第33話 それは叶わぬ片思い

 クルトもまさか自分の分の飲み物を買ってきてもらえるとは思わなかったのだろう。受け取りながらも、目を丸くしている。


「すごく嬉しいのだけど……どういう心境の変化かな?」

「別におれの心境に変わりはねぇさ。飯の礼もできねーとフェルマン伯の悪評なんてしゃらくせーと思っただけで」

「こんなランチの一回で恩着せがましくするつもりなんてないのに」


 そうは言いつつも、クルトはクルトで嬉しそうに「ありがとう」と果実水を口にする。


 そんな微笑ましい光景にアイルも「ご馳走様でしたー」とお礼を言いつつ。

 少し和やかな雰囲気になった中で訊いてみた。


「あのメルティって聖女はどんな人なの?」

「治癒能力としては可もなく不可もなく、かな。まぁ、それなりにいいところ出のお嬢様だったらしく、正直ちょっと旅はしにくい。野宿は極力したくないらしいんだ」

「それは……冒険者としては致命的だねぇ」


 勇者と箔のついた冒険者一行は、当然金銭に困ってなどいない。現に今日のランチも全員分、クルトが即金で支払っている。


 だけど、旅というのはいつでも宿に泊まれるわけではない。特に魔物など辺境にこそ多かったりするので、村から村の間が一週間以上なんてこともザラである。


 それこそ天空島やドラゴンのように空を飛べれば話は別だが、勇者とてドラゴンの使役は……ご覧の通りの仲の悪さ。


 そんな環境で女の子らしく『野宿はいや』という意見がどれだけ迷惑か……想像に難しくない。

 なので、アイルは率直に訊いてみた。


「なんで勇者一行に入ることになったの?」

「全教会からの強い推薦があったんだよ。侯爵家の娘らしいから、お金でも積まれたか、それこそ嫁入り前の箔付けかは知らないけれど……まぁ、治癒能力は国有数だったからね」


 そう話しながら、クルトはどこか遠くを見るような目で、アイルに微笑んだ。


「君ほど有能な聖女なんて、そうそう見つからないよ」

「ま、私がどれだけお役に立てていたかなんて、覚えていませんけど?」

「……悲しいね」


 二人のそんな会話に、いよいよ切り込んだのはヴルムだ。


「率直に聞くが……二人は恋仲だったりするのか?」


 正直、そろそろそんなこと聞かれるかなと思っていたアイルである。

 なので、あらかじめ用意していた「しらなーい」と返答で躱そうとしたときだった。


「オレの片思いさ」


 ――は?


 思わず目をまん丸に開くアイルに、クルトは苦笑した。


「オレね、アイルにずっと片思いしてたんだよ」

「……まったく記憶にないけれど」

「安心して。オレもいい雰囲気になれた記憶がない。いつもいいところでテレーゼの邪魔が入るか、魔物が邪魔してくるか……運が悪いんだ、オレ」


 その、悲しむような、懐かしむような、そんな眼差しに。

 アイルは思わず視線を逸らす。


「テレーゼさんは、元気?」

「だいぶ心の整理がついたらしいよ。ホントは今日も誘ったんだけどね。でも体よく断られちゃった」

「そっか……」


 アイルは気まずさを誤魔化すため、果実水に口をつけるも、すでに飲み終わってしまっていた。空になった容器を軽く振ろうとしていたときだ。


「お嫁さまにつかぬことをお尋ねしてもいいですか?」

「どうしたの、ヴルムくん」


 ヴルムが固唾を呑んだのは、アイルの目から見ても明らかだった。


「お嫁さまは、記憶喪失になったことでもあるのでしょうか?」

「……どうしてそう思った?」


 アイルの笑みは、まるで千年以上生きたドラゴンを試すように。

 だけど、反応が大きかったのは隣の勇者クルトのほうだった。


「話してなかったのか⁉」

「まあね」


 ――だって聞かれてないし。

 ――もし『本当の能力』を話して、また捨てられでもしたら。


 そう口にしたら、隣に座る勇者はまた罪悪感を覚えるのだろうか。

 そんな傷に塩を塗るような真似をしたいわけではない。


 だからアイルは、勇者らに会いたくなかったのだ。

 再会したところで……楽しい思い出になるはずがないのだから。


「私、嫌なことだけは、ねちーっこく覚えておいちゃうタイプだからさ」


 それこそ、もしもお見合い三十連敗なんてしようものなら。

 きっと三十一回目を頑張ろうなんて、自分なら思うことができなかっただろう。もっと前に諦めていたはず。人間は悲しい記憶だけだと、簡単に押しつぶされてしまうものだから。


「クルトらとの冒険の記憶がほとんどない、ってのは本当だよ。金獅子マハラージャを倒したときの消耗が激しくて……それがきっかけで、一番世話になっていたらしい・・・テレーゼさんのことを、まるまる全部忘れちゃったんだ」


 だから、ユーリウスからその話を聞いたとき。

 アイルは単純にすごいな、と思った。

 どれだけ前向きなのだろうと。どれだけ心が強いのだろうと。


 だけど、同時に怖くなった。

 そんなに心が強い人が、もし『自分アイルから忘れられること』で、心が折れてしまったなら。かつての仲間テレーゼのように、耐えられなくなってしまったなら。


「アイルとテレーゼは、本当の姉妹のように仲良くってね。だから……そのことに深くショックを受けたテレーゼを案じる形で、アイルには教会に戻ってもらうことにした。だけど、それだけじゃ――」

「はっ、二人のねーちゃんを天秤にかけて、お嫁さまを捨てたってコトかよ」


 クルトの言葉の途中で、ヴルムが軽蔑を吐き捨てる。


 ――ありがたいなぁ。


 そう思いつつも、アイルが肩を持つのはクルトのほうだ。


「そんな言い方しないでよ。テレーゼさんは世界トップクラスの魔法使いなんだから。私程度の聖女なんかよりよほど貴重な人材なんだよ」

「たとえそうだとしても――」


 そのときだった。空で幕を張っていた魔力がパリンと割れる。

 町の入り口のほうが騒がしい。


 中心部へと人々が逃げてくる中で、誰かの叫び声がはっきりと聞こえた。


「ま、魔物だああああ⁉」

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