第5話
時間は夜の19時。そろそろ店じまいをしましょうかとマスターの呼びかけがあったので、常連客の男性、マダムと帰り支度をしていると、
カラン、カラン。扉の開く音。
20代後半ぐらいの男女のカップルだ。
「いらっしゃいませ。どうぞ、お好きな席へ。」
ふたりはテーブルに座って、男性は何か言いたそう・・・女性は下をむいてモジモジしてと、気まずそうな空気を出している。
帰ろうとしていた私達は慌ててカウンターに戻り、皆で顔を寄せ合って「どうしよう・・・。」
「香ちゃん、注文、聞きに行って来いよ!」小声で言ってくるので、
「わかりました。ついでに話の内容も聞いて来ます。」
「香ちゃん、いい度胸ね。」マダムが驚いている。
私は平静を装い、「いらっしゃいませ。」とお水とおしぼりを出す。
「このお店では、ブレンド珈琲しかメニューにありませんが、お客様のリクエストがあれば、それに沿うように努めさせていただきます。」
「ああ、じゃぁ、そのブレンドで。」
「あの、リクエストなどは・・・」
「お任せします。」
「畏まりました。」
私は慌ててカウンターに戻り、報告を待つ2人の元へ
「何も話してませんが・・・どうやら、これから決定的な瞬間が見られるかもしれませんよ!」
「なんでわかるんだ?」
「女の勘です!」
テンションは上がるが、ヒソヒソと報告。
「それで、香さん。」マスターまでもがヒソヒソ声になっていて
「どんな珈琲がいいと思いますか?」
「私にわかる訳ないじゃないですか!マスターが決めてくださいよ!」
「男の気持ちはわかりますけど、どちらかと言えば女性を盛り立ててあげたいので、香さんに聞いているのですが・・・。」
「それに・・・」
「何ですか?」
「私に2人の今後を決めるかも知れない重大な事を受け止める勇気はありません。」
「マスター・・・。」
「ここは一つ、ガツンとストロングなものはどうでしょう?目も覚めるし、冷静になりますよ!」
わかりましたとマスターが珈琲豆を炒り始めた・・・。
店内に少し苦いコーヒーの香りが充満する・・・その香りと気まずい空気に辛抱できなかったようで、男性は「あの、まだですか?」
「はい、当店は注文を聞いてから豆を炒り始めますので、20分は待ってください。」
「は、はぁ・・・。」若干、残念そうである。
緊張しているのだろう…お水を良く飲むので、何度もお水を用意した。
男性は何か言いたげに顔を上げるが、すぐに視線を何処かに移す。
女性は何かを待っているように、俯いている。
「・・・」
「・・・」
・・・沈黙の二人・・・。
「香ちゃん、何か音楽、音楽!」また、ヒソヒソ声で言ってくる。
「私にジャズなんてわかる訳ないでしょうが!お客さんが選んでくださいよ!」ヒソヒソと答える。
「なんでもいいからかけてよ!俺らがもたん!」
「わかりましたよ!」
数あるレコードの中から、エイ、ヤァと目を瞑って選んだレコードをタイトルも確認しないままプレーヤーにセット!
レコード針がレコードのノイズをスピーカーに流していく。
緩やかに流れてくるのは、グレンミラーオーケストラの「ムーンライトセレナーデ」。愛いっぱいの音楽が気まずい二人を優しく包みこむ。
「香ちゃん、いい選曲だよ!これで、上手くいくこと間違いなし!」と常連さんが、親指を立てる。
「おまちどうさま、ブレンド珈琲です。」
強めの珈琲の香りが2人の鼻腔を刺激する。
二人は珈琲カップに口を付け、啜り始める・・・。
ガツンと来る味にびっくりしたのか、吹き出しそうになった男性。
その様子を見て、微笑ましく笑う女性。
和んだ空気に戻った2人の会話は弾みだし、そして・・・意を決した男性が口を開いた。
「ぼ、僕と…け、結婚してください。」
「はい!」
待ち望んでいたかのように女性の答えは早かった。
私たち全員、おめでとう!と言い、ありがとうございます。と返すカップル。その日は珈琲での「宴」になった。
「香さんが言った通りになりましたね。ストロングにしてよかったです。」
マスターも満足そうだ!
調子に乗った私は、カップルに向かって、「良ければここで披露宴の2次会しませんか?」
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プロポーズの翌日。
私は、披露宴の2次会をここでやりませんか?と言っただけなんです!
なのに・・・・
なんで、私は、結婚式の手伝いをしているんですかぁ〜!作業服に鎌と桑を持った私は空に向かって叫んだ。
「香さんが言い出しっぺなんですから、諦めて下さい。」
汗まみれ、泥まみれのマスターが、ヒィヒィと息を切らしながら、言ってきた。
森のように生えている木々のせいで気付かなかったのだけれど、実はお店の裏にも通路があって、行ったことがない所に差し掛かる。
そこに見えるのは、「チャペル」だった。
マスター曰く、ここは元々教会だったのだが、廃棄状態だったのを、マスターが引き取ったとの事。
なので、これ幸いとここで式を挙げると言うことになり結婚式までの間、お店は休みにして、毎日教会と通路の掃除に明け暮れていた訳です・・・。
結婚式当日。
そのかいあって、純白の教会、鮮やかな木々の緑に純白のドレスがよく映える。新郎が待つバージンロードを一歩、一歩と新婦の父のエスコートで新郎の元へゆっくりと歩いて行く。
オルガンの音色も心地よく、出席者の心に響くようだ。
神父の儀式も滞りなく終わり、新郎はベールを上げ、そして「誓いのキス」。
2人の幸せを祝福するライスシャワーの中、鐘の音に合わせ新婦が投げたブーケトスは何故か、私がもらった。
私、まだ高校生だよ?
打ち上げは庭園で行われることになった。
ケーキはパティシエ店長、渾身の力作。
そして、ケーキを引き立てるのはマスターが淹れた、
「ストロング・珈琲」
改め
「キューピッド珈琲」
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夏休みになり、私のバイト生活も、5か月目となり、少し慣れてきた。
変わった事と言うと他の珈琲が飲めなくなった?元々珈琲嫌いだった私がマスターの淹れる珈琲のみが飲めるようになった事。
「弱火にして、焦がさないように、ゆっくり~ゆっくりと豆の水分を飛ばすイメージを持って〜」
マスターが私に珈琲の焙煎を教えてくれている。
「あれ、マスターが教えるって珍しいね!」
「今、話しかけないでください、ほら、焦げちゃったじゃないですか!」
「すまんな。その豆で淹れた珈琲、俺が飲もうか?」
「いくら常連様と言っても、それは出来ません。」
私は焙煎に失敗した珈琲豆を捨てながら、常連さんに言った。
「オイオイ、勿体ねーな!高いんだろ、その珈琲。」
「お客さんのせいです!それに、この豆は練習用にとマスターか用意してくれた1番安い豆ですので、安心して下さい!」
そんな言い合いをしていたら、マスターが、
「香さん、豆を一人分、炒ってください。」
私は焦がさないように、おっかなびっくり、ゆっくりゆっくりと豆を炒る。
目を離すことが出来ない・・すぐに焦げてしまいそうで怖いからだ。
香ばしい?香り?匂い?臭い?が店内に立ち込める・・・。
焙煎完了!続いてコーヒーミルで豆を挽く。
ドリップに移して・・・。
「香さん、ストップです。これを使いましょう。」
と出してくれたのは、ガラスでできた、フラスコ?みたいな奴。
「何ですか?これ。」
「これは、サイフォンと言って、初心者でも美味しく珈琲を淹れることが出来る魔法の道具ですよ。」
「今回は、このサイフォンを使って珈琲を淹れてみましょう。」
アルコールランプに火を灯す。
優しくも青い炎はフラスコのような器の水をゆっくりと沸騰させて、管を通り、上に上がる・・・。
お湯がなくなったら珈琲になって、降りてくる・・・。不思議。
「香さんの初めて淹れた珈琲ですね。」
「では、最初の一杯はお客様に、どうぞ・・・。」
「お、俺?俺が飲むの?」
「どうぞ、遠慮なく。」
心なしか常連さんのカップを持つ手が震えるのが見える。
その震えがピークに達したと同時に口に含む!
盛大に吹き出した・・・。
「え?そんなはずは・・・?」私も飲んでみる。
私も噴き出した!何?生臭い!それでもって焦げ臭い!
「ハハハ、やっぱりそうなりましたか。」
「火が強すぎる上に水分が飛んでないし焙煎にムラがあるんですよ。」
「これからは、もっと弱火で、もっとゆっくり丁寧に、解りましたね。」
「はい、わかりました。ところで・・・」
「何でしょう?」
「あの常連さんにマスターの美味しい珈琲を出してあげなくていいのですか?」
「これは、私としたことが。」
私の珈琲の修行も始まったばかり・・・
これからも、このマスターと一緒にのんびりとやって行こう。
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