リョウマの話

 大渕堂書店が閉店すると聞いてリョウマは「あ」と思った。幹線道路沿い。近くには小学校や中学校が建っている。


「あそこなら、もしかして?」


 大渕堂書店を知らない人はいない。地元の人なら誰でも知っているはずだ。体育教師のリョウマは定年と共に教員の職を辞し、フリースクールを作りたいと何年も前から思っていた。不登校の子供達は体を動かす機会がなく、筋肉が衰え、それが引きこもりに拍車をかけている。自分が受け持った生徒にそんな子が何人もいたからだ。


 勤務先の中学校では時代遅れの熱血教師と揶揄されて居心地の悪い思いをしたこともある。でもそれでも不登校になってしまった生徒をほかってはおけない。家庭環境に干渉しない指導にも限界を感じていた。どう考えても家庭環境が子供達の学生生活に影響を及ぼしているからだ。そんな子供たちの受け皿を作りたい。そのための場所としては広さも立地も申し分ない気がした。


 大渕堂書店の店長は確か——。


 リョウマは記憶の糸を辿る。大渕堂書店の店長は初老の男性だったはず。あの店は店長の持ち物なのだろうか。だとしたら閉店後建物を売りに出す?


 独身のリョウマにとって定年退職金二千万をどう使うかは自由だ。二千万円で幹線道路沿いのあの大きな建物を購入することは難しい。でもそれでも、賃貸ならば何年かはフリースクールを運営できるのではないか。フリースクールは行政支援も受けられる。仲間を募り、軌道に乗せることが出来れば、何年かではなく継続して運営ができるかもしれない。


「ダメで元々。まずは大渕堂に行って、話をきくか」


 リョウマは車に乗り込んで大渕堂書店へ向かう。寒々しい冬の景色が広がる田舎町。大渕堂書店手前の信号待ちでリョウマは知った顔をみつけた。


 ——二年生の、あれは確か……


 二年三組、武仲健たけなかたける。不登校の男子児童が大渕堂書店から出てきた。確か武中は——、とリョウマは思い出す。不登校なのはいじめが原因ではなかったはずだ。父親は何年か前の火災で亡くなり、ブラジル人の母親と二人暮らし。「学校に行くよりお母さんの仕事を手伝いたいから」と生徒指導室で自分が聞いたのは、昨年の冬だった。


 あいつも、本を買ったのだろうか。大事そうに大渕堂書店の袋を胸に抱えて、北風の吹き荒ぶ中、歩いていく。その顔は、学校で見ていた武中健の顔とはどこか違って見えた。


「あいつも、本を買ったのか」リョウマは呟き、ハンドルを握る手に力を込めた。大渕堂書店はこの街の人なら誰でも知っている。だからこそ、だからこそだ。


 信号が青に変わる。アクセルを踏みながらリョウマは思った。


 夢を追う場所は、ここしかない。

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