第32話 いつもの二日酔い


「あぁ、よく飲んだなー」

「今日はもう酒禁止だからな!」

「いけず~」


 結局、アイルはおいしい食事と共にエールを四杯飲み干した。

 頬もほんのり赤くなって、アイルの足取りも軽い。だけど千鳥足というわけでもなく、隣で階段から足を踏み外しそうになったメルティ嬢を支えられるくらい意識はしっかりしている――はずだった。


「あっ……」

「お、お気遣いなく!」


 メルティ嬢はなんなく階段を降り切り、すぐさまユーリウスの腕に絡みつく。


「ユーリウス様、あのお店ステキですよ!」

「お、おい!」


 無理やり腕を引かれるユーリウスが、アイルに視線を向けてくる。

 なので、アイルはその場から動かないままぴらぴらと手を振った。もちろん「行ってらっしゃい」の意である。


 ユーリウスはあからさまにショックを受けた顔をしながらも、華奢な女の子を無理に振り払うこともできないのだろう。そのまま『ステキなお店』とやらに連れられて行った。


 そんな大きくも情けない背中を無事に見送って。

 アイルはその場にしゃがみ込む。眩暈がするのだ。


 そんなアイルのそばに駆け寄ってくるのは勇者クルトである。


「アイル、大丈夫か⁉」

「だいじょうぶじょぶ。いつものだよ」

「また二日酔いですか?」


 呆れた顔で屈んでくるのは執事っここと、従者のヴルム。

 どうやら彼はあるじのそばではなく、アイルのそばを選んだらしい。


 ――いいのかなぁ、それで?


 本来ならユーリウスの傍にいるべきでは……と思いつつも、アイルはヨレヨレとその場に座り込んでから上目で見やる。


「ヴルムくん……申し訳ないんだけど、なにかスッキリする飲み物でも買ってきてもらえる?」

「勿論それは構わないのですが……」


 やはりヴルムが気にするのは勇者クルトのようだ。介抱する気満々のクルトに対して、ヴルムは殺気を隠さなかった。


「おれがいない間、お嫁さまに指一本触れて見ろ。そのスカした小童の顔を八つ裂きにしてやるからな」

「向こうのベンチに移動させるために指一本は触れたいんだけどな?」


 すると、ヴルムの身体が光った途端、青年姿に変身する。

 そしてすぐさま「ふんっ」と鼻を鳴らしたヴルムがアイルを横抱きにした。


「あーあ、美味しいところ取られちゃった」


 と、苦笑するクルトをよそに、ヴルムはあっという間にアイルをベンチへと運ぶ。


「それでは、すぐに飲み物を用意してまいりますので」

「うん、悪いね」

「いえいえ。害虫が悪さしましたら、すぐに大声を出してください」


 害虫が勇者クルトを指しているのは聞くまでもないだろう。

 ヴルムは礼儀正しく一礼してから、クルトを鋭い眼差しで一瞥。


 小走りで去っていく背中を見送ると、クルトは悪びれる素振りもなく、アイルの隣に座ってくる。


「いい従者だね」

「そうかな?」

「オレを敵視するということは、きみを大切にしているんだろう?」


 ――それはそう。


 ヴルムがこんなにも勇者クルトを嫌うのは、一年前にアイルが勇者パーティーから追放されたからで、アイルが勇者たちに怯えているせい。


 アイルがプカプカと浮かぶ白い雲を眺めていると、クルトが見知らぬ誰かに手を振っていた。どうやらファンに遠巻きできゃあきゃあ言われていたらしい。


 勇者と名の付く人気冒険者も大変だなぁ、と他人事に思っていると、クルトが小首を傾げてくる。


「それより、怪物伯をメルティに預けてよかったのか? アイルの旦那さんなんだろう?」

「実はまだ婚姻契約は成立していないらしいんだよね」

「なら、アイルとしては関係を解消したいと?」


 メルティ嬢のユーリウスへのアピールを放置どころか、応援している様に、当然クルトも疑問を抱いていたらしい。その彼なりの答えを、アイルは否定する。


「そういうわけじゃないよ。今の生活も存外気に入っているし」

「なら、このまま結婚してもいいじゃないか」

「だから、だよ」


 眩暈はまだ続いていた。たしかに、今の症状だけなら二日酔いにそっくりだ。

 だけど、本当はそうでないから。


 アイルはそれを知り、そのせいでかつて自分を捨てる決断をした男に対して、本音を漏らす。


「いい人だから、私じゃないほうがいいんじゃないかと思うんだよ」

「……相変わらず、アイルは優しすぎるな」


 そのときだった。

 青年執事のヴルムがドリンクを二つ持って帰ってくる。

 当然、うちひとつをアイルへ。かんきつ類の酸味が美味しい果実水のようだ。


「お嫁さまは何か勘違いしているようですが……あるじは相当お嫁さまに惚れ込んでますよ?」

「ようやく掴まえた『お嫁さま』だからでしょ?」

「まったくないとは言いませんが、だからといって気持ちもなく、未だに毎晩恍惚とした顔で調書を撫でまわすものでしょうか」


 その光景を思わず想像してしまったアイルは素直に「きもちわる」と零す。

 それでもチューチューと果実水を飲んでいると、クルトがわざとらしく口角をあげる。


「正直、オレはアイルと二人っきりになりたかったんだけどな?」

「うちの大事なお嫁さまには指一本触れさせねーよ?」


 すると、アイルが目を瞠る出来事が起こった。

 ヴルムが残りのドリンクを勇者クルトへと渡したのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る