第7話 食料

 青年の名はキンツというらしい。勇者をやっているそうだ。

 勇者というのは実際に存在していたのか。物語の中に出て来たので知識としては知っていたが…。

 世界はゼザの見てきたものよりずっと広いらしい。

 ゼザが自分の名を伝えると、格好いい名前だと褒められた。


 -こいつに名前を明かすことはリスキーだっただろうか。

 ふと思ったが、すぐに考え直す。大丈夫だろう。

「弱そうだし…」

 既に眠りに落ちていたキンツが、くしゃみをした。


 焚火を起こしてしばらくした後、今日はこの洞窟で夜を明かそうということになった。

 吹雪で分からなかったが、キンツによれば既に夜中だということだ。

 ゼザは火に照らされてオレンジ色に染まったキンツの寝顔を見つめる。

 殺しておいた方が良かったのかもしれないが、この場所に詳しい人間は必要だ。

 それと、必要なのは―――

「食料、だな」

 キンツは喋るだけ喋ってすぐに寝たので言い出せなかったが、ゼザはかなり空腹だ。

「…。」

 無防備に置いてある彼の私物を漁ったが、予備の血液などはなかった。

 ―やはり人間だから、血液を食事としていないのか。

 信じがたいことだ。魔獣の中にはそういった種もいると習ったことがあるが…。ゼザも血液以外の物を食べることは出来たが、体力の源となるのは血だ。

 そうだとしたら、彼に食事している所を見られるのは避けるべきだろう。いらぬ誤解を招く気がする。


「しかし私も迂闊だった、予備を持ってくるべきだったか」

 そうは言うものの、全てを諦めて逃げ出した状況下でそんな判断ができたはずもなく。


「探しに行くか…」

 洞窟の入り口へ向かい、外の景色を見れば、相も変わらず一面の大吹雪である。

「…はあ」

 駄目だ。外に出ることすら危うい。

 となれば、食料は…

「こいつしかないか」

 間抜けな寝顔をさらしている男を見下ろす。役に立ちそうだっただけに惜しい。申し訳ないが、彼には犠牲になって頂こう。


 ゼザはこのように時々、食べ物に情が湧いてしまうことがあった。冷酷な父の下での教育も、彼女の元々の優しい心根を変えることは出来ていないのかもしれない。

 そのことが、プラスにもマイナスにも働いていることに、彼女自身はまだ気づいていなかった。



 再び彼の荷物をまさぐると、弓矢や小瓶など色々入っていた中に、出会った時にキンツが手にしていたナイフが出て来た。

 それを拝借して、彼の首元を覆う服の襟を開く。

「んん…」

 彼が身じろいだのでぎくりとするが、すぐにすやすやと寝息を立て始めたのでほっと息をつく。血管が集まる所を探し当てて、薄く切った。すぐに血が滲み、滴って来たので、慌てて指ですくい上げる。すくい取った血をなめてみると、舌に極上の甘さが広がった。


「お、美味しい…!!!」

 ほんの1,2滴しか飲んでいないのに、全身が活力で満ち溢れた。痛々しく残っていた手足の傷はみるみるうちに治っていき、肌が潤いを取り戻す。

 あまりの美味しさに悶絶しそうになるのをこらえて、ゼザは思考を巡らせた。

 この美味しさを一回で終わらせて良いものだろうか。いや、良くない。

 こんな数滴で満足感のある食料は、是非生きながらえさせて、大事に食べた方が良いだろう。

 そっとナイフをカバンに戻した。


 こんなに美味しい血液は初めてだった。ゼザは王族だったから、その食事として出される血液もかなり上位種の魔獣もしくは魔族のものだったはずだが、その中にもこんな素晴らしいものは無かった。

 人間は皆こんなに美味い血を持っているのだろうか。


「すごく幸せを感じる…」

 思考の波も満腹感の後に訪れる眠気に押し流され、ゼザは笑みを浮かべながらゆっくりと眠りについた。

 



 そして。



「何だ今の、何だったんだ…!!」


 すっかり目が覚めてしまい、戸惑うキンツだけが残された。



 翌朝。


「お、おはよう」

 キンツは何故かぎこちない挨拶をする。「やっぱり夢だよな…?」などと呟いているのを不思議に思いながらも、彼から渡された物を受け取る。団子のようだ。

「何だこれは」

「非常食だよ。酒場のおっさんから買った」

「ふうん」

 サカバノーッサンという奇妙な名前の者が作ったというわりには、案外普通の味がした。

 しかし、昨日の血液は素晴らしかった…!

 思わずほおが緩む。色々と大変な一日だったが、あの味の衝撃が大きすぎて霞んでいる。

 キンツの姿さえ神々しく見えて来た。

「どうしたの…?」

 キンツはころころと表情を変えるゼザを見て怪訝な顔をしながら団子をかじっていたが、思い出したように膝を叩いた。

「そうだ!今日は天気も落ち着いてるみたいだし、酒場にもどろうよ」

「どうしてだ」

「え?だって」

 彼はゼザを見つめる。

「その傷じゃ…ってあれ?」

 ゼザも見つめ返す。

「傷が…治ってる…!!」


 あんぐりと口を開けたキンツの間抜けな面を眺めながら、

「これくらい普通だろう」

 血を飲めば…と言いそうになって、ゼザは思いっきりせき込んだ。

「大丈夫!?」

 キンツがどうどう、と意味不明な掛け声と共に背中をさすってくれる。

 手渡された水を飲みこんで、口を開いた。

「私は傷の治りが早いんだ」

「治りが早いなんてレベルじゃないと思うけど…」

 キンツは疑わし気な顔をする。

「でも…傷は治ったとしても、その服じゃ良くないだろ」

 そう言われて自分の服を見ると、ドレスは何の汚れか分からないほど変色し、あちこちが破れていた。

「酒場って言っても何でも屋って感じでさ。必要な物は大体手に入るんだ」


 洞窟の外に出ると、昨日の吹雪が嘘のような快晴。

「この近くは天気が変わりやすいんだ」

 そういえば。

「キンツはどうしてこんな場所にいたんだ?」

 そう聞くと、露骨に目を泳がせた。

「いや、ちょっと用事があったんだよね。」と誤魔化す。

「そうか」

 少し怪しいが、こいつにも詮索されたくないことはあるだろう。そこはお互い様だ。


 ゼザが穴から出て来てたどり着いた場所は山の頂上付近だったようだ。

 そこまで高い山ではないようだが、歩みを進めても誰ともすれ違わないのは気候が変わりやすいからだろうか。

 少し山を下り、緑も増えてきた所で、隣を歩くキンツが口を開く。

「結構歩いたよね、疲れたでしょ?」

 上を見上げると目があって微笑まれる。近くにあった木を指さして、「そこで休んでてよ、食べられる木の実がないか探して来るから」と言われた。この辺の木の実ってうまいんだよなあと上機嫌に笑っている。


 大人しく木の下で待つことにしたゼザは、草の上に座りこんだ。


 キンツに流されて何も考えず行動してしまったが、分からないことは山ほどあった。


 まず、ここは本当にゼザの住んでいた魔族の世界とは違う世界なのだろうか。あれほどしつこかった追手たちは今や影も形もないから、遠く離れた場所であることは推測できるが…。


 次。キンツは誰で、いったいどこから来たのか。

 今のところ良い奴そうだが、疑っておくに越したことはない。別の世界から来たと言っていたが…

 「やはり魔族ではなさそうだな…」

 何の力もないと言っていたし。そうであるとしたら、一体どこから来たんだ?

 まさか3つも4つも世界があるというのか。違う惑星?天文学的なスケールの話になりそうで、頭が痛くなった。考えるのはやめよう。


 あと、キンツはなぜあんなに優しく接してくれるのか。ゼザを助けても何の得もないはずなのに。

 単純にお人好しなのだろうか。それだけか…??


 最後に、あの穴の正体は。

「ん…?」

 ゼザは首をひねる。


 世界と世界をつなぐ、《はざま》。


 そんな言葉を昔聞いたような気がした。

 しかし、いつ聞いたのか、誰に聞いたのか…。

 思い出せない。

 思い出そうとしても、霞がかかったような感覚。

「うむむ」

 眉間にしわを寄せて考え込んでいると、突然、


「うわあああ――――!!!!」


 という甲高い悲鳴が聞こえる。

 山びこみたいにエコーがかかった。


「何だ!?」

 ゼザは思わず立ち上がったが、その声に聞き覚えがあることに気づいて

「何をやってるんだ、あいつ…」

 呆れた声を出した。


 悲鳴が聞こえた方に向かうと、腰が抜けて地面にへたり込んだキンツがいた。


 涙目で、また顔面蒼白になっている。

 その前に浮かんでいるのは、

「何だ、魔獣じゃないか」

 しかも一番弱いやつ。

 その魔獣は黒い煙を纏った玉のような見た目をしている。煙は弱い毒だったはずだ。少しの攻撃ですぐ消える魔獣。

「力」の訓練の時に何度も倒したなあ…と思い出し、ついでに父の前での訓練場の失敗も思い出して勝手に心にダメージをくらった。

 助けに行っても良いが…

「まずはお手並み拝見と行くか」

 近くの木にするすると登って、丁度良い太さの枝に腰かけた。


 キンツは何とかナイフを取り出し、振り回すのだが、全然当たらない。

「えいっ!…あれ、何でだよ…!!」

 彼のナイフは周囲の草を切り取って、周りに散らしただけだった。


「あーあ」

 そんなことを5回くらい繰り返している様子に飽きて、ゼザは枝の上で猫のようにぐでっと寝転がった。長い黒髪が滝のように滑り落ちて、止まる。

「あれが勇者か…大丈夫なのか、この世界は」

 下では相変わらず、「えいっ!やあっ!」と、苦戦する声が聞こえて来る。かすり傷一つ与えられていないようだが。

 ゼザの真っ黒な目がその光景を見て細められる。

「助けてやるか」

 何しろ彼は食料をくれたし、彼自身が食料なのだ。

 ゼザはため息をつくと、静かに木から地面へと飛び降りた。

「ゼザ!危ないから逃げて!」

 その姿に気が付いたキンツが見当外れの事を言っている。


「お前が下がっていろ。今倒すから大丈夫だ」

 手を超弱小魔獣の方へかざし、指先に集中すると、力がみなぎって来るのが分かる。

 ―昨日、質の良い血液を頂いたお陰だな。

 そんなことを考えていたので、集中が途切れた。

「あ」


 ゼザの手から放たれた光線は、今回は真っすぐ魔獣へと向かったものの、明らかにエネルギーが大きすぎた。


 大地に響きわたるような轟音と共に、デジャヴのように煙が勢いよく吹き上がった。


 キンツは鯉のように口をぱくぱくさせて、茫然とその有様を見つめていた。



「地形…変えちゃったね…」

 何と声を掛ければいいのか分からないといった感じで、キンツが口を開いた。

 笑顔が思いっきりひきつっている。

 普段から表情筋のやる気が無いゼザの顔は、いつにも増して死んでいた。

 真っ黒な目に、目の前の惨状が映る。


 ゼザの「力」は魔獣を「崩し」ただけでなく周りにも及んでいた。

 キンツの言葉通り、山には先程までは無かったはずの大きな穴が空いていた。

「ゼザ、君強いじゃないか!逃げ出した俺より全然マシ!まだチャンスあるって!」

 上っ面を滑るような励ましの言葉が、耳をすり抜けていった。チャンスって何だよ…



 変わってしまった地形はどうすることもできないということで、2人は気を取り直し、再び山を下ることを決めた。


「本当にすごいね、ゼザは。俺もあんな能力があればなあ…」

 「俺は何の能力も持ってないから…」と、心底羨ましいといった顔でキンツが言うので、ゼザは目をそらす。

「持ってたってコントロールできないんだから意味がない。宝の持ち腐れだ」

 彼は難しい言葉知ってるねえと笑ってから、

「そんなことないだろ、磨き上げればきっと強くなる。次は大丈夫だよ」


 それを聞いて、泣きたいような気持ちになった。鼻の先がツンと痛む。私に次なんて無かった。与えられていなかったのだ。


「それに比べて俺は本当に情けないよね。あんな雑魚魔獣一匹倒せないんだからさ」

 ゼザの様子に気づいていないのか、キンツはうじうじと自虐的な声色で言った。


「俺、もう勇者なんて名乗れないよ…怖くて攻撃できないんだ」


 彼の足元にはゼザが昨夜使ったナイフが転がっていた。

「闇雲に振り回すのが悪い。傷つけるのが怖いのは分かるが…武器を変えてみたらいいんじゃないか?」

 キンツがへたり込んでいた周りの雑草は、バラバラに切られていた。ナイフを振り回してできた物だ。


 キンツはゼザの言葉を聞き、「怖いって相手を傷つけることがって意味じゃないよ」と言って笑った。そして耳たぶのピアスに触れて、足元のナイフを見つめた。


「分かってるよ…ナイフは俺には向いてない」

 二人の間を一陣の風が通り抜けた。遠くを見やると、どこまでも遠く続いていく草原と青い空。


 キンツがナイフを手に取り、握りしめる。

 キンツは先程のゼザの力を見て驚きながらも、何か光を見出したような顔をしていた。

 その微妙な表情の変化に気づき、ゼザがキンツの顔を見上げると、その瞳は輝いているように見えた。

 あまりに鮮やかな紫色で、ゼザは思わず目をそらした。

 それを見たキンツは目を細めて笑い、腰をかがめてゼザの耳に口元を近づける。

「ねえ、この前俺、君のことを助けるって言ったよね」

 いつもより低いトーンで囁く。

 そういえばそんなことを言ったような。


「助けるからさ…、もしよければ、俺のことも助けてほしい」


 風でゼザの黒髪がさらさらと揺れる。

 キンツの髪も揺れて、その瞳は揺らいでいた。


 風が収まった頃を見計らったように、キンツが口を開く。


「俺、魔族を壊滅させたいんだ」


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