02 出来ると信じて

 やっぱり、早とちりだったかもしれない。


 私は今、自分の見通しの甘さを憂いている。


「……チッ、出来っこない!こんなこと!」


 そんなやけっぱちな声と共に、また魔法は失敗して微かに黒い煙を残した。

 彼は今、「未練の塔」の外で、私の監督の下、魔法適性を測るための試験魔法を行使しようとしている。……しようとしている、という言葉の意味は。


「まだ全部試してはいないわ」


「でも一度もできてない……俺は魔術師になれないんだ……」


 そう言って勝手に落胆する男の子は、濃い緑色の髪をぐしゃぐしゃと力なく掻いた。朝に見たその髪と比べると、今のそれは曇りという天気も相まってくすんで見える。

 そうやって彼が勝手に絶望する一方で、諦めるつもりの無い私は目を皿のように細めて分厚い本をめくっている。

 試験魔法の一覧とその詳細が載った試験魔法年鑑だ。


 試験魔法とは、魔法が使えるかどうかを測るための、いわば、初級魔法よりも遥かに簡単で、厳密には魔法とは呼べないもので。


 魔法って言うと、魔力マナを使って特定の現象を起こすものなのよね。

 例えば、火柱だったり、例えば、流れる水だったりするのだけど。

 でも、この試験魔法は青く光って消えるだけの光を発生させたり、手のひらに握ればつぶれる程度の1cm大の土の玉を出すだけだったりと、一見何の意味も無い魔法なの。


 じゃあ何の意味があるかって言うと、使うマナがすごく少ないから、魔力の素質があれば発動できるの。魔力の素質があるかどうかのテスト、ってわけ。



 ところがどっこい。

 もはや希望無し、と膝をついて崩れ落ちそうになってる彼は、累計3つ目の試験魔法に失敗してる。

 1度目は何かの間違いだと言って。

 2度目は無言で唇をかみしめて。

 3度目は弱音を吐いて折れそうになっている。


 最初の威勢はどこかに行ってしまって。

 そこに立つ、いえ、もう膝を着いてるわね。

 膝をついて項垂れているのは、現実に打ちひしがれて、もう夢も希望も無いんだ、終わりだ、と嘆く、萎れた年相応の男の子。


 だけど、私はその子に声を掛ける。


「次はこれ」


「まだやるのかよ…もう無理だって」


「あなたが諦めてどうするのよ。ひとまずやってみて」


「うー……ん」


 私はまだ諦めていない。

 というか、、諦めさせるつもりはない。

 後悔は、彼が思いの外打たれ弱かった、ということだけだ。

 このザマではこの先が思いやられる、というただそれだけ。


 試験魔法の種類が多いのには理由がある。

 何も、意味もなくぎっしり詰まっているわけじゃない。


 それは___適性が関係している。

 実際の所、魔法の素質として魔力の量は、ほぼ関係無い。

 魔力が体にあるかどうか、だけが大事な部分で。


 というのは、自分の魔力オルマナだけは、何をどうやったって替えが効かないものだからだ。そして、それが無いと、魔法を使うことは出来ない。

 だから、如何に微細だろうと、自分の魔力オルマナさえあれば魔法を使うに足る。


 それ以外の魔力は、いくらでも補充できる。

 「未練の塔」の魔術師が、後続わたしに遺した理論が幾らでもある。


 そう、「未練の塔」の魔術師とは、自分の魔力オルマナがほんの少ししかない魔術師なのだ。


 ゆえに、私だから想定し得ることがある。

 それは、私の生涯研究であり、同時に扱い方を間違うと禁忌にすらなり得る研究。

 即ち、『誰しも素質はある。適性の種類が多すぎて見つけられないだけで』。


 それはこれまで、先代の研究を引き継ぐ過程でほんのり考える程度のことだった。

 だけど、今は違う。


 もしそれが本当で。

 私が捨てたものを持つ男の子の輝きを保てるならば。


 今がその仮説を立証するときなのだ、と。



 だけど。



「……もういい。もう駄目なんだ」



 その男の子が、立ち上がることは無かった。


 

 わざわざこんなところまで来たんだ。

 最後まで付き合ってもらう。


 ただ、それはそれとして。

 この萎びたキュウリをツヤツヤキュウリに復活……というところまでは行かないまでも、精々、瑞々しいキュウリまで戻す必要がある。


 こんなことは初めてだけど。

 でも、やらなきゃ始まらないから。



「ふーん、それでいいんだ。その程度の気持ちだったのね。遊び半分で__」


「はぁ!?その程度って何だよ!俺のこと何にも知らないくせに!!」


 あー、うん。

 なんかすごく簡単に行っちゃった。


 それにこの流れは。



「そんなに知りたいなら教えてやる!俺は__」


 やっぱりそうなっちゃうよね。と。

 私は内心、嘆息した。



 長くなるから、男の子__ジャックって名前らしい__の話を要約すると。


 尊敬するお兄さんがいて。

 そのお兄さんは歴戦の冒険者で。

 だけど、依頼から帰って来ることなく。

 幾ら待っても戻らないし。

 周囲は彼の死ばかり口にする。

 そんなわけ無い!あの兄貴が死ぬはずない!

 だから俺が探しに行く!!

 っていう典型的な物語テンプレだった。


「じゃあなんで魔術師なの?」


「兄貴が剣士だったから。俺は魔術師で一緒に旅するんだ」


 何故か、話が合流した後になってる。

 私は急に痛み始めた頭を抑えた。


 きっと、根幹は幼い子にありがちな変身願望なんだろう。

 それが、周囲の環境でこうなった、と。



 とはいえ。

 それが、あの瞳の輝きの正体だったに違いない。

 それなら後は、それを焚きつけるだけでいい。


「分かった。そういう事情があるなら、猶更諦められないわね?」


「そう……だけど」


 さっきの威勢はどうした。

 と思うほど、萎びるキュウリ。

 はいはい、もうそのくだりはいいから。


「お兄さんのことはもういいんだ」


「良くない!良くない……けど」


「出来ると信じて。やるのよ。少なくとも、私は出来ると信じてる」


「……」


 不安に揺れる、橙色の瞳が私を捉えた。

 私は、その瞳を真っ直ぐに見返す。

 普段だったらこんなことはしない。

 今は、それが必要だから。


 何より、この場面で目を逸らすような人に、私はついて行きたくないから。


「……分かった。やる」


「よろしい」


 瞳の不安は結局、無くなることは無かったけど。

 欲しい返事は貰えたからいい。


 あとは、出来るまで繰り返すだけだった。



 それからの彼は、休憩を申し出ることはあっても、文句を言うことは無かった。

 きっと、彼なりに覚悟を決めたのだと思う。


 私も、研究そっちのけで付き合った。

 そんな日は久しぶりだったし、疲労も溜まる一方だったけど、一人で過ごすのではない、誰かと過ごす時間は、思ったよりも悪くなかった。


 だけど、雰囲気は重苦しいままで。

 ただただ、失敗の回数だけが累積していく。

 それが10を超え、100を超え、試験魔法年鑑の半分を過ぎ、4分の3を過ぎ。


 日は傾き、周囲が暗くなり始め、肌寒くなってきた頃。


 年鑑の最後に差し掛かった時に、漸く。


「あっ」


 一瞬だった。

 でも、その閃光は確かに私たちの目に映った。

 いっそ眩しいほどの光に、残像が見える。


 自然ではあり得ない光。

 それは確かに、魔法による光だった。


 良かった。

 あれだけ言ったのに駄目だったら、私も萎れたナスビになるところだった。


 そうして、私はホッと息を吐き、感動に震える男の子の肩を叩く。


「お疲れ様。良かったわね。適性があっ」


「あっあああっありがとう!!ありがとうミルア!!俺っおれっ!!」


 相手の事を考えない突進に、私の体はあっさりと宙に投げ出される。

 慌てて、バルーンを小規模展開して衝撃を殺し、スワンプで小さな沼を作り、そこに背中から着地する。


 ……ローブが泥塗れになってしまったけど、怪我をするよりはマシね。

 特に私みたいなモヤシちゃんは怪我したら中々治らない。

 治療系の魔法は対象の体力を消費して治すから、私みたいな引きこもり少女との相性は最悪なのだ。


「出来ないと思った!!だけど出来た!!ありがどう!!あ゛り゛か゛と゛う゛!!」


 段々と涙と鼻水に塗れて、ついでに台詞も濁点塗れになっていく男の子の肩をポンポンと叩いてあげる。主に背中に張り付くような泥の感触は最悪だけど、こうやって正面から感謝されるのも、まぁ、悪くない。


 私は、ふと、自分が魔法を使えるようになった時を思い出す。

 私の時は確信があった。だから出来た。

 神様が保証してくれたから。絶対の保証があったから出来た。


 だけど、今回はそれは無い。

 私みたいな、初めて会った小娘の頼りない保証しか無かった。


 でも、それでも彼は成し遂げた。

 成し遂げてくれた。


「ありがとう」


 自然と、その言葉が口から出た。

 だけど。


「な゛ん゛っ…なんでミルアが……、俺が言う方なのに」


 本人はそれを分かっていないのが、なんだか面白くて。


「ふふっ」


「……」


 思わず笑ったら、彼はぽかんと口を開けて。

 何も言わずに口を閉じた。


 そして、袖でグシグシと乱暴に鼻周りを拭うと、私を正面から見据えた。


 あの日見た瞳よりも、ずっと強く輝くその瞳は。

 私を見ているようで見ていないようにも見えて。


「俺、やるよ。ミルア。魔術師になって、それで……」


「ええ。それが出来るように、教えてあげる」


「……よろしくお願いします」


 なんだ。

 そういう風にも言えるんじゃない。


 と、それはそれとして。


「そろそろ退いてくれる?」


「あっ…!ご、ごめん!!」


 大泣きして師匠を押し倒したことは覚えておこうかな。

 なんてね。



 そんなことがあったからか、それからはジャック君おとこのこの態度は大分マシになった。ただ……。


 知ってた敬語は「~様」と「よろしくお願いします」だけ。

 それだけは叩き込まれたらしい。


 保護者をしても、それだけしか教えられなかったのか…。

 とも思ったけど。


 少なくとも、今は覚えようとしてくれている。

 覚える速さが遅くても、たまに間違えても。

 とにもかくにも、まずはそれを覚えてもらわないと、見習いから弟子への昇格は出来ないから。


「お師匠様さん!」


「その場合、さんはいらないの。それで?何か用?」


「床拭き終わったました!」


「お・わ・り・ま・し・た、ね。ありがとう」


 だから、今はそれを覚えてもらいつつ、掃除をしてもらっている。

 いわゆる下積みだけど、この子には必要無い、というか意味が無い。


 だって、馬鹿正直に掃除をしている。

 普通は"見て覚える"というターンなんだけど、この子は純粋過ぎるから。

 だけど、その気持ちも分かる。経緯は違えど私もそうだから。


 それに、見習いの状態だと、出来ることも限られているから、今はこれでいい。

 動機はどうあれ。

 これ以上の速さで進めることは出来ないのだから。


 でも、どれだけ時間が掛かろうと、私は必ずこの子を魔術師にして見せる。

 それだけは、心に決めた。


 あの瞳の先を見たいから。

 研究は、ほんのついでだ。

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