第7話 フロディアスの銀狼 ~聖女との遭遇

 レビンさんはにこやかに私に話しかけてくる。


「キミのことはソフィアから聞いているし、ボクも遅くまで練習するから、ここで居残り練習してるのをよく見かけてたよ。周りの雑音は気にしないでがんばって。あせることはないから」


 優しく微笑みかけられて真っ赤になりながら頭を下げる。


「ありがとうございます。努力します」

「うん、ボクは努力する人は大好きだよ」


 赤くなった顔にさらにカーと血が上っていった。



 去って行く王子たちを頭を下げたままセシリアと見送る。

 十分離れたところでホッと緊張を解いてベンチに座った。


「ちょっと、なによ、今のレビンさんの一言! 意味深じゃない?」

「い、一般論でしょ。もしくはソフィア様に励ましてやってと頼まれたとか」

「昨日の贈り物の人といい、突然のモテ期到来とか?」


 照れくささもあって話題を変える。


「結局、あの人、うちの執事さんになるんだけど、商会にいるはずだから放課後に行ってみない?」

「もちろん、行く行く。ちゃんと紹介してね!」


 美形好きのセシリアは身を乗り出すほど乗り気になった。



 テレジオ商会は祖父が起こした商会で、毛織物や穀物、外国の産物などを大量に買い付けて、問屋や小売店に販売して稼ぐような商売をしている。


 事務所は王都の中心の大通りの建物にあり、中に入っていくと帳簿や書類を箱に入れて運んだりとざわついている。


「こんにちは、ハリス」

「よお、アンジェ。あっ、セシリアさんも一緒か」


 祖父の代から仕えている老マネージャーのモルガンさんの息子のハリスは私の四つ年上。

 子供の頃から知っているので呼び捨てだが私が主人の娘ということもあるのかお互いに恋愛感情は全くない。


 なんとなくだが、セシリアに気があるのではないかと感じる。


「ごぶさたしてます、ハリスさん」

「や、やあ、元気?」


 ほら、挨拶されただけで顔が赤くなった。

 セシリアの気持ちはわからないが、お似合いのカップルになりそうな気がする。


 あたりを見回すが、シオンさんは事務所にいなかった。


「シオンさんはもう帰った?」


 悪いとは思いながら、セシリアと話していたハリスに聞いた。


「彼なら、親父と会議室にいるよ。もう、三時間ぐらいずっと二人でこもってる」


 そう言って会議室の入り口を指差した。


「朝、だんな様から彼を手伝うようにって指示されて。それから言われるままに帳簿や資料出して、そのうちの一部は屋敷で詳しく見るから運んでくれって」


 ちょうどそのとき、会議室のドアが開いた。

 中から、シオンさんと疲れきった顔のモルガンさんが出てきた。


「アンジェ、明るいところで見たら、もろ、あたしのタイプ。早く紹介してよ!」


 そんなセシリアを見てハリスがムッとした。

 なかなか、青春してますね。


「お嬢様、今お帰りですか?」


 私に気づいたシオンさんが微笑んであいさつするが、私の紹介を待たずにセシリアが歩み寄っていった。


「昨日は失礼しました。アンジェの親友のセシリア・ハートフォード、王立学園魔法学科二年、属性は炎です。よろしくお願いします」

「あの火球の方ですね。見事な魔法でした。シオンとお呼び下さい」


 そういえば、昨日の火球はなんで突然消えたんだろう。


 思い出し始めた私にモルガンさんが眉をしかめて近寄ってきた。


「アンジェ様、あの人、なんなんですか? この商会の強みはなんだ、弱みはなんだ、課題はなんだ、とか、そんな感じで三時間ずっと質問攻めですよ」


 ハリスも心配そうに私たちの話に加わってくる。


「そうなんだよ。明日から、うちの仕入れ先とか、大手の客に連れてけって……。だんな様はいいって言うんだけど」

「お嬢様、本当に大丈夫なんでしょうか」


 祖父の親友の使いとはいえ、そこまで信頼していいのだろうか?


 私も不安になるが、父が承諾している話なのだから娘の私が否定することはできない。

 まして、一緒に心配して不安を増やしてもしょうがない。


「彼はフロディアス辺境伯の贈り物ですから大丈夫です。心配いりません」


 やや引きつった笑いを浮かべて、老執事アルバートさんの受け売りで答えた。


「フロディアス辺境伯の贈り物?」

「じゃあ、フロディアス商会の人じゃないのか、大商会でうちなんかくらべものにならないぐらいの」

「……そういえば聞いたことがあります」


 箱詰めを指示しているシオンさんを見ながら、モルガンさんが話し始めた。


「三年ぐらい前にフロディアス商会が独占している隣国との貿易に手を出した王都の商会が彼らの逆鱗に触れて、客を取られたり、商品の供給元を奪われて倒産寸前になったそうです」


 自分の縄張りを侵した者への報復措置ということらしい。


「指揮をとっていたのが銀髪の若いマネージャーで、その王都の商会の知り合いが『フロディアスの銀狼にやられた』って言ってました」

「銀狼……、銀のオオカミ?」


 書類の荷造りを終えて、こちらに歩いてくるシオンさんの銀色の髪を見た。


「そろそろお屋敷にもどりましょうか」


 にこやかに話す姿はとてもオオカミには見えないけど。


 そのとき、建物の外から、ヒヒーンという馬の鳴き声とキャーという人の悲鳴が聞こえた。


”大変だ、子供が馬車に引かれたぞ!”


「おっ、事故みたい。行ってみよう!」


 野次馬根性丸出しのセシリアに引っ張られるように、みんな外に出ていった。



「あちゃー、ありゃダメだな……」


 外に出て数メートル先の光景を見て、セシリアがつぶやいた。

 大通りの地面に血まみれの七、八歳の男の子が横たわっており、右脚が変な角度で曲がってしまっている。

 その子の母親なのだろう、若い女性が大声で泣き叫んでいる。


「残念ですが、そのようですね。太ももの骨折と裂傷による大量出血、口から流れる血の量からすると内臓も破裂でしょう」


 シオンさんの冷静な観察結果の説明に、顔から血の気が引いていく。


 見物人はどんどん増えていき、事故直後に飛び出した私たちの背後に何重にも人垣ができた。

 誰もがもう手遅れだと感じているようだった。


 人垣の外側がザワザワし始めた。


”お、おい、あの大きな白い馬車は……”

”エリザ様だ! 光の聖女様だ!”


 みんなが向いている方を見ると、二頭の白馬に引かれた普通よりもかなり大きな白い馬車が人ごみに阻まれて停まっていた。


「アンジェ、あれは王立聖女隊のリーダー、エリザ様の馬車だよ」


 セシリアが馬車を指差しながら教えてくれた。


 馬車のドアが開いたが、中から出てきたのは背丈が三メートル近くあるのではと思えるほどの縦にも横にもでっかい男性だった。

 短く刈った茶色の髪が精悍に見えるが丸い目が優しそうに見える。


「いったい何事だ? 馬車が進めぬではないか」


 セシリアが男の背に担がれた大きな剣を指差した。


「あの人はエリザ様の従騎士、大剣のライル」

「従騎士?」

「聖女様には、ずっと一緒の護衛が一人ずついて、そう呼ばれるんだ」


 母親らしい女性が、人をかき分けて白い馬車の方に走っていくが、血まみれの服を嫌がる人たちが身をよじって道を空ける。


「中にエリザ様はおられますか? 子供が死にそうなんです!」


 女性の前にライルさんが立ちはだかるが、その声に導かれたように馬車から白いドレスのようなワンピースを着た二十歳ぐらいの女性がゆっくりと姿を現した。


「どうされましたか?」


 柔らかな亜麻色の髪を緩やかにまとめて優しい微笑みを浮かべるその美しい姿は、どこかの国の宗教画の聖母様という感じがする。


 母親は馬車から降りたエリザ様の前にひざまずいてすがりついた。


「エリザ様、お願いします! 子供を、子供を……」


 真っ白だったドレスが血で汚れるがエリザ様は全く気にされず、微笑んだままで女性の血まみれの手を取られた。


「わかりました。すぐに診ますからお立ち下さい」


 ところがケガ人のことなど忘れてしまったように人々が歓声を上げながら押し寄せて来る。


”エリザさまー!”

”聖女さまー!”


 取り囲まれて全く身動きが取れなくなってしまったエリザ様が困ったようにライルさんを見上げた。


 ライルさんは片膝をついて背中を丸め、肩を差し出した。

 エリザ様が座るとそのまま立ち上がり、片腕で母親を抱きかかえて横たわる子供の方に歩いて行く。


 ドスン、ドスンと歩く音を響かせつつ私たちの前まで来た。


 肩に座るエリザ様が、おやっと何かに気づいたように私を見下ろし、厳しい表情でじーっと私をにらみつけた。


 えっ、なに?

 私の顔になんかついてる?


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