病棟の移転

 聖バシリオ精神病棟は我が修道院の敷地内に建っている。病棟の入り口は修道院の周壁の外にある訳だから、修道院の敷地に半分食い込んでいると言った方が正しいだろうか。

 そんな奇妙な立地にある理由を私は知らなかったが、リリィは知っていた。


「この病棟だって、もともとは本病院にくっ付いていたのよ」


 名前の通り、聖バシリオ精神病棟は診察を行う病院ではない。退院した患者の再診以外は外来を受け付けず、基本的には入院患者の継続治療だけを行っている。では、初診の受け付けはどうしているのかというと、それこそ私たちが「本病院」と呼んでいる、聖バシリオ病院で行われているのだ。

 聖バシリオ病院は山を下った町にある、この辺りでは一番大きな病院だ。そこではあらゆる分野の患者を収容するが、精神病棟だけはこちらに切り離されている。よって、精神病患者が要入院の診断を受けた場合のみ、本病院ではなく、ここ聖バシリオ精神病棟へ送られるという流れになっていた。


 リリィの話では、それは二十年以上前の出来事だという。


 当時は聖バシリオ病院の一角に精神病患者用の病棟も併設されていた。ところがある日、入院していた患者が錯乱し、病室で焼身自殺を図ったのだそうだ。

 大きな病院であることが仇となったのかもしれない。当時から軽視されがちであった精神病棟の異変に気付く者はおらず、火の手は瞬く間に他の病棟にも及んだ。医師たちは患者を見捨てて避難した。多くの患者たちが煙に燻され、炎に焼かれて死んでいった。

 丸一晩夜空を赤く染めた炎は、翌朝の降雨で漸く鎮火した。


「なんて、惨い……」


 私は患者たちのために祈った。リリィも大真面目に頷いている。


「それでね。病院を建て直すことになった時に、精神病棟を他所に移そうって話が持ち上がったんだって」


 精神病患者を疎んだり、蔑視したりしてしまう風潮は、昔から変わらない。病院の火事をきっかけに、周辺住民の間でその機運が一層高まってしまったのだろう。再び同じことが起こらないようにと、住民たちは精神病患者たちの隔離を望んだ。

 我が修道院が再建の地に選ばれたのは、当時の修道院長の慈悲深さだけが理由ではないと思う。単純に、ある程度の面積が確保できる平坦な土地が、ここしかなかったのではないだろうか。

 何はともあれ、そうした経緯で聖バシリオ精神病棟は現在の場所に移設された。


「ここからが面白いのよ」


 リリィは意地悪くニヤリと笑う。人の死に纏わることを面白がるのはよくないと窘めたが、私の小言はまたもあっさり無視された。


「この病棟を建て直す時にね、病棟の焼け残りを使ったらしいの」

「石材を、かい?」

「使えるものは全部。だから、よく見ると色んなところに焼けた痕みたいのが見つかるのよ」


 中でも目につきやすいものは、一般病棟と隔離病棟を隔てるあの鉄の扉だそうだ。あの鉄扉は殆ど無傷で残ったため、そのままの姿で使い回したのだとか。確かに一部が不自然に削れて、というよりは熔けているようだったりと、それらしい痕跡が見られるかもしれない。


「あの扉の内側にはね、閉じ込められた患者たちの手の皮膚がにこびり付いているそうよ」

「そんな訳ないだろう。仮にその事実があったとしても、きちんと洗い流しているだろうからね」


 私は扉を叩く患者たちの姿を想像して気分が悪くなりそうだった。追い打ちを掛けるように、リリィが興奮気味に囁く。


「でもね、今でも時々聞こえるのよ。『開けてくれ、助けてくれ』って叫ぶ声や、痛みに呻く患者の声が。姿だって見えるかもしれないわ」


 リリィはこう言って締め括った。

 廊下で見覚えのない患者とすれ違っても、決して振り返ってはいけない、と。


 きっと彼らも、焼け爛れた顔でこちらを振り返っているだろうから。



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