03 スクロール作成

 素材を得て、街へと、宿へと戻った男は、鞄を文字通り開きにした。


 この鞄は構造が少し変わっている。


 というのは、各箇所を繋ぎ止めている紐を特定の順番で解くと、一枚の大きな布となるのだ。


 彼は作業をする時はいつもこうやって、即席の作業場を展開していた。



「羊皮紙は、よし。問題無くな」



 乗せた時よりもわずかに軽くなっている気がする重石を取り除き、羊皮紙にさっと指を走らせた彼は一つうなずいた。

 羊皮紙は、元の状態よりも手触りが滑らかになるのだ。



「それじゃあ、まずはインクを……ふぅ、集中集中…」



 彼は手始めにインク瓶を手に取ろうとしたものの、その手を引き、姿勢を正すと少しの間、瞑想し始めた。


 ここから先は、特に集中力が必要な作業となるためだ。



 術巻物スクロールの作成において、インク作りは必須だ。

 ただのインクでは、使い物にならない。

 加工したインクでなければならない理由があるのだ。


 術巻物スクロールの構造は、羊皮紙に込められた魔力マナをコストに、書かれた呪文スペルを発動させる。というものだ。


 だが、羊皮紙に込められる魔力には限度がある。

 人体でも石でも無い、薄っぺらな紙に込められる魔力などたかが知れている。

 いくら多少の厚みがあるとはいえ、所詮は紙。

 それも、何の変哲もない紙である。


 しかし、術巻物スクロールは軽いから意味があるのだ。

 何枚も持ち歩けることに、魔力を必要としないことに意味がある。



 では、ただの紙を術巻物スクロールに加工するにはどうすればいいのか?

 その答えがインクの加工だった。




 瞑想を終えた彼は今、インク瓶に羊皮紙に乗せていた石を近づけて、ふっと息を吹きかけて内にわずかに残っていた魔力マナを中へと落とす。


 息を吹きかけることに意味は無い。

 ただ、そうすることで、感覚的に魔力を動かしやすくするためだった。


 インクが仄かに青く光ることで、魔力が移ったことを確認すると、彼は傍らに置いていた白石ムートを手に取った。



「慎重に……そおっと……」



 インク瓶へとそれをゆっくりと近づけ、すすす、と上へと移動させていく。


 すると、インクはその動きに応じて瓶の口から、まるで黒色の軟体生物かのように膨らんだ。

 ぴょこん、と顔を出すように見える一方で、彼の表情はガチガチに硬い。


 一見シュールな状況だが、彼は真剣そのものだった。



 白石ムートを上へ上へと引っ張ると、インクは丸く糸のような尾を引いてそこに追随するように持ち上がっていく。

 内に含まれる魔力が、白石ムートに引かれて持ち上がっているのだ。


 それを、複数個の白石ムートを使って大きくしてゆく。

 黒い玉は、インク瓶の大きさ以上に膨らみ続ける。


 インクが魔力と共に外側へと向かうため、内側が空洞となるからだ。


 一度上に引き上げた白石ムートは戻せないため、親指以外の指の間に挟んでいき、インク玉からほどよい距離を保ち続ける。

 


 やがて、瓶から全てのインクを吸い上げ、真球に程なく近いその前で、彼は極限集中トランス状態に入っていた。彼の瞳の奥で青い光が断続的に瞬く。


 丸く宙に浮くインクの両側に、手のひらを内に向けた状態で指に挟んでいた白石ムートがボロボロと零れ落ちてゆく。


 だが、インク玉は揺らがない。

 白石ムートの助けを借りて、各指とインク玉の間に通り道パスが繋がったのだ。



 この状態になれば、後はそう難しいことではない。

 何らかの外的要因に邪魔されなければ。


 彼は無意識下で両の手を、インク玉の表面を滑らせるように動かしてゆく。

 その度に、青い軌跡が表層を走り、ぼやけては消えていく。


 指とインク玉は青く薄い線で繋がっているように見えるが、これはその実、指からインク玉へと流れる魔力線マナラインでもある。

 それはつまり、体から魔力が吸われ続けている、ということでもあり。



「っ……ぶはっ!?」



 それは、極限集中トランス状態から正気へと戻るということでもある。


 幾度となく経験したそれは、決して気持ちの良いものではない。

 

 そうして、残り少ない魔力を維持しつつ、歪な球体となったインク玉を慎重にインク瓶へと収めるという、疲労との戦いがたった今から始まるのだった。




 少々零してしまったが、8割方成功を収めたインクへの魔力付与エンチャントを終えた彼は、疲労を感じつつも次の作業へと移る。


 見習い故の、下手くそな制御故の、疲労。

 つまり、繰り返すレベリングしかない辺り、救いが無いのだが。


 彼はこの調合作業メルティングは割に好みだった。

 すなわち、息抜きの時間である。



月の蕾ルーナを挽いて~紫根ネレイアを砕いて~混ぜる~」



 歌なのか何なのか、絶妙に判断のつかない気の抜けた言葉を並べつつ、彼は薬草の調合に使うようなすり鉢とすりこぎmortar and pestleで、一種類ずつ丁寧に液状、粉状に加工して混ぜていく。



 これら触媒は、紙に込めた程度のわずかな魔力でも呪文スペルを発動させられるようにするためのものだ。

 具体的には、呪文スペルを弱くすることでコストを削減させたり、周辺環境から魔力マナを集めて足したり、といった効果がある。


 それぞれは細かく微小な効果だが、重ねることで効果を増す。

 呪文の発動という目的に、あらゆる手法を使っているのだ。



 それらは実に単調な作業だが、月の蕾ルーナは白みがかった青色の液体に、紫根ネレイアは赤紫の粉末になるため、目に楽しいカラフルなのだ。


 しかし、インクは黒い。

 黒には何を混ぜても黒だが、逆に言えば少なくとも汚い色になることは無い。

 また、同時に平坦な黒という色は心を落ち着かせる効果もある。


 そんな、平穏そのものの作業を終えると、次は___



「最後の踏ん張りどころ、か。よし」



 紙にインクで呪文を書く、最大の難所クリエイト・スクロールである。




 少しの休憩を挟んだ彼は、きちんと椅子に座り、机に向かっている。


 なお、この机は組み立て式のもので、元々宿にあったものではない。

 鞄に元から入っていたものだが、便利なため使っているのだ。


 特に、見習いの間は書く際の姿勢も重要らしく、重宝している。


 それはそれとして。


 現在、彼の手元には魔力付与エンチャント済みの羊皮紙とインク、それから、そのインクを紙に書きつけるための筆が置いてある。


 彼は一度、大きく息を吸い、ゆっくりと吐き出して、慎重に筆を取った。



 たかが、文字を書くだけ。と侮ってはならない。

 見習いと呼ばれるだけの理由が、そこにはある。


 要旨ポイントは、『均一であること』。

 そして、『詠唱キャストと同様の速度』だ。

 いずれも本から学んだことだった。



「止まらないように、滑らかに、思い出しつつ……」



 これからする行動を小声で口に出しつつ、彼は、ぎこちなくならないよう、滲まないよう、それでいて速やかに、筆を進めてゆく。


 おぼろげな記憶から、かつて旅を共にした魔法使いたちの詠唱キャストを思い出しつつ、書きつけていく。


 まだ、明らかな失敗以外は使ってみないことには分からないのだが、油断せず1枚1枚を丁寧に仕上げていった。




 6割方の成功を、成功というべきか。微妙なところだが、半分以上できたんだから成功ということにしよう、と納得した彼は、インクを乾かし終えた羊皮紙の仕上げに取り掛かっていた。


 保護塗りコーティング造印サインである。



 魔力付与エンチャント済みインクは、とても変質しやすい。

 術巻物スクロールを作る直前に加工するのもそのためだが、何より、紙に書きつけると更に変質しやすくなってしまうのだ。


 光に当たる、水に濡れる、急な温度変化のみならず。

 珍しいもので言えば、魔力が近くで揺れた時にも。


 それを防ぐための保護塗りコーティングだ。



 ただ、これは別に魔法的作業ではない。

 調合作業メルティングと同様に、素材を砕いて今度は湯に溶き、文字をなぞっていくだけである。

 それも、はみ出ないようになぞる必要は無く、なんなら塗りつぶしてもいいのだが、それでは判別がつかなくなってしまうため、商品価値が無くなってしまわない程度に雑になぞっていく。



「フンフンフン~♪」



 その後は、乾いたものから造印サインを押していく。

 これは誰が製作者であるかを示すと同時に、安全鍵ロックでもある。


 のだが、まだ作り方が分からない以上、彼は商品として売っていた術巻物スクロールから、始動語も造印も真似まるパクリしていた。



 術巻物スクロールを使う時に唱えるのが始動語だ。

 逆に言えば、それを唱えない限りは術巻物スクロールが発動することはない。


 他にも、術巻物スクロールを開いておくこと。

 目視で中心に指を当てること。などの約束事があるが、それらはひとまず置いておく。



「よしできた!おーわり!!」



 乾かした術巻物スクロールを一つ残らず紐で留め、再度組み立てた鞄の中へと放り込むと、彼は無邪気に万歳ポーズで喜ぶ。


 外は暗いが、部屋の中は魔力マナの残滓で仄かに明るい。

 しかし、もうやることも無いので、彼はすぐさまベッドへと倒れ込み、間もなく寝落ち、安らかな寝息を立て始めるのだった。



***

※こういうのを書くのが好きです。

※インク玉への魔力の浸透のイメージはコンタクトジャグリングです。


***

 もし、こうした方が良くなると思う。ということがあれば遠慮なくコメントいただけると有難いです。そのために書いているものなので。


※煽りや根拠の無い指示コメント、誹謗中傷にならぬようご注意下さい。

 指示したい場合は提案という形でお願いします。

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