04 いかにも魔女

「久しぶりだね。小さな魔術師さん」


「そちらも、お元気そうで」


 私が快復した後、まるでそれが分かっていたかのように、薬師の老婆が部屋を訪ねて来た。

 弟子ジャック君は、あの出来事が相当応えたのか、これまでより一層真面目に魔法の練習__もう修行と言ってもいいかも__に取り組むようになったので、この場にはいない。


 後遺症があったわけではないけれど、元々それほど丈夫じゃない私の体は、完全に体力が戻るまでに時間がかかる。まだまだ若いから、その活力に助けられているイメージだ。

 ……年を取ってからのことはあまり考えたくないけれど。

 魔術師が不老にこだわるのも分かる気がする。


「では、経緯を訊いてもいいかしら」


「もちろんさ。お嬢ちゃんにはその権利がある」


 そう頷いて彼女が話始めたのは、薬草採取に至った理由。

 弟子から粗方を聞いてはいるけど、それはあくまで弟子の見方だからだ。トラブルが起きた以上は、それを双方の視点から省みて、再発を防ぐ必要がある。

 私は弟子の監督責任がある立場だから。これ以上、他所様に迷惑を掛けないためにも。


 老婆曰く。

 少年でしはよく薬を買いに来る常連だった。だが、ある日彼が困っている様子であるのが見て取れた。常連だからと世間話ついでに相談に乗れば、悩みがあると言う。その悩みを解決するために、重い腰を上げた。ところが、思うように行かず、ヘマをしてしまった。そちらには迷惑をかけた。すまなかった。


 という内容だった。

 嘘は言ってない。でも、全てではない。

 そんな印象を、私は老婆の感情の読めない顔に抱いた。


 ただ、その部分は、もしも昨日考えたような想定の通りなのだとしたら。弟子の名誉を守るため、敢えてそんな言い方をしたのかもしれない。

 私も、今、それを暴こうとは思わなかった。


 だから、私はただ鷹揚に頷いて、彼女の謝罪を受け入れる。


「しかし、お嬢ちゃんはすごいねぇ。その年でその力とは」


「よく言われます」


 それはそうだ。

 私は転生者なんだから。

 と、そう思っていると。


「お嬢ちゃんには、余計なお世話かもしれないけど。私はこれでも長い年月を生きて来た。これを対価とは言わないけれど、お節介を焼かせておくれ」


 そう言うと、彼女は私の手の中に折りたたまれた紙を握りこませた。


「困った時に、開くんだよ?些細な悩みで使うのは、勿体ない」


「……はぁ」


 老婆はそれまでの神秘的な雰囲気をあっさりと散らせて、コミカルに片目を瞑った。そして、失礼するよ、と言うとよっこらしょ、と椅子に座る。


「さてと、それじゃ、お礼の話をさせてもらうよ」


「え?でも、私は」


「受け取っておくれ。老婆のワガママだと思って」


 有無を言わせぬ言い方に、言葉に詰まる。

 さっきから、ペースを奪われっぱなしだ。

 でも、年季の差なのか、腹は立たない。


 そう言って懐をごそごそとすると、小さな巾着袋を取り出し、テーブルに置く。チャリ、と小さな音がしたから、中身は小銭か、もしくは硬質な何かだと思う。

 老婆がその袋を開けて、中がよく見えるように大きく口を開くと___


 そこから、色とりどりの石が零れ出した。

 それは、小ぶりながら宝石に見える。


 息を呑んで口を開こうとしたその時。

 老婆が先を制した。


「私は昔細工師をしていてね?でも、もう細工はやめたんだ。だから、ずっと使ってやれなんだ。でも、お嬢ちゃんなら使えるだろう?魔法の触媒でも、杖の素材でも、何でもいいから使ってやっておくれ。その方が、この子たちも本望だろうさ」


 一息にそこまで言われては、私も断れない。

 私は渋々、それらを受け取る。


 その巾着をローブのポケットにしまって、ふと顔を上げると。

 じっ、と老婆が私の顔を見つめていた。


 皺だらけの顔に、にこやかな雰囲気は無い。何か、私の本質を見抜こうとしているかのような、そんな表情だった。私は、不思議とその顔に魅入られて、目を離すことが出来ない。


 魔力マナが感じられないから、魔法ではないことだけは確かだ。何か私の知らない術を掛けられているのかもしれない。

 けれど、不快な感じはしなかった。


 しばらくして、老婆がふと視線を逸らすことで、私は解放された。知らない内に身体に力が入っていたのか、僅かな脱力感を感じる。


「さて、と。私はそろそろお暇するよ。用事は済んだからね」


 どうやら、先ほどのよく分からない凝視は無かったことになったみたいだった。私も、多少の好奇心はあるものの、言わないのなら聞くほどの事では無いと思って、言葉を濁す。


「あぁ、はい。お気をつけて」


「また来るよ」

 

 老婆はそう言って片手を上げると、塔を後にした。



 それからは、弟子ジャック君の話の中で彼女の様子を聞くことがほとんどになった。


 例によって、私は塔を離れることが難しい。

 そのため、お兄さんを探すという目的のために色々と準備をしているらしい弟子から、薬師の話を聞いていた。


 そんなある日のこと。

 私は、とうとうその言葉を耳にすることとなった。


 それは、弟子の修業を見ている時のことだった。


 彼は、上級魔法の発動よりも遥かに難しいとされる、中級魔法の並行発動を3つ。これまでとは比べ物にならないほど安定して成功させると、私に振り向いた。


「お師匠様。そろそろ兄貴を探しに行こうと思っています」


 ついに来た。と思った。

 薬草採取事件から、1年も経っていない。早過ぎる。

 でも、それは、私の都合だから。


「元々、そういう話だったものね。むしろ、よく続けられたと思うわ」


 改めて弟子と対面すると、その大きさに圧倒される。

 単純な背丈の話では無く、存在感に。


 無邪気で無知な、不安を抱える少年はもういない。

 彼は立派な上級魔術師の青年となった。


 もう、私はいらないのかもしれない。

 と、そんな思いが過ったが、頭を振ってその考えを追い出す。少なくとも今は、そんな感傷に浸る時じゃない。


「頑張ったわね。ジャック」


「……お師匠様。お世話になりました」


 それっきり、何も言わない。

 いや、何も言えない。


 口にすれば感情が溢れ出しそうで。

 お互いが、何かを我慢しているかのように。


「言いたいことはたくさんあるけれど、何も言えなくなっちゃった」


「奇遇ですね。俺もです」


 私がそう言えば、彼もそう言い返した。

 同じ気持ちであることに、じん、と胸が熱くなる。

 けれど、それは___


「あ、そうだ」


 まるで、たった今思い出したかのように、彼が言う。その手に、小さく折りたたまれた紙を取り出して。


「薬師のアンジェラさんから、こういう時に開けるように言われてたんです。ちょっと失礼」


 彼はそう言って、それを開くと。

 何が書いてあったのか、驚きに目を丸くした。


 そして、間もなく笑い出す。

 一頻り笑うと、彼は私の視線に気が付いたのか、その紙を私に寄越した。


 そこには、こう書いてあった。


「あんた如きに教えるわけがないだろう?あんたのお師匠様に同じように渡してあるから、それを見な…?どういうこと?」


「いや、まぁ、とにかく見てみましょうよ」


「イヤよ。本当に困った時に開いて、って言われるんだから」


 少なくとも、今はそんな時じゃない。

 そう思っていた私は、彼の次の言葉に押し黙った。


「え?でも、これから、もしかしたらもう会えないかもしれないって時に、言葉が出てこないんだから、これが困った時じゃなくて何なんです?」


「……」


 そう言われれば、そうかもしれないけれど。

 なんだか、腑に落ちないまま、私は懐に手を入れる。


 結局、私もこの場には持ってきていた。

 ただ、存在を忘れていただけで。


 何の期待もしていなかった。


 だけど、確かに答えが書かれていた。


『ジャックとミルアは相思相愛だよ。おめでとう。』


 それを目にした瞬間。

 私たちは顔を見合わせて、同時に視線を逸らした。


 その途端、老婆の言葉が思い出される。


___お嬢ちゃんには、余計なお世話かもしれないけど。私はこれでも長い年月を生きて来た。これを対価とは言わないけれど、お節介を焼かせておくれ。


 まさか言葉通りとは思わなかった。本当にお節介でしかない。対価でもない。ただ、余計なお世話か、と言うと……。あのままでは、言わなかった可能性の方が高いから。


 結局、この一押しおせっかいが無ければ、私たちはもう会うことも無かったのかもしれない。そう思えば。


「あー……お師匠様?」


「そうよ。私は好き。ジャック君は?」


「えっ?あっ?おっ?俺もす……好き、ですよ勿論」


 随分と間抜けな告白に、思わず肩の力が抜ける。

 私はちょっと……難しく考えすぎてたのかもしれない。


「なにそれ」


「……すみません」


「そうじゃないでしょ?もう一回」


「え?」


「もう一回して。今度はちゃんと、ね?」


「っ………」


 それから、ちゃんと告白出来るまで、何回もやり直してもらった。

 その後、色々と力が抜けたらしく、ジャック君がふにゃふにゃになって使い物にならなくなる一幕があったものの。


 その翌日には___



「それじゃ、行ってきます。ミルア…さん」


「行ってらっしゃい、ジャック。待ってるからね」


 一夜が明けて。

 何年かかるか分からない都合上、弟子ではなくなったジャック君は、晴れて私の婚約者となった。異世界って、魔法ってステキ。こういうことが自分で出来ちゃうんだから。


 互いの座標が分かる、とかではないけれど、手の甲の刺青タトゥー染みた印が疼くだけでも十分。それに。


「はい。1年に1度は戻ってきます」


「絶対よ?約束なんだから」


 状況報告として、1年に1度は戻るように言ってある。

 そうすれば、きっと助けられることもあるだろうから。


「危ない時はいのちだいじに」


「いのちだいじに」


 一緒に行けない以上は、それだけは守ってもらわなきゃいけない。これで独り身になった暁には、きっと私はこの世の全てを呪うと思う。

 彼には、是非ともそうならないようにして欲しいわね。


「じゃあね。……私のジャック」


 私がそう言うと、彼は思わずと言った様子で視線を逸らしたものの、もう一度目を合わせて、しっかりと私の瞳を覗き込んだ上で返事をしてくれた。


 あの時と同じ、いいえ、ただ輝くだけが強さではないと言いたげな、落ち着いた橙の瞳が私を捉えて、自信たっぷりに、それでいて油断なく、言葉を紡ぐ。


「1年後に。俺のミルア」


 その言葉を最後に、彼は踵を返すと私の元から歩き去っていった。

 次に彼が戻るのが1年後。これからちょっと寂しくなる。だけど。


『1年後に。俺のミルア』


 このコレクトの小規模展開で集めて、薬師の老婆に貰った宝石に込めた音声があれば、きっと寂しくない。特に、俺のミルア、なんて最っ高。


「普段彼が言わないから得点高いわ」


 と、そんなことを呟きながら、私は塔へと戻るのだった。

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