第8話 奇跡の治癒魔法 ~光の聖女・慈愛のエリザ

 エリザ様は私をじっと見つめたあと、そのまま通り過ぎて行かれた。

 セシリアも気づいたようだ。


「アンジェ、今、にらまれなかった?」

「う、うん……。なんか、視線が合っちゃった」


 子供の手前まで来るとエリザ様はしゃがんだライルさんの肩から降り、地面の血だまりにかまわず両ひざをついて子供を観察しはじめた。


 さっきから白い服が血で汚れてもエリザ様は全く気にされない。


「……でも、すごく優しそうな人ね」

「アンジェは見るの初めてか? あれが光の聖女、エリザ・ラヴォワール侯爵令嬢。通り名は、慈愛のエリザ」


 たしかにエリザ様の微笑には慈しみと愛が感じられる。


 エリザ様は光に包まれた右手をかざして子供の頭から足先まで何度か往復させると表情がかなり険しくなった。

 エリザ様は子供に両手をかかげて詠唱を始めた。


「女神ルミナスの導きに我が魂呼応せん。この手に宿るは聖なる光、姿壊れし物に満ちて形を取り戻さん」


 すると魔法陣が浮かび上がり、両手から金色の光が出始めた。


「つつみこめ、光華再還!」


 金色の光は広がっていき、子供の全身を包んでいった。


「きれいな光……」


 その美しさに私を含めて多くの人が声を漏らした。


 しばらくすると端から少しずつ傷が消えていき、ついに傷がなくなった。

 そして変な角度で曲がっていた脚すら真っ直ぐに戻っていった。


 奇跡。

 その二文字以外に目の前で起きていることを表せない。


 これが、聖女の治癒魔法!

 私たちが授業で学ぶ治癒魔法なんかとは、とても比べられない。


 シオンさんも驚きの表情でエリザ様の治療を見つめている。


「恐ろしいほどの魔力ですね。こんな治癒魔法は見たことがありません。もはや人の領域を越えていますね」


 その口ぶりは魔法について知識があるような感じがした。


「シオンさんは魔法に詳しいの?」

「多少の心得はございます」


 ふーん、なんだろう?

 商会で魔道具でも扱ってるのかな?


 不思議に思うが、すぐに目の前の治療風景に意識が戻っていく。

 周囲の全ての人も固唾をのんで見守っている。


 エリザ様が手をかざし続けていくと、子供の顔から苦痛の表情が消えていき、やがて目を開いた。

 光は消えていき、エリザ様は母親の方に微笑みを向ける。


「もう大丈夫ですよ」


 子供は上体を起こして不思議そうに周囲を見渡すが、母親に抱きしめられてびっくりしている。


「エリザ様、ありがとうございました! ありがとうございました!」


 母親が地面にこすりつけるぐらい頭を下げ始めるが、エリザ様は母親の肩を持ち上げてやめさせた。


「ある公爵のカゼの治療で呼び出されて、たまたまここを通りました。これも女神ルミナスのご加護でしょう」


 ライルさんが心配そうにエリザ様に話しかけた。


「エリザ様、そろそろ急ぎませんと」

「そうね、でも、ちょっと待って」


 立ち上がったエリザ様が歩き始めた。


 えっ、こっちに向かって来る⁉

 そして、私の前で止まった。


「あなた、大きな魔力をお持ちのようですね」

「あ、あの、えーと……」


 受け答えに困っている私にかまわず、エリザ様は私を観察するように頭から足までをじーと見つめる。


「王立学園の制服、赤毛……。思い出しました! 赤毛の落第聖女候補!」


 がーん……!

 世間ではそんな呼び方をされてるんだ。


 私は真っ赤になってうつむき、はい、と答えた。


「ちょっと失礼しますね」


 そう言って手の平を私にかざして金色に輝かせると、私の頭から下腹部にかざしつつ上下に何度も動かす。


「体に悪いところは全くないようなのに、なぜ、魔法が使えないのかしら?」


 不思議そうに小首をかしげるが、私の方を向いてニッコリと微笑まれた。


「魔法が使えるようになる年齢は人それぞれですから。あきらめることなく、頑張るのですよ」


 そう言ってライルさんの肩に乗る。

 ライルさんが立ち上がり馬車に向かうと、もう一度私を振り返った。


「あなたとは、きっとまた会えるでしょう」


 歓声で見送る人々に手を振って馬車の方に去って行くエリザ様を見ながら、さっきの治癒の光景を思い返した。


 魔法の初歩すらできない私が、奇跡を起こす聖女を目指している。

 なれるわけがないのに。

 私は貴重な青春の時間を使ってなにをやっているんだろう……。


 思わず目から涙がこぼれた。

 そんな私の様子をシオンさんが不思議そうに見た。


「お嬢様、どうされました?」


 あわてて手で涙をぬぐう。


「私を聖女にするっていう辺境伯の宿題、絶対無理だと思わない? 今の聖女様の魔法を見たでしょ」

「そうとは限りませんよ。一緒に頑張りましょう」


 今の奇跡を見て、まだそんなふうに言えるとは……。


 ニッコリと笑ってそう言うシオンさんを見て、あきれてしまった。


◇◆◇


 商会から運びだされた数箱分の帳簿や資料は我が家の一階の書斎に運び込まれた。

 それからの三日間、夜中もずっと書斎の灯りがついていた。



 今夜もやってる……。


 二階の自分の部屋から見える書斎の明かりを見て少し心配になった。

 シオンさんは午前中は商会の人とあっちこっちに行っているらしいが、午後からはずっと書斎にこもっているようだ。


 毎晩、なにしてるんだろう?

 それに、いつ寝てるんだろう?

 明日、学校から帰ったら書斎をのぞいてみようかな。


 そう思いながらベッドに入り、眠りについた。



 翌日、帰ってから書斎に行ってみると、廊下までキャッキャッと楽しそうな声が聞こえてきた。

 中をのぞくと、ちびアンジェがシオンさんに肩車されて楽しそうに遊んでいた。


「あっ、姉さま!」


 ちびアンジェが私に気づいて声を上げたので中に入っていく。

 大きな机の上に帳簿や書類が広げられているのが見えた。


「ちびアンジェ、ダメでしょ、シオンさんのお仕事のジャマしちゃ」


 シオンさんが肩からちびアンジェを降ろした。


「大丈夫です、ちょうど休憩していたところでしたから」


 それでもちびアンジェは私の厳しい顔を見て部屋を出ようとするが、シオンさんが呼び止めた。


「アンジェリカお嬢様、ちょっとお待ちください」


 そう言って、立ち止まったちびアンジェの頭を優しくなで、額に手を置いて目を閉じた。


 私は不思議に思いながらその様子を見る。

 ちびアンジェは四歳児でもやはり女性か。

 カッコいい男性に頭をなでられて、ほほを染めてポーとしている。


「やはり……」


 シオンさんはちびアンジェの額から手を離しながらつぶやいた。


「どうしたの?」

「アンジェリカ様も、かなり大きい魔力をお持ちのようです」


 ちびアンジェに魔力?

 しかもかなり大きいですって⁉

 そもそも、なんで頭なでてわかるの?


 我が家は魔法の名門とかでは全くない。

 先祖や親戚に魔法が使える人がいたというのも聞いたことがない。

 それなのに突然,姉妹で魔力持ち?


 それに、ソフィア様やエリザ様は私の魔力を感知したけど、それは聖女級の魔力を持っているから。

 なんで、シオンさんが似たようなことをできるんだろう?


「さわっただけで魔力があるってわかるの?」

「はい、なんとなくですが。一度、魔力検査を受けた方がいいかもしれません」


 さらに驚く私の隣で、ちびアンジェが検査という言葉に反応して、しかめっつらをシオンさんにむけた。


「けんさって、いたそうだから、いや!」


 走って部屋から出て行こうとするが、立ち止まって振り返る。

 おやおや、ほほが赤い。

 四歳とはいえ、カッコイイ男性に頭をなでられて照れてるみたい。


「また、いっしょにあそんで!」

「ええ、もちろんです」


 シオンさんは優しく微笑みながら手を振り、去って行くちびアンジェを見送った。


「本当にお嬢様の小さいころにそっくりですね」


 えっ⁉


 驚いてシオンさんを見た。


「……と、皆さん言っておられますね」


 なーんだ。


 だけど、妹も大きな魔力持っている?

 今のは聞かなかったことにしたほうがいいんじゃないかな。

 こんな苦労は私だけでいい。


「ところで、お嬢様、どうされましたか?」


 我が身を振り返って考えていると、机に戻っていくシオンさんに言われて我に返った。


「その、毎晩遅くまでなにしてるのかなって思って」


 シオンさんは机の前に置かれたイスを手で示し、私に座るように促して自分も机に戻った。


「辺境伯の指示で、テレジオ商会とフロディアス商会の提携案をいくつか作っております」


 そう言って、顔を伏せて書類にペンを走らせ始めた。


「うちとの提携?」

「どんな提携が可能で、どれだけ儲かるか。それを考えるのが私の宿題の一つです。辺境伯はただ助けるための援助はされませんので」


 私を聖女にするという宿題より、はるかに現実的に聞こえる。


「さて、ちょうど、できあがりました」


 そう言ってペンを置いて分厚い紙の束を両手で持った。

 良く見ると顔色が悪く、目の下にうっすらとクマもできている。


「顔色、あんまり良くないわよ……」

「この三日間、あまり寝てませんので。お見苦しいところをお見せして申し訳ありません」

「なんでそんなに急いでるの? 辺境伯の要求?」


 シオンさんは顔を上げてまじめな顔で私を見た。


「ゆっくりしていると、お嬢様が婚約させられますので」


 えーっ、また⁉


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