03 不器用なお誘い
どうにかこうにか。
30日ほどかけてようやく敬語を覚えた
背はとっくに追い抜かされて。
体格も1.5倍ぐらいに。
無邪気で無知だった彼は、魔術師に相応しく、冷静な頭脳派になってしまった。
それは、少し寂しいけれど。
今や順当に私が教える魔法を覚えて、中級に至る魔術師となったのだから、多少の落ち着きはあった方が良いと思う。
でも、まだ、中級だ。
上級になるまではもう少しかかるだろう。
上級、か。
彼は、中級となった当初、こんなことを言っていた。
『俺、上級になれたら兄貴を探しに行こうと思います。まだ、生きてるかは分からないけど。せめて、痕跡を見つけたいんです』
『……研究を引き継ぐことが出来なくて、すみません。でも、どうしても諦めきれなくて……』
私はそれに、肯定を返した。
研究は、私の代で止めてしまってもいいと思えたから。
適性の種類が多すぎて見つけられないだけで、誰にも素質はある。もしこの仮説が証明されてしまったら。
魔術師を志す者が増える一方、強制的に才能を発掘し悪用しようとする者も増えるだろう。
そんなことはあってはならない。
少なくとも私は、魔術師はなりたくてなるものであって欲しいから。
と、それはそれとして。
彼が上級となって、この塔を出て行ってしまうとなれば。
また、私は一人になる。
それは、イヤだ。
でも、しょうがない。
そんな2つの気持ちが不規則に膨らんでいく。
「…お師匠様?」
「え?あぁ、何でもないわ」
魔法の練習を見ている間に上の空になっていたのか、彼が私の顔を覗き込んだ。
あの頃のような不安さはもう、その瞳に無い。
代わりにあるのは、私への気遣いと心配だ。
輝きは無くなったように見えて、その奥にあることを私は知っている。
一人で夜遅くまで魔力制御の練習をしている時の彼は、丁度、あの時のような、いいえ、あの時よりもずっと静かで、力強い眼差しをしているのだから。
……覗いてたわけじゃないわ。
お師匠様として、こっそりと監督してあげていたのよ。
何かあった後じゃ遅いんだから。
「一休みしますか?」
「いえ、別に疲れているわけじゃないから」
とはいっても、私は私の限界を把握しているから。
その誘いを断ると、今度は軽く握った拳を顎に当てて何か考え事をし始めた。
……これで出てくるアイディアはほぼロクでもないことなのよね。
だから。
「あなたが疲れてるからって、休みを貰おうなんてそうはいかないわよ」
「え?いやいや!そういうつもりじゃなくて!」
「それなら、さっさと練習に__」
でも、なぜか、この時の彼は妙にしつこくて。
「あ!そうだ!だったら、薬の材料採取に付き合ってください!」
「……はい?」
目を輝かせてそんな風に言った彼に、私は思わず素の声で返事をした。
「俺、旅の途中でも薬を自分で薬を補給したいんで、知り合いの薬師に作り方を習ってたんですよ。でも、採取にまでは付き合えないと言われてしまって、困ってたんです」
「……で、私ならいいだろうと」
ジト目でそう尋ねれば、彼はとんでもないと首を振る。
確かに夜な夜な抜け出してることは知ってたけど、そんなことをしてたのね。年頃の男の子だから、私が同伴すると不味いこともあるだろうと思って、敢えて見逃してたけど。
……いや、でも、その薬師が美女という可能性も。
うーん、彼に限っては無いか。ちっとも想像できないし。
口を開けば、魔法かお兄さんのことだから。
「いや、お師匠様なら知ってるんじゃないかなぁって……」
残念ながら、私には土地勘が無い。
食事は塔1階に10日ごとに届けられるし、消耗品も同様だ。
そして塔の魔術師は研究目的以外で塔から出ると
古いしきたりで、塔に呪いの如く刻まれているらしくて、解除できないんだって。FxxK。
ちなみに弟子にはこのルールは適用されない。SxxT。
だけど、地図ならある。
先代が、試験魔法に失敗する人の分布を調べてたみたいで、それが確かこの辺に。
地形とかは特に変わってない、と思う。多分。
自然学とかは専門外だからね。
「これはどう?」
「これって、地図ですか?」
「薬師にこれ見せて、丸付けてもらえばいいんじゃない?」
「あー……そうですね。そうします」
私がそれを渡すと、彼はどことなく勢いを失くして、それを畳んでポケットにしまった。
何か、コミュニケーションを間違えたっぽい気がする。
でもまぁ、いいか。とその時はそう思ってた。
その翌日。
机の上に一枚の置手紙が。
そこには、こう書いてあった。
『薬師のアンジェラさんと薬草採取に行ってきます。1日俺を自由に使う権利と引き換えに手伝ってもらえることになりました。ジャック お弟子さんをお借りします。アンジェラ』
どうやら女性らしい、ということと。
タダ働きと書けばいいのに、妙に如何わしい言い回しと。
出来る女性っぽい感じの筆跡と。
何がとは言わないけどモヤモヤする。
私の脳内薬師は、ひょろい男の人から保健室で足を組んで座ってそうな妖艶な女性に変わった。たったそれだけの変化が、なぜこうも不快なのか。
その日の研究は全く手に付かなくて、数年ぶりに不貞寝した。
そのまた次の日。
机に置きっぱなしの手紙を見て、嫌な気分になった。
勝手な妄想に囚われている自分にも。
弟子に対する勝手な独占欲にも。
そんなことに集中力を削がれていることにも。
腹が立つ。
私は手紙を粉々に破いてゴミ箱に突っ込んだ。
そして、有り余る怒りを引っ提げて地下へと向かう。
そう、塔には地下がある。
越してきた時には薄気味悪い物ばかり置いてあったので、今はきれいさっぱり片付けて、だだっ広い空間が広がるばかりだ。
そしてもう一つ。
ここではどれだけ暴れても塔に影響は無いし、魔法は壁に当たり次第無効化される。
ここで私が何をやるのかと言えば。
氷の柱を立てて、叩き割る!!
寒くなってきたら火球で氷の欠片を蒸発させる!!
以降繰り返し!!
ものに当たるという最悪のストレス解消法ではあるけれど。これが効く。めっちゃ効くの。
シャンシャン割れていく氷は音も手応えも抜群だし、氷の欠片が高熱で一瞬で蒸発する様子もスカッとするのよね。うーんスッキリ。
ただ、やり過ぎると体がだるくなる副作用もあるから、やり過ぎは禁物なの。
そうやって、私が爽快な気分で地下から戻るのと同時。
塔に誰かを背負った弟子が勢いよく飛び込んできた。
「お、お師匠様!どっどどど、どうしたら!?」
「えーと、何があったのか知らないから知らないわよ」
さっき怒りを発散したばかりだからか、私は妙に冷静な気持ちで彼の背中を見やる。
そこには、苦しげに息を吐く老婆の姿があった。
既に顔色は青白く、あと幾分も猶予が無いことが分かる。
それでも、私は努めて平静に尋ねた。
「それがアンジェラさん?」
「魔獣に襲われて避け切れずに当たっちゃったみたいで!!」
その様子が、かつての弟子の姿に重なる。
なんだ。何も変わってないんだ。と思いながら、彼に彼女を降ろすように指示した。
「……くの……りを」
彼女をテーブルに横たえると、何か言っているのが聞こえた。
すかさず、声に
『きんちゃくのくすりを』
__魔術師は怠惰な者と揶揄されることもある。
__それは何故か。
私は、彼女の腰に
薄青の
__それは、何もかもを魔法でやろうとするからだ。
__だが、それが時には最善であることもある。
続けて、継続発動していたコレクトが再び音を拾った。
『わたしのなかに』
それも、高位の魔術師であると。
ならば、その信頼に応えよう。
私は
意図して入れたのは、これで3回目だ。
周囲の全ての音がかき消える。
ここに在るのは、私と、瀕死の老婆だけ。
私は、老婆の血管に
そして、アポートの極小展開で、血流に乗せる。
老婆の様子を伺いながら慎重に。けれど速やかに。
どれほどの時間が経ったのか、私には分からない。
老婆は回復したように見える。
呼吸も深く、長くなった。
急に、私の体から力が抜ける。
私の体は崩れ落ち、けれど、地面に叩きつけられることは無かった。
「…ょう様!!お師匠様!!」
「……ぁ」
遥か遠くから聞こえて来たように思える声が、私の耳朶を打った。
いっそ五月蠅いほどだ。だけど、その声は私のよく知る声で。
私はぼやける視界に目を擦りながら、どうにか椅子に肘を着くことに成功した。
口元に何かが押し付けられている。
つるりとして冷たい。
数秒を掛けて、私はそれを水の入ったコップだと理解した。
少しずつ、少しずつ現実が見えてくる中、私は押し付けられるがままに喉を鳴らして水を飲み。もういいとコップを顔で押しやると、脇の下に手を差し込まれる感覚があり、そのまま椅子に座らされた。
普段なら怒っているところだけど。
今はそんな気も起きないほど疲れた。
再び、視界が霞んでくる。
これは抗い難い。
眠気だ。
そう理解した頃には、私は寝落ちていた。
目を覚ませば、見慣れた天井だった。
左右を見れば、どうも私の部屋みたいだ。
だけど、そこにはいつもと違うところもあった。
私の弟子が、サイドテーブルに突っ伏して寝ていた。
「あーあ、よだれを垂らして、子どもみたい」
私は小声でそう言って、クスクスと笑う。
その場に老婆の姿は無い。
けれど、彼がここで安らかに寝ているということは、
それにしても、と思う。
あんな意味深な手紙を残して、実際は薬師は老婆で、まさか老婆趣味ということは無いと思うけど、ということは___
「まさか、ね」
私はその結論を先送りにする。
結局、それは憶測でしかないから。
それに、まだ時間はある。
ただ、引き留めることはしたくない。
となれば___
「帰る場所に、したいなぁ」
私は、次の目標を口にして、もう少し休むことにした。
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