土に砂利が混じるだけの穴の底を見るなり、突然叫び始めたのだ。
「無い? なんで無いんだ? あるだろう! ここに、ここ、ここにあるんだ! ここにあるはずなんだああぁ……っ!」
シャベルを放り投げ、膝をついて土を掻き分ける。
「無い、無い、無い、無い無い無い無い無い無い無い無い無い無い無い――……無いいいいいいいぃぃぃひひひひひひひひぃぃぃ!!」
私が呆然と見守る中、彼は素手で穴を掘り続けた。「無い、無い」と絶叫を上げながら。小石や硬い土塊に当たっても手を休めることはなく、すぐに彼の指は黒く染まり、爪の間が裂けて血が滲みだした。
私はハッと我に返った。両手で抱きかかえるようにして彼の前を塞ぎ、穴を掘るのをやめさせようとする。だが、私と彼ではあまりに体格の差があったため、私の制止は殆ど意味を為さなかった。
「ジャコモ! やめなさい、やめるんだ! ジャコモ!」
それでも必死で彼の腕を押さえ込み、大声で呼び掛け続けた。その声を聞き付けて病棟から看護師が駆け付けてくれる。
二人掛かりでなんとか彼の巨体を穴から引き摺り出すことに成功した。穴から遠ざけられてしまうと、ジャコモはすぐに大人しくなった。地べたに座り込んだまま、ぼんやりと虚空を見上げるだけになる。
私は看護師に迂闊な行動を詫びた。彼曰く、私の質問が特別に引き金になったとも限らず、独りで放っておいてもこのように取り乱すことはよくあることらしい。それで安堵してしまう私も卑しいものだが、その時は私も動転していたため、看護師に慰められてホッと気が緩んでしまった。
初めて『彼女』を見たのはこの時だったように思う。
座り込むジャコモの向こうに植栽があり、病棟によって日影ができていた。私はそこに佇む女性を見つけたのだ。彼女は私たちを眺めているようであったが、私が気が付いても何の反応も示さなかった。おそらく、褪せたラベンダー色のワンピースを身に着け、無関心な目でこちらを見ているだけであった。
自分が目にした女性の様子を書き記すのに「おそらく」などと付け加えなければならないのは奇妙なものだ。私は彼女をじっくりと観察していたはずだし、今も彼女は背後にいる。顔を上げれば硝子に映る彼女の姿を確認できるはずなのだが。
どうにも……彼女の顔を、細部まではっきりと認識できないようなのだ。どれほど意識して見ようとしても、私の目は彼女に焦点を合わせた時にだけ像を映すことをやめる。それはまるで視界という一枚の絵の中で、彼女の部分だけ絵の具が乾き切らないうちに筆でなぞってしまったかのように。彼女について思い出そうとすると、鮮明さを失うのである。
とにかく、私は中庭で彼女に気付いた。
話し掛けようと言葉を探しあぐねていた時、ジャコモが譫言のように繰り返す声が耳に入った。
「ヴァレンティナ……嗚呼、君はどこへ行ってしまったんだ……」
私はジャコモを看護師に預け、佇む女性の方へ向かおうとした。だが、顔を上げた時には既に彼女は姿を消していた。
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