第15話 研究しておく


 いざ決戦当日。

 雲の上に浮かんでいる天空島はいつも快晴である。


 アイルはそんな青空がまぶしい天空城の中庭で、朝から焚火で調理していた。当然当主ユーリウスの許可はとってある。特に手入れはされていないらしく花壇はないが、代わりに色とりどりの花畑ができあがっていた。あちこち飛んできた関係で、自然と様々な種子や花粉が根付いてきたのだという。


 その中でなるべく花が少ない場所で、アイルとヴルムは渋い顔をしていた。


「本当に……ぼくは手伝わなくてよかったのでしょうか?」

「そういうルールだったんでしょ」


 周囲には香ばしすぎる臭いが立ち込めている。

 そんな中、ユーリウスとリントがやってきた。


「本当に外で料理をしていたのか⁉」

「そりゃあ、お坊ちゃんには慣れない文化かもしれませんが? こちとら元冒険者だったもので。屋根のない場所でよくご飯を食べていたんですよ」


 敢えて雑な敬語を使いつつ、アイルは視線を落とす。


「ステキな中庭だったから、外で食べるのも美味しいかなって思って」


 ――いやぁ、もっと料理できるつもりだったんだけどなぁ。


 だてに三年間、冒険をしていなかったアイル。

 宿に泊まるより野宿のほうが多い生活なら、当然野外で調理する機会も多い……多かったはずなのだ。だけどアイルは完成品をお皿に盛りつけつつ、ため息を吐いた。


「いや、もう私の負けでいいよ。さすがにこれは――」


 黒焦げのサーモンサンド。パンにサーモンとチーズと野菜を挟んで、用意してもらった網で焼いていたのだ。だけど火が強すぎたのか、パン自体に引火。あっという間にパンが真っ黒になってしまった。


 ――花に火が燃え移る前に鎮火できたから良かったけど。


 こんなことで聖女の祝福を使うとは思わなかったアイルである。『外で美味しい物を作ってあの怪物伯をぎゃふんと言わせてやろう!』などと意気込んでいた自分が恥ずかしい。


 ――もうこのまま燃やしちゃおう。


 どうせならすべて炭にしてしまえば、花の肥料にでもなるのではないか。そう思って、ヴルムにいい感じに燃やせないかとアイルが聞こうと思った時だった。


 お皿の上から、焦げたサーモンサンドが消えている。

 なんとユーリウスがモグモグ食しているではないか。


「ちょっと、こんなの食べちゃ――」

「とても香ばしいな。こんな香ばしいパンは食べたことがない。サーモンの皮がこんなザクザクしているのも初めてだ!」


 ――それ、褒めているつもりなのかな?


 しかもユーリウスが、どことなく嬉しそうな顔をしていて。

 どこをどう見ても、ユーリウスの持つサンドイッチらしき黒い物体は不味そうである。


「ふーん……」


 アイルはパッと俯いた。それは自然と上がってしまった口角を隠すため。

 だけどすぐに顔を上げたアイルはいつもの明るい表情で人差し指を立てていた。


「ちなみに、サーモンは別称『さけ』とも言いまして」

「とても嫌な予感がする」

「お『さけ』が飲みたい!」

「こんな面白くないダジャレも初めてきいた……はい、ごちそうさま」


 まるでジョッキを乾杯するかのようにこぶしを掲げたアイルをスルーしながら、ユーリウスはパンくずのみになった皿をアイルへ返す。アイルもその皿を抱え込んで、小首を傾げた。


「……じゃあ、私の勝ち?」

「それは俺の用意した食事を食べてから言ってもらおう」


 そして、ユーリウスは「リント」と幼女メイドを呼んで。

 彼女が持ってきた美味しそうなガレットに、アイルは思わず生唾を呑み込んだ。


 四角いクレープのような生地に、オレンジが綺麗なサーモンと野菜が彩り鮮やかに載せられていた。真ん中の丸いのは卵だろう。見るからにフォークを入れたら半熟が蕩ける火の通り加減。しかも備え付けられたアイスティーらしきものは、なぜか青と紫の二層になっている。


 ――なに、このオシャレな朝食⁉


 それを口に出してはいけない。出した途端に負けである。

 そう、この勝負は判断はお互いがするものなのだ。つまり、ユーリウスがお世辞にも『おいしい(と思われる言葉)』を言った以上、アイルが『まずい』といえば勝ちなのである。


 だから、アイルはいつも以上の覚悟をもって食す。


 おいしいと思ってはいけない。うれしいと思ってはいけない。

 これは気持ちの勝負なのだ。気持ちで負けたらダメ。

 強気でいけばウソのひとつやふたつ――


「なにこれめっちゃおいしい」

「だろ?」


 たとえ膝から崩れ落ちても、ユーリウスがニコニコ顔で皿を持ってくれるから。アイルは再びサーモンのクレープを食べる。


 これのずるいところが隠し味だった。ソースに仕込まれたマヨネーズに、少しだけかけたられた赤い粉末は唐辛子……つまり、オシャレな朝食メニューとみせかけて、しっかりお酒が飲みたくなる食べ応えまで与えてくれちゃうのだ。


 そして、お酒の代わりに飲む紫のアイスティー。これがまだ適度にレモンの酸味が効いており、口の中をサッパリしてくれる。


 これはまさに酒とおつまみと同じ。永遠にループしたくなってしまう。


「どうだ? リクエストに応えてやったぞ」

「え、私そんなリクエストなんて……あぁ、うん。とても美味しい、です……」


 なんやかんやで、お皿を空にしたアイルは平伏するほかなかった。


「とてもおいしゅうございました」

「よし、それじゃあ勝負は俺の勝ちだな!」


 思いっきりガッツポーズをするユーリウスを、アイルはアイスティーの残りをすすりながらジト目で見上げる。そんなアイルに、ユーリウスはまばゆいばかりの笑みを向けてきた。


「それじゃあ、なにか恥ずかしい思い出などあるか?」

「あ~……お酒の失敗談とか?」


 そして話したのは、ユーリウスに誘拐された前日のこと――といっても、他の教会仲間から聞いた話だが――まぁ、司教のつるっぱげに水晶を載せて遊んだ結果、身売り同然で結婚させられた顛末だ。


 しかし、ユーリウスらの反応は渋い。


「もっとこう……子どもの頃のかわいい話を期待していたんだが」

「子どもの頃って……何にも覚えていないしなぁ」

「何もってことはないだろう? こう……おねしょしちゃったとか、おかあさんの化粧品を勝手に借りて怒られたとか」

「いや、私、孤児だからね?」


 アイルが顔をしかめれば、ユーリウスは「しまった」とばかりに自らの口を覆う。


 ――別に心の傷なんてものはないんだけど。


 それでもユーリウスが都合よく「すまなかった」と落ち込んだから、まぁいいか……と思ったアイルが甘かった。


「それでは、恋愛において夢見ていたことなどないだろうか」

「へっ⁉」

「アイル殿も女の子なのだから、恋愛に夢見ていたことの一つや二つなどあるだろう。それをぜひこの機会にお聞かせ願いたい」


 ――いや、よりにもよってなんでそう改まって⁉


 しかもアイルもずっと座ったまま話していたものだから、ユーリウスまで目の前にドスンと座り込んでしまう。「さぁ、話せ!」と言わんばかりに目を輝かせて。


 ――まいったなぁ。


 よりにもよって、ここは色とりどりの花が咲き乱れる飛空島の花畑。

 気心知れた者しかおらず、空は嫌みなまでにきれいな青い空。

 しかも目の前に座る形式上の旦那からは話すまでしつこいオーラが溢れている。


 なのでしぶしぶ、アイルは口を開く。


「そりゃ子供の頃とか、ファーストキスはどんな味なのかなぁ、考えていた頃もあったけれど」


 すると、ユーリウスが真面目な顔で顎に手を当てた。


「なるほど、アイル殿は口吸いに憧れを抱いていると」

「言い方ぁ⁉」

「わかった。最高のキスの味を研究しておく!」

「それ、本人に絶対宣言しちゃダメなやつでしょ⁉」


 そんなやりとりに、幼い見た目の使用人ふたりが声をあげて笑っていて。

 リントからの「こうなったあるじはしつこいわよ~」との助言に、アイルは大きく嘆息したのだった。

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