第5話 ゼザは逃げる!

 窓から飛び降りると、意外と高さがあり、ゼザはバランスを崩して地べたに落ちた。


 寝巻き用のドレスのまま出てきてしまったので、肌寒い。素足が夜露に濡れる。


 しかし、そんなことを気にしている場合ではない。




 上を見上げると、今飛び降りて来た自分の部屋の窓が見えた。あんなに高かったのか。


 足に触ればべっとりと血が付いた。着地した時に擦りむいたようだ。後で血を飲んで回復する必要がありそうだ。




 「あー、もう開けますからね!?」




 そんな声が聞こえた後、バン!!と音がしたので、ゼザはびくりと肩を跳ね上げた。


 どうやら王子はドアを破壊し、強行突破に踏み切ったらしい。




 「あれ、いない!!どこに行ったんですか!??」




 ゼザは再び上を見上げる。あのぼんくら王子でも、開け放たれたドアを見ればゼザがどこから逃げ出したのかくらいは分かるだろう。

気がついたら窓の下をのぞき込んできてゼザがここにいることも露見するだろうから、その前にここから立ち去らなくては。


 前方にそびえるのは深い森。自然のままで、あまり管理が行き届いていないようだ。


 ゴクリと喉を鳴らして、一歩森の中に踏み込んだ。


 *


 森の中を進んでいくと、行けども行けども同じ風景が広がっていた。


 素足のまま踏みしめる大地の感覚は新鮮だ。暗くて前が見にくい。


 


 「逃げ出したことがばれたら、ただでは済まないだろうな…」




 王子を拒絶したということで、相手国の面目は丸つぶれだ。父がそれを許してくれるとは思えない。


 父はとことん厳格な魔族だった。冷酷無慈悲、とでも言うのだろうか。圧倒的な力で自らの国を治める王。甘えた感情を抱くことなど許されない。


 もう何時間歩いただろうか。


 あたりは暗いままで、どこにも辿りつくことはなかった。そもそも、どこを目指しているという訳でもないのだが。




 「終わり、か…」




 そう呟いたゼザの顔には、清々しい笑みが浮かんでいた。


 


 自分の力を高めるために努力して、結局コントロールすることが出来なかった。でもそれが何だ。全ては誰かに言われたことで、自分の意志が介在する余地のない一生だった。




 それが、今。




 初めて自分の意志で行動できた。それも、結果として父の意志に背いた形で。


 だから、もういいのかもしれない。


 大樹の根本に腰を下ろす。白い手で弱弱しく木の表面を撫でた。


 遠い空には相変わらず沢山の星々が煌めいている。どこかで魔獣が啼く声が聞こえた。


 森の空気はひんやりとゼザの体を蝕んでいった。




 「いたぞ!!」




 その時、空気を切り裂くように声が聞こえた。




 声の方向に目をやると、数十人の魔族たちがいた。あの黄色い旗は、トルタ国の、結婚相手の国の印だ。


 


 「嘘だろ…」




 一人で最期を迎えるのだと思っていたのに。また連れ戻されて、元の生活に逆戻りなんて…




 「…っ!!」




 とっさに手を伸ばし、力を込める。弱弱しい光線が走り、追手の魔族たち数名が吹き飛んだ。


 疲れて、普段の数十分の一くらいしか力が出ない。


「ゼザ様が攻撃してきたぞ!!」


 「何故だ!?」


「いいから早く捕まえろ!」


 そんな声を背に、必死で森の奥へと走った。






 いつまで経っても追手はしつこく迫ってきて、ただでさえ限界を迎えていたゼザの体力はもう持ちそうになかった。




「行き止まり…!」




 獣道の真ん中に大きな木が倒れていて、横を見まわしてもゼザの背の高さほどもある茂みで覆われている。




 万事休すか。




 この木を乗り越えるしかないだろう。もう力を使う体力は無い。


 木にしがみつくと、ささくれだった表面が手を刺して、指の間から血が流れる。


 「痛い…」


 手も足も傷だらけだ。登ろうとしても滑り落ちそうになる。


 ゼザが必死で木を乗り越えようとしていると、追手の声が後ろから近づいて来た。


「駄目だ、間に合わない…」


 このままでは登りきる前に捕まってしまう。


 何か、何かないだろうか。


 あたりを見回すと、視界の端でぼんやりと光ったものがある。


 木から手を放し、地面に降りてその近くへ行くと、




 「何だこれ?」


 それは、空間に空いた穴のようなものだった。


 赤い色に淡く光り、ぽっかりとたたずんでいる。


 中は暗く、時々星のようなきらめきが見えた。ちょうどゼザの腰から上と同じくらいの大きさ。




 「ゼザ様―――っ!!」


 「お戻りください!!王子様が待っておられますぞ!!」




 隣国の追手たちが曲がり道から姿を現す。


 


 どうする?


 あの木に登るのは不可能。攻撃もできない。茂みは触ろうとすると棘があって、肌を刺した。


 咄嗟に謎の穴に腕を入れてみる。穴の向こうに空間が広がっているようだった。


 追手の一人がゼザの服を掴む。


 その体を何とか蹴り上げて、相手が数メートル遠くへ飛ばされたのを見届けた後に、ゼザは頭、上半身、足を穴に滑り込ませて、その空間に潜り込んだ。







 随分と長い時間が経ったように思う。


 ゼザは全身の痛みに歯を食いしばりながら体を起こした。




 目の前は、吹雪だった。




 ゼザが身を横たえていたのも雪の上のようだ。見渡す限り、どこも真っ白だ。




「ここは…」




 先程の森ではないようだ。木が生い茂っていた彼の森とは異なり、ここには一本の木も見当たらず、植物も殆ど無い。


「追手に連れ去られたのではないのだろうか」




 彼らは「王子様が待っておられる」などとほざいていた気がする。捕まったとすれば、元居た城の中に戻されると思う。




 それとも、罰か。




 王子を拒絶して逃げ出したゼザの行動に対する、何らかの仕打ちなのだろうか、これは。


 まあ、こうして生きていることがゼザにとっては一番の罰と言えるのだが。




 服は寝巻用のドレスのままだ。雪の中に長時間曝されていたようで、手足はすっかり冷え切っていた。元々白い肌は青白く、血の気が無い。手足は傷だらけで、雪の上に赤い染みをつくっていた。


 血を飲めば体力が回復するが、良い食料となる弱小の魔獣はこの辺りにはいないようだ。


 そもそも吹雪で何も見えないが。


「このまま終わるのなら本望か…」



 ふっと息を吐いた時、吹雪の向こう、目の前に影が見えた。


 ―大きい。追手か?




 まさかあの穴の向こうはこの雪の中で、追手がここまで追いかけて来たとでも言うのだろうか。


「しつこい」


 何と粘っこく追いかけて来ることか。今度こそ何も出来そうにない。




「うわっ!なに!!だれ?」




 しかし、姿を現したのは予想とはかけ離れた存在だった。




 ゼザは長いまつげに覆われた黒い瞳で相手を見つめた。




 銀色の髪に、淡い紫の瞳。寒さからなのか、その瞳から涙がこぼれ落ちた。


 現れたのは、背の高い青年だった。


 端正な顔立ちだが、眉が下がり気味なのでどことなく弱弱しく見えた。


 金のピアスに指輪、装飾のあしらわれた真っ白な服に身を包んでいる。


 ぽとりと何か落としたので目線を向けると、血の付いたナイフだった。


 青年の首にも血が付いている。




「こんな所で何してるの?血だらけじゃないか…大丈夫?


 …………あっ」




 青年はゼザに声をかけた後、やめておけば良かったという顔をした。


 ため息をついて頭をかきむしる。銀髪が乱れた。




 ゼザは青年に何か返事をしようとしたが、どうやら体力の限界を迎えていたようだ。


 どさり、と雪の上に倒れこんだ。



「あっ!ちょっと、大丈夫!?」


 青年が倒れたゼザの下へ駆け寄り、咄嗟に肩を支える。




「どうしよう…」


 辺りは相変わらずの激しい吹雪で、ひゅうひゅうと泣き叫ぶような風の音がした。




「ここに置いてったら…」




 青年は雪に横たわる少女を見下ろす。その肌は恐ろしいほど青白くなっている。




「死んじゃうよな…」




 恐る恐る少女の額に触れると、体温も下がっているのが分かった。


 青年は少し迷ったあと、深くため息を吐いてから少女を抱きかかえた。




 ―――俺はまた、死にぞこないだ。






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