第8話 かわいいお嫁さまのお願い
アイルが目覚めると、天井のピンクが目に飛び込んでくる。
――早く改装してほしいな、これ。
うっすら白で模様まで描いてあるようだ。うさぎさんとくまさんがダンスしているようである。幼児の部屋でもあるまいし。だけど、これもあの怪物伯が『お嫁さまのために!』と用意したものなのだろうか。
こんな空飛ぶ島で、改装工事など誰がやるのだろう。業者を連れてくるのだろうか。それとも自分たちで張り替えたりしたのだろうか。もしも後者だとしたら……。
それを想像して、アイルは両手で顔を隠す。
「勘弁してよ……」
そんなタイミングで、扉がノックされる。
アイルが返事をしないでいると、そっと扉が開かれた。
「アイル殿……起きているか……」
小さな声でこっそり顔を覗かせるのは、その大きな図体に似合わないユーリウス怪物伯である。そんな彼とひたっと目を合わせると……彼は図体通りの大きな声を発した。
「お、起きているなら起きていると言わないか!」
「は?」
こちとら寝起きだ。多少まどろんでいたとて何が悪い。
だけどよく確認すれば、自分は昨日着せてもらった浴衣というものを着たままであるらしい。ただお腹の豪華な帯は解かれていて、今は細い紐でゆるく縛られているだけである。
つまり、寝起きの今では胸元がはだけてささやかな谷間が露になっているわけで。
「あら」
「リント! 浴衣はダメだ! すぐに他の寝間着を用意しろ‼」
「えぇ~、あるじが『浴衣を着たお嫁さまなんてこう……風情がないか?』って鼻の下を伸ばしてたじゃ――」
「りんとおおおおおおおおっ‼」
相変わらず仲の良さそうな二人である。
――まぁ、家族なんだものね?
ユーリウスのご両親などの話は聞いていないが、ドラゴンのリントとヴルムが彼の育ての親の節がある。この島には他に人がいないという話だが……家族も居場所もなかったアイルにとっては、とてもまぶしい光景で。
だからアイルは敢えてはだけた胸元を隠さないまま、少し前かがみになってみる。
「あなたが買った物なんだから、もっと見る?」
「げ、元気ならそれでいい⁉」
思いっきり声を裏返させて、怪物伯が逃げていく。
その間抜けなユーリウスの背中をケタケタ笑っていると、残ったリントが心配そうに部屋に入ってくる。
「本当に具合はどうなの? 今ヴルムが二日酔いに効く煎じ薬は作っているけど……二日酔いでぶっ倒れるって、あたしもあまり聞いたことないわよ?」
「あはは~、ご心配なくー。昔からよく倒れてるんで」
「ふーん……ま、ひとりでいる時は気を付けなさいよ。今回はあるじがいたから良かったけど、人間は頭とかぶつけたらすぐに死んじゃうんだから」
その雑と見せかけた心配に、アイルは小さく肩をすくめた。
「発想が超常生物のそれだね」
「せめて年の功と言いなさい。そのほうがツッコみようがあるから」
そう笑ったリントが、アイルの頭をこつんと小突く。ぜんぜん痛くない。
――仕方ないか。
だからアイルは「あ、そうだ」と軽やかに両手を叩く。
「近々、あるじどのはどこかお出かけする?」
「よく知っているわね。本当は今日魔物の討伐に行く予定だったけど」
昨日の晩餐時に聞いた話によれば、ユーリウスは天空島の管理のみならず、定期的に地上の魔物討伐の依頼も引き受けているらしい。領主としての支援金の他に、魔物討伐の依頼。その両方の収入で、彼の懐はかなり潤っているのだとか。
だけどリントは、アイルが倒れたから今日の魔物討伐の予定は見送るつもりだったと語るものの……アイルはにっこりと自分を指さした。
「私も同行していいかな?」
「絶対にダメだ!」
事前にリントにも「多分あるじが許さないと思うわよ~」とは言われていた。
だからアイルが直接ユーリウスに交渉したところ、案の定、即座に拒否られた。
しかし怪物伯に怒鳴られた程度で怯むアイルではない。
「別にいいじゃない。減るもんじゃあるまいし」
「きみの命が減ったらどうする⁉」
「なに、かわいいお嫁さんのささやかなお願いごとすら聞いてくれないの?」
「うぐっ」
まだたった一日の付き合いだが、どうやらこの怪物伯が『お嫁さん』に夢見ていたことを十分察したアイルである。そして、その弱みを使わないほど優しい性格をしていなかった。
「だ、だが、アイル殿は二日酔いが……」
「だからこそお外の美味しい空気が吸いたいわけで」
「散歩なら、リントを置いていくから存分に島の中を……」
「今日はファイアータートルを討伐するんだって?」
一向に引かないアイルにユーリウスも嫌な予感がしている様子だが、アイルは人差し指をたててにっこりと笑う。
「タートルってことは亀よね。亀から作ったお酒って滋養強壮にいいという話なのよ」
「まさか酒のためか⁉」
魔物とは、動物が魔素を過剰摂取しすぎて突然変異を起こしたものである。
倒したあとは通常のサイズに戻った挙げ句、適度に残った魔素がいい塩梅に栄養や旨味を増してくれたりするのだ。そんな材料を使った食事は一部の愛好家に大変好まれており、ジビエ料理と呼ばれていたりするのである。
「だって昨日のご飯も、魔物を料理したジビエでしょ?」
「さすが聖女という博識さだが……ジビエから酒を造るなんてさすがに聞いたことないぞ⁉」
「そんなお酒を造るなんて大層なものでもないけど……生き血を赤ワインに混ぜたらおいしいかなぁって」
「血をそのまま飲むのか⁉」
ユーリウスが大きく目を見開いた一方で、リントとヴルムは「なるほどね」と頷いていた。
「あながちおかしな話じゃないだわさ」
「そうですね。数百年前ではそんなお酒を飲む国もたしかあったはずです」
「おまえら本気で言っているのか? 魔物の、血だぞ⁉」
さすがはドラゴン。知識が深い。
アイルも以前旅をしていた時にたまたま出会ったご老人に聞いた昔話だったのだが……こんなチャンスはめったにない。後ろ盾(?)も得たところで、あとは『あるじさま』の許可を得るだけである。
「それに仮にも『怪物伯』なんて異名を持ったあるじさまなんでしょ? まさかタートル相手に後れを取るようなこと、ないよね?」
「……あぁ、きみはギルドパーティーと冒険を共にしていたこともあったか」
「ま、しょせん追い出された身なので、後方支援に徹させていただきますけど」
そこまで話してから、アイルは上目づかいでユーリウスを見やる。
「お・ね・が・い♡」
ちなみにアイル、まだ浴衣のままである。
一応紐で縛り直したとはいえ、胸元の重ねはそこまでしっかり閉じていない。
「うぐっ‼」
真っ赤な顔を押さえた怪物伯ユーリウス=フェルマンを見て、アイルは思う。
――ちょろいな。
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