第2話 その男
「おっはよー!」
「………………」
剣崎くんを見かけたので挨拶をするが、無視される。不幸だー。いや違うか。
「む。もしかして俺に言ったのか……」
「ほかに誰がいるのよ」
避難するような目つきで見つめてみる。すると、彼はたじろいで、後ろに徐々に後ずさる。だがその眉間の皺と、への字の口はあいも変わらずそのままだ。
あまり感情が表に出ない性格なのだろう。だが、なんとなく困っているのはわかる。
「こら、剣崎くんを困らせるなよ」
「あてっ」
後ろから突然、頭に軽くチョップを食らう。弘樹もいま登校したようだ。
「あ、おはよう。弘樹」
「はい、おはよう。宿題やった?」
あ………。
言葉の意味を理解できず、固まるわたし。え? シュクダイ? なにそれおいしそう。
「……不幸だ」
「いや、それはお前の自業自得だろう」
きっ! と睨みつける。ただの八つ当たりだ。だが、剣崎くんはふっと笑い、余裕の表情を見せる。うぬぬ……やりおる。
「睨みあってないで、宿題しようか……」
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放課後、わたしは部活をせずにまっすぐ帰る。きちんと部員だが、今は訳あってしばらく休養をもらっている。
校門を出てすぐ、見知った背中を見つけた。小走りで近づき、彼の背中を叩く。
「よ! なにしてんの」
「ん。ああ、柏木か」
彼は歩道に立っている木の、上の方を指差す。その先には子猫が助けを求めんばかりに鳴いていた。
「助けないの?」
「そうしたいのだが……」
今度は下をチラと一瞥する。そこには親猫だろうか、毛を逆立たせ、体をめいいっぱいに広げてこちらを威嚇する猫の姿。
「近づけないわけね」
「そうだ。どうしようか……」
なにも考えずにとてとてと親猫に近づき、しゃがんで見つめてみる。はじめは警戒していたが、それも次第に解けていった。
手を伸ばして頭を撫でる。嬉しそうにゴロゴロ喉を鳴らす。なにこのかわいい生き物。天使ですか? いいえ猫でした。
「終わったぞ」
え! いつのまに!?
猫と戯れているうちに、いつのまにか剣崎くんが子猫を無事に回収したようだ。
それに気がつき、親猫がたったと剣崎くんの方へ向かう。そして、子猫を降ろそうとした、その腕に噛み付く。
「…………いっ!」
突然の手に走る痛みと衝撃で、離した腕から逃げるように子猫が親猫の元へ。そして2匹の猫はあっと言う間にどこかへ消えていった。
「あーあ。助けた猫に嫌われちゃってー」
わたしだってその顔で近づかれたら、怖くて悲鳴をあげないこともない。彼もその顔つきのせいで今まで何度も損してきただろう。ほんとうに報われない。
だが、彼はそんなことは気にしていないようだ。もういない猫たちを見送るその表情はどこか嬉しそう。
「関係ないさ。無事ならそれで、いい。それだけでも、助けた意味がある」
「へぇ……意外といいやつ。顔は怖いけど」
「顔は余計だろ……」
「そう思うんなら、少しは笑ってみなよ」
「すまん、無理だ。表情を作るのは苦手なんだ」
ふーん、と。何気なくあたりを見渡すと、視界に《それ》が入る。
店が立ち並ぶ中で不自然にポカンと空いた空間。もともとそこには数日前までショッピングモールがあった。そこで大きな火災があったせいで、今となってはただの黒い焼け跡になってしまっている。
運悪くそこで買い物をしていたわたしは、突然の事故のせいで混乱した人々に押されて揉まれ、逃げ遅れてショッピングモールの中に閉じ込められてしまった。
閉じられた空間の中、火災のせいで次第に薄れていく空気。薄れゆく意識と押し寄せる絶望感。やがて死を覚悟したわたしを間一髪のところで弘樹が助けてくれた。
意識がはっきりしていないあの中で、わたしを優しく抱き運んでくれた弘樹の顔を今でもずっと忘れない。
あの顔に完全に惚れてしまった。
「凄まじいな……」
ぽつりと剣崎くんが呟く。
「そうだね……。しばらく学校休んでたんだよね?」
「ああ、怪我をしてな。あそこにたまたまいたんだ」
剣崎くんもか。学校から近いこのモールは、その日もうちの学生が何人か遊びに行っていた。
「怪我したって、まさか人助け?」
ニヤついた顔で、ついつい茶化してしまう。そのときのことが想像できてしまう。助けようと近づいて、怖がられて逃げられたのだろう。
「そうだな。たまたま迷い猫を見つけてな」
「なになに? また噛まれたの?」
「ふっ。なめるなよ。助けに行こうとして、転んで階段から落ちたたけだ」
「うっわ、だっさ!」
したり顔でそんなことを言われても……ねぇ。顔に似合わず、お茶目なようだ。表に出ないだけで、感情豊かなのかもしれない。
「てか、剣崎くんって部活とかしてないんだ」
「まあな。苦手なんだよそういうの」
「めっちゃ体育会系な見た目なのに!?」
強面で身体つきもいいのに……。剣道とかしてそう。竹棒で相手の頭部をカチ割る姿が目に浮かぶ。
「じゃあさ、買い物付き合ってよ!」
「む。『じゃあ』の使い方が違う気がするんだが」
「はいはい、細かいことはいいの!」
背中を押して、無理やりわたしの目的地に向かわせる。はじめはイヤイヤ言っていたが、諦めたのか次第にわたしと肩を並べて一緒に歩く。
面倒見がいい兄貴みたいな人だと、そのときはなんとなくそう思った。
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