第3話 人界に降りる許可


 アマゾンのジャングルを、人には分からない緑の風が流れている。


「また人界に降りておったのか」

「…………」


 ジャガーのワイナとゴリラのトゥパック、キイロアナコンダを連れている少女の名はアイダ。虹の精霊であり、ダスザと呼ばれる風の神の1人娘であった。太陽の光が雨粒に差し込み、反射・屈折して七色に分かれて見える。美しく姿を変えた太陽の光が、虹として現れているアイダなのだ。虹は神の喜びや、天からの贈り物と形容されることがある。

 少女の傍に控えるジャガーのワイナは、ジャングルで親を亡くしてさ迷っているところをアイダが見つけて保護した経緯がある。そして母親代わりとなり面倒を見続けてきた。ゴリラのトゥパックはまだ若いころ、後継者争いで瀕死のけがを負い倒れているところをアイダに助けられて、その後再度の決闘に勝ちリーダーの地位に就いた。現在はゴリラ界の王である。


 ダスザの周囲には森羅万象の精霊や、妖精、天使、変身するときに宿る動物の霊などが並んでいるが、その背後は空気が変わる。七面鳥に化けて血を吸いに来る吸血鬼、魔女、魔術師が並んでいるのだ。魔術師は自分の野望を叶える為に、悪魔を崇拝して魔力を身に付けた者である。さらに呪術師が化けた蛇の化け物などがひしめき少女を覗いている。

 呪術は人に対する強い恨みにより不思議な力を身に付けた者のことで、妖怪も人間に信仰されていた精霊が神性を失った挙句に没落した姿だと言われている。

 悪魔や魔物は悪霊と同義語であり、悪霊は闇のサイトに落ち堕落した精霊の事である。精霊も常に悪魔からの誘惑に晒されているのだ。

 したがって悪霊とは人間のエネルギーのなかの、マイナス部分の想念エネルギーに感応して生きている者たちと思えばよい。

 アイダの住む精霊界は、

 雷神を頂点として、

 様々な神々、

 精霊、

 妖精、

 天使、

 悪魔、

 魔女、

 吸血鬼、

 魔術師、

 呪術師、

 妖怪、

 さらには得体のしれない魔物から、精霊でさえその存在を確信できない天使や、種々雑多な悪霊と有象無象の者達がひしめき、決して優雅なだけの世界では無い、どろどろとした掴みどころのない領域なのだ。


「何をしに人界なぞに、そんなに興味があるのか?」

「父上、人界では野生生物が危機に瀕しております」

「…………」


 その時精霊たちの背後から声が掛かった。


「お前と何の関係がある」


 そう鋭く言い放ったのはフアイチヴォ、赤い眼の魔術師であった。その後に1万人の血肉を喰らい不死の存在になったという、血塗れの翼を持った人面怪鳥が、その赤い羽を震わせ足踏みをしている。しかし、


「貴方の意見は聞いておりませんよ」


 そう凛と言い放ったのはダスザの横に座るマドレ、水の母とも呼ばれる少女の母で、木々の精霊でもある。

 魔術師の後ろで木の棒で戦う戦士たちが不穏に騒ぎ出したが、フアイチヴォがそれを押しとどめた――





「あの人たちに何を言っても無駄の様ね」


 アイダはワイナとトゥパック、キイロアナコンダを連れて父ダスザの前から引き下がっていた。


「こうなったら最後の手段よ」

「アイダ、どうするんだ?」

「いいから、付いてらっしゃい」






 ここは雷神の館である。


「お前は虹の精霊アイダではないか、何用が有って参ったのだ?」

「トゥパ様……」


 トゥパは雷神であり、アマゾンの精霊界を支配する最高神でもある。ひとたび怒るとすさまじい雷を落として地上を火の海に変えてしまう。どのような魔術師も精霊もトゥパの前ではひれ伏してしまう存在である。

 泉に棲んでいる水の生き物、両生類、霧、露、花の守護神。さらには月の女神。動物たちの王といわれる山の主。最後は戦いの神にまで頼み込んでアイダはトゥパ神との謁見を果たしたのである。


「私は野生生物たちの危機を見過ごしてはおけないのです」

「…………」


 アマゾンの精霊界を支配する最高神トゥパは、少女アイダの行動などとっくにお見通しのはずである。


「私の考えは間違っているのでしょうか?」

「…………」

「ですから人界に降りる正式な許可をトゥパ様から頂きたく、こうして参りました」


 黙って全てを聞いていたトゥパ神は、やがて静かに語り始めた。


「精霊界には勝手に人界に降りたり、人間と安易に関わりを持つてはならない決まりがある。それはお前も存じておろう」

「ですが――」

「まあ後を聞け」


 トゥパは若く活発なアイダに苦笑いをしているようである。


「その方がこれまでこっそりと人界に降りていた事は見逃そう」

「…………」

「お前のやろうとしている事には意義があるからな。だがたとえどんな理由が有ろうとも、勝手に人界に降りる事はやはり許されない行為である。そこでだ――」


 アイダがすぐ身を乗り出した。


「ですが――」

「アイダ、儂の話はまだ終わっとらんぞ」

「――――!」

「全く、最後まで話を聞けと言っておるではないか」

「はい……」


 アイダは頭を垂れた。そして雷神は話の先を続けようとする、しかし、


「だが、その……」

「…………」


 トゥパ雷神はなぜか歯切れが悪いのだが、ついに口を開いた。


「今回だけは儂から特別な許可を与えてもいいのだが、それには条件がある」

「…………」

「儂の為に悪魔の糖蜜を捕って来るのだ」

「…………」


 アイダにはトゥパの言っている意味が分からなかった。


「あの……」

「実はあの糖蜜は儂の大好物でな。だが女悪魔どもが意地悪をして手に入らないのだよ」

「…………」

「もしもあの糖蜜を捕ってきたら、お前の望みは全てかなえようではないか」

「あ、あの、その糖蜜とは――」


 ここまでで謁見はそそくさと打ち切られ、雷神はアイダの前から消えてしまった。悪魔の糖蜜とは一体何の事だ。女悪魔が邪魔をしている?





「ゾボ様、悪魔の糖蜜とは何のことでしょう?」


 ゾボとは様々な魔術を使う呪術師でアイダとは古い知り合いである。ゾボ自身の苦難の道のりのせいで、負のイメージが付きまとう呪術師になっているとはいえ、ゾボは未だ精霊サイドの信条を強く持ち続けていた。


「はっはっはっ、雷神から難題を出されたの」

「ゾボ様」

「アイダ」

「はい」

「悪魔の糖蜜とは、ジャブと呼ばれている女悪魔の持ち物でな、とても凝っている衣装を着た貴婦人の秘宝だという話じゃよ」


 ゾボの話では簡単には手に入らないだろうという。なにしろ4人の女悪魔達を倒さねば手に入らないかもしれない。しかもその糖蜜をどの悪魔が持っているのかは誰も分らないのだ。


「ゾボ様、私はその悪魔達に会いに行きます」

「そうか、行くか」

「はい」


 アイダはまた人に変身しているジャガーのワイナとゴリラのトゥパック、キイロアナコンダを連れて、ゾボの教えてくれた女悪魔達が住むという谷に向かい歩き始めた。






「えっ、あの人たちは何をしているのかしら?」


 谷に向かう道筋で通り掛かった村である。ここは人界では無いが、人のような姿で人のように暮らしている精霊界の人々が居る。米麦などの精霊が妖精となり、やがて人間のようになって暮らし始めた場所である。

 精霊界に居る魔女などは超自然的な力を持つ女性で、妖術によって人に害を及ぼす存在とされている。古くは巫女や祈祷師、呪術などの霊的な能力を持ち、薬草などの民間医療に長けたシャーマン的な存在の女性である。

 そのような魔女は善い行いもし、精霊界の人々は魔女を特別な知識を持った賢者として畏敬の念を持って接している。ただその魔女が悪魔の手先となった場合は、自らの体に降臨させた邪悪な意識の集合体を操り、敵対する者を様々な方法で誘惑し、阻むといわれる。さらに悪魔に操られた魔女は精霊界を抜け出して人界に降り、人間に災いをもたらす存在になるのだ。

 精霊界と言っても、そこにいる者の全てが純粋な精霊という訳では無い。闇に巣食う妖怪などの精霊くずれの類から魔女や魔術師の類まで、混然となって存在している世界なのだ。アイダもそんな魑魅魍魎の輩と同居しているのである。そしてそれは気づかないだけで、人間、つまり人界も精霊界とは同じ領域を共有しているのであった。


「お葬式?」


 それにしてはちょっと変だ。埋葬される遺体らしいものを運んでいない。

 そして一番気になったのが、行列で中央を歩く少女である。着飾っているが、泣いているように見えるではないか。


「あの、皆さんは何をなさっているのですか?」

「…………!」


 聞かれた者が慌てて手を振り、逃げるようにして行ってしまう。


「付いて行ってみましょう」


 おかしい。これは何かあるに違いない。

 行列は村はずれの辺鄙な場所にある祠の前で止まった。すると着飾った少女だけを残して、皆小走りに帰ってしまう。1人残された少女は祠の前に座り下を向いて泣き出すではないか。


「あの、びっくりしないで」

「…………!」

「私に訳を説明してくれない。力になってあげる事が出来ると思うの」


 アイダは震えている自分と同じくらいの年齢だろう少女に、そっと話しかけた。

 だがもうアイダにはおおよその見当はついていた。そして予想はやはり当たっていた。少女は生贄であったのだ。血のように真っ赤な羽毛に覆われた猛獣が今夜現れて自分を喰うのだという。神出鬼没のまるで妖怪のような猛獣であると噂されていて、毎年若い女性の生贄を出さないと、村に災難が及ぶと言うのである。


「分かったわ、貴方を助けるから安心して」

「えっ、でも……」

「今から村に帰っても騒ぎが大きくなるだけでしょうから、祠の奥に隠れていなさい」


 アイダは少女の代わりに祠の前に座って待つ事にした。ワイナとトゥパック、キイロアナコンダも祠の奥に隠れた。

 祠のある場所は集落の入口や道の辻などが多いが、山の神のように奥深い山奥など、精霊人間が立ち入らないような場所に祀られるものもある。ここは村人もめったに来ない寂しい場所である。


 日はいつの間にか落ち、

 闇が忍び寄り、

 小鳥も声を潜める。

 静かになっていた祠前の広場に怪しげな風が吹き始め、

 灯篭の灯りがフッと消えると、

 やがて辺りに生臭い匂いが漂ってくる――


 ――来たわね――


 闇の中からヌシッと現れた妖怪は、確かに真っ赤な羽をはやした猛獣である。首をだらりと前に落としたまま、これまた真っ赤な目玉をぎらつかせてゆっくり歩んで来る。

 アイダがすっくと立ち上がると、獣は一瞬おやっとした表情を見せたが、すぐ威嚇を始める。だがアイダは涼しい顔で、


「なるほど、お前が少女たちを毎年生贄にさせている妖怪なのね」


 とその獣の表情を眺めているではないか。

 それを見た妖怪の態度が一変した。


「貴様、村人ではないな!」


 そして背後からワイナとトゥパック、キイロアナコンダが出て来ると妖怪は激しく一喝して、踵を返し逃げだそうとする。だがその瞬間をワイナが見逃さなかった。ジャガーになったワイナが妖怪の後ろから襲い掛かったのである。

 2頭は激しく争ったが、ついに妖怪の喉にジャガーの太い牙が食い込み、そのまま抑え込まれた状態でしばらくして、獣は窒息させられて勝負は付いた。




「ありがとうございました」


 村の長老が当惑気味に感謝の言葉を述べた。いまだに妖怪が退治されたというのが信じられないのだ。また襲って来るのではないかと。


「大丈夫です、獣の死骸を見たでしょ。あれが妖怪の正体です」


 確かに村人は見た。信じられない出来事であったが、とにかくこれで一安心と皆胸をなでおろした。


「さあ、行くわよ」


 アイダは再びジャガーのワイナとゴリラのトゥパック、キイロアナコンダを連れて歩き始めた。

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