第2話 辺境はあなどれない ~この美形が私の物⁉
学園から帰る馬車のキャビンの窓から御者台を見上げた。
我が家では手の空いてる人が学園の送り迎えの御者をしてくれるが今日は老執事のアルバートさんだった。
シオンさんはその隣に座ってにこやかに話している。
見た感じ、悪い人ではなさそうね。
見ず知らずの人を家に連れて帰る立場としては少し安心した。
情報もあまりないので王都に住む人の辺境へのイメージは良くない。
とにかく遠いド田舎。
そこに住む人は文化に触れることもない野蛮な田舎者。
私もそんな印象を持っていた。
馬車が屋敷に着いて門の前に停まった。
シオンさんは御者台から飛び降りて音も立てずに着地した。
その軽やかな身のこなしを思わず目で追ってしまう。
そしてキャビンの私の方を向くが、その姿に魅了された。
背が高く、均整の取れた体型、整った顔立ちと美しい銀髪。
なによりも美しく感じるのは、その姿勢。
足から頭までの力みのない真っ直ぐな立ち姿。
そうか、これは『気品』だ。
ソフィア様やその周囲の王族の方のような育ちのいい高貴な人から感じる自然な優雅さ。
辺境の人は野蛮な田舎者なんて誰が言ったんだろう。
大金持ちの辺境伯とはいえ、執事の人にこれだけの気品があるとは。
辺境はあなどれない……。
シオンさんはこちらに歩いてきてキャビンの扉を開けた。
なんだろう?
首をかしげる私に指の長いきれいな手が差し出された。
「お嬢様、どうぞ」
キャビンから地面に降りるまで数段のステップがある。
普段は平気で一人で降りるのでためらうが、私に向けられる柔らかな優しい笑顔にドキドキと胸が高鳴る。
自然に手が伸びていった。
「あ、ありがとう……」
それでも手を握るのは恥ずかしくて、指先だけを軽くつまませてもらって一歩踏み出す。
そんな私の様子に微笑むシオンさんを見て、頭がホワーとなって宙を舞う気分になってしまった。
うわー、私ったらホントにお嬢様みたい。
そのままボーとして足を運ぶと、ズルッと滑ってステップを踏み外して本当に体が宙を舞った。
頭が後ろに落ちていく。
あっ! と思った瞬間、背中と太ももを腕で受けとめられて軽々とお姫様だっこされてしまった。
シオンさんはすまなそうに、だっこされたままの私の顔を見る。
「申し訳ありません。手をしっかり握らせていただくべきでした」
か、顔が近いー!
真っ赤になって目を白黒させる私だが、シオンさんの瞳の色に気づいた。
きれいな緑、エメラルドみたい。
これまで見たこともない瞳の色……。
吸い込まれるように見入ってしまった私にシオンさんが優しく微笑んだ。
「このまま、お部屋までお運びしましょうか」
その微笑みをまた吸い込まれるように見入ってしまい返事をしないでいたら、一歩、二歩とシオンさんは歩き出してしまった。
「お、降ります!」
あわてて叫んだちょうどそのとき、屋敷から母が出てきた。
「アンジェ、ずいぶん早……」
娘のお姫様だっこの光景を見て、驚いて言葉が止まったようだ。
金髪を後ろで束ねただけの髪型でも若いころの美しさを感じさせる母は少女のようにポーと顔を赤らめた。
シオンさんは私を地面に降ろすと、母に近寄りながらニッコリと微笑む。
「お初にお目にかかります、奥様。シオンとお呼び下さい」
微笑むシオンさん、ほほを染めて話す母。
にこやかに話し続ける二人を離れたところからジッと見る。
あの人は誰にでもああいう風に笑うんだ。
さっきは自分に向けられた優しい微笑みが母に向けられているのを見てドキドキしていた私の胸はスーと平静に戻っていった。
人を見た目で判断するのは危険ね。
ただの女たらしかもしれない……。
じーっと冷めた目で母が丸め込まれていく様子を眺めた。
屋敷に入り、母はお茶の準備で台所へ、私は廊下を歩いてシオンさんを応接室へと案内していく。
だいたい魔獣に乗る人なんてどう考えても、まともじゃない。
後ろから着いてくるシオンさんをチラチラと振り返って様子を見る。
素知らぬ顔をしてるけど、私が見なかったとでも思ってるのかしら。
父や母にはシレッと隠すつもりかも。
私が見たこと、ちゃんと釘を刺しとかないといけない!
勇気を振り絞り、振り返って問い詰めるような口調で言う。
「あの、さっき乗ってたの、あれってドラゴンですよね!」
「はい。辺境ではよくある普通の乗り物です」
「はっ?」
にこやかに平然と答えられて目が点になった。
「……そ、そうなんですか、それは、えーと、便利ですね」
「一度、お嬢様も乗ってみますか?」
首を横にブンブン振ってお断りを示す。
やはり辺境はあなどれない、王都の常識が通じないわ。
あとのことは、父に任そう……。
ともかく応接室にお通しして、母を手伝いに台所に向かった。
母は元貧乏子爵令嬢。得意は裁縫と園芸。
金銭面もしっかりしており、祖父に気に入られて頼りない息子の嫁にとテレジオ家に嫁いできた。
父が事業の失敗で多額の借金を作っても泣き言を言うでもなく、使用人を減らし、庭に家庭菜園を作り、令嬢向けドレスを作る仕事で結構な額を稼ぎ始めた。
娘から見ても常に前向きな良妻賢母の素晴らしい女性だが、残念ながら私は内向的で優柔不断な父に似てしまった。
せめて、金髪だけでも似たかったなあ……とよく思った。
母が紅茶とお菓子の用意をしたお盆を私に渡してくれる。
やれることは自分でやるがモットーの我が家ではお客様へのお茶出しは私の仕事になっている。
「フロディアス辺境伯って、なつかしいお名前ね。アンジェも小さいころにおじいさまと一緒に遊びに行ったことがあったわよ」
四歳か五歳の頃、祖父と一緒に何日も何日も馬車に揺られて遠くに旅行した記憶があるが、その時かな?
「今日はお父様の機嫌悪いから気をつけて」
ダントン侯爵から資金引き上げの通告を受けたばかり。
そりゃ機嫌も悪いだろう。
「出会いは大切にするのですよ。身分を越えた恋は『恋愛小説あるある』ですからね。母は応援しますよ。前世の因縁とかあったらステキよねえ」
お母様、あの人をそんなに気に入ったのですか……。
両手にお盆を持った私を夢見る少女のような笑顔で見送る母は恋愛小説が大好きで、ときどき頭がお花畑になる。
読み終わった本を回してくれるので私も結構好きなのだが、母のお花畑は進化して私の妄想グセとして引き継がれたようだ。
そんな母は私によく言う。
『地味でも清く正しく生きてれば、アンジェだってスーパーダーリンにきっと出会えますよ』
ヒロイン像がちょっと古くさいが、シオンさんのことをふと考える。
外見は文句なしにスパダリ級だけど、惜しいなあ、執事さんだもんなあ……。
ちょっと、いえ、かなり残念。
出会いだってドラゴンに乗ってるとこに火球ぶっ放すとか、セシリアのおかげで恋愛物じゃなくてバトルファンタジーになっちゃったし。
だけど……。
さっきのお姫様だっこの感触を思い出し、ほほが赤らむ。
あれがプロローグなら、そこからステキな恋が始まって、溺愛されたりして……。
毎日、朝から晩までそばにいて、お嬢様、お嬢様、と仕えられて、あんなことや、こんなことしてもらって……。
頭がポワーとなっていくが、ハッとして我に返る。
やめた。最近、現実逃避の妄想が多すぎるわ……。
だいたい、贈り物とか意味分かんないし、あの人、いったい我が家になにしに来たんだろう。
応接室の前まで来ると、廊下から弟たちと妹が三人でこっそりと中をのぞいていた。
弟のオリバーは十三歳、ライアンが十歳。二人は私に気づいてあわてて入り口から離れた。
妹のアンジェリカは四歳。私に構わず部屋の中をのぞき続けている。
「ちびアンジェ、ジャマよ、どきなさい」
子供の頃の私のようなフワフワの赤いくせ毛。
私の小さい頃とそっくりで、みんながちびアンジェと呼ぶので私も面白がってそう呼んでいる。
子守も雇わず、なにかと忙しい母に代わって私が育てたような妹だ。
「あたし、ちびじゃないもん!」
そう言って弟たちの方に行くが、三人の姿を見てタメ息が出た。
多額の借金で伯爵領の収入も返済に消えていく。
商会は赤字続き。
まだまだ、お金のかかる子供が三人。
我が家はいったいどうなるんだろう……。
その場にたたずんでいると、ちょうど父が歩いて来た。
「すみません、お父様……」
頭を下げて目を伏せた私を見た父はただうなずくだけだった。
「まあよい。次の機会もすぐ見つかるさ」
ああ、また縁談を探すつもりなんだ……。
資金援助捜しもあるが、我が家がこれ以上落ちぶれる前にいい嫁ぎ先を見つけてやりたいという親心もあるので反発もできない。
しょんぼりとうつむきながら父に続いて応接室に入っていった。
「マクシミリアン・フロディアス辺境伯、まだ、ご存命だったのだな。父が死んでからは全くつきあいがなくなったからなあ」
シオンさんの向かいのソファーに座りながら父は言うが、遠方からのお客さんへの第一声がこれとは確かに機嫌が悪い。
それに、こんな有力人脈がありながら祖父が死んだら関係が切れたとは……。
父の世渡り下手に思わず天を仰ぎたくなる。
シオンさんはにこやかな表情を変えず、ボットからカップに紅茶を注いだ私に封筒を差し出した。
「これを辺境伯から預かって参りました」
渡された赤の封蝋のついた封筒を父に手渡し、部屋を出ようとするとシオンさんに呼び止められた。
「できれば、お嬢様にも同席いただきたいのですが」
私は驚いて振り返り、思わず自分を指差した。
「私もですか?」
「はい。そもそも私は、お嬢様への贈り物ですので」
えーっ⁉
ということは、この美形の人、私の物なの⁉
とんでもないセリフを平然と微笑みながら言うシオンさん。
思わず浮かんだのは奴隷、下僕、下男、召使いなどのとんでもない単語たち。
そして、美形の贈り物を我が物として、あんなことや、こんなことをしてもらうというとんでもない妄想。
目がまん丸になった私の全身の血はカーと駆け上がって顔を真っ赤にして頭へと抜けていき、湯気となって吹き出た……気がした。
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