第2話 ゼザは混乱する
現実を処理しきれない脳に、走馬灯のようにこれまでの記憶が押し寄せる。
ゼザはその記憶を辿ることしかできない。
王女としてのゼザの生活は、徹底的に管理された教育を受けていた。
幼い頃から基本的な教養を身に付けるため、毎日分野ごとの家庭教師が付きっきりで教えに来て、朝から晩まであらゆる学問を徹底的に叩き込まれる。
特に礼儀作法の授業は嫌いだった。行動を一々縛られなくてはいけない不快感。教師も厳しく、小さなミスを大声で叱責されて泣いた時もあった。
しかし、全ては父である王の命令。王女であるゼザでも逆らう訳にはいかない。
王族には全てにおいて高い能力を持つことが求められる。それが人の上に立つ者として当然のことというのが父の考えであるらしかった。
10歳になった頃には弛まぬ努力の甲斐もあり、ゼザは課せられた科目の多くをこなすことが出来るようになって、教師たちから注意を受けることも少なくなってきた。
そんな風に日々の生活を城の内部で送っていたゼザは、教師や侍女たちなどの召使いを除いては、他者と交流する機会は殆ど無かった。生まれてきてからずっとそうだったので、彼女にとってそれは当たり前のことであった。
母は幼い頃亡くなったので記憶にはほとんど残っていない。父は政務にかかりきりでゼザと顔を合わせるのは数年に1度あれば多いほどだ。
忙しい毎日の中、体や頭は絶え間なく動いていたけれど、ぽっかりと胸に穴が空いていて、そこにすきま風が入り込んできていた。
夜寝る時はいつも、ゼザは透明な涙をぽろぽろと流した。どうして涙が出るのかも分からないまま。
そんな日々を過ごしていたある日のこと、新しいレッスンが追加されると召使いから聞いて、ゼザは大きな目を開いた。場所は裏庭だと言う。
ゼザは眠っていた天蓋つきのだだっ広いベッドから降りると、これまた豪華な宝石の散りばめられた鏡台へと向かう。
真っ黒な腰まで届く長い髪を適当に梳かす。思わずあくびが出た。腑抜けた顔をした鏡ごしの自分自身を見つめる。
―ずっとこんな生活が続くのだろうか。
そんな思いが胸を掠めて、自分の考えに自分で驚く。
これほどまでに恵まれた生活をしていて、何を考えているのだろうか。
世界には貧しい人々が大勢いるということを、ゼザは知っていた。
極稀に馬車で町を移動する時、閉ざされたカーテンの隙間から見えた景色。
国の中心部から遠く離れた地域を通ったことがあったが、そこの人々は皆木や石を使って作った簡素な家に住み、粗末な服を着ていた。それに比べて、私は衣食住どれを取っても十分すぎるほど充実している。
―でも、幸せそうだった。
ゼザは目を伏せた。長いまつ毛が目元に濃い影を落とす。
その町の人々は皆親し気に話し合い、笑い合っていた。母親に抱かれ、父親に頭を撫でられていた少女。食べ物は少なくても、あの子はきっと、私よりも満たされていた。
ゼザは辺りを見回す。ゼザのために与えられた部屋。美しい装飾が部屋の隅々まで施されて輝いている。大きなシャンデリア、絹の絨毯…机にかけられた布でさえ、高級なものだった。
広いこの部屋は、私には窮屈だ。
そこまで考えて、ゼザは立ち上がる。黒い髪がさらりと揺れる。
本当に何を考えているのだろうか、私は。
鏡に映った瞳は、不安そうな色をたたえて揺らめいていた。
こんな弱気になっているのは、おそらく将来が見通せないからだろう。
一番の不安材料は、最近になって父から新たに裁縫、料理などの科目が課せられたことだ。
―まるで花嫁修業じゃないか。
そう気づいて、身震いした記憶がある。今までにはなかったことだったのが恐ろしい。
ちなみに、ゼザの料理や裁縫の腕は壊滅的だった。料理では魔獣の血を煮詰めていた鍋ごと爆発し、裁縫では針で自分の指がズタズタになって教師に悲鳴を上げさせた。
「父上は私を跡継ぎにとは考えていないのか…?」
ゼザにとって、父の期待に応えて後継者になることが自分の生きる意味であった。誰かの花嫁になるなんて有り得ない。
そのために与えられたことをひたすらにこなしてきた。父は本当に冷酷な指導者だ。誰に対しても容赦はしない。無能な臣下はすぐに消えている。ゼザにとってそんな父に見放されるということは、世界に見放されるということだった。
自分が情けなくなった。不器用で、努力しなければ何事も成せない私では父上の期待に応えられなかったのかもしれない。
「新しいレッスン…何だろうな…」
気分が重い。レースの纏わりついた装飾の多いドレスを脱いで、指示された動きやすそうな服とブーツに着替えた。ゼザは少し息を吐いてから、扉を開けて廊下に出た。
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