第2話 アナコンダ


 メデジン・カルテルのアジトはボゴタ郊外の人里離れた地にあり、建物の周囲は厳重な警備網に囲まれている。さらにその周囲は沼地が広がり天然の要害でもあった。

 少女は警官を建物の表門前に立たせると、


「呼び出しなさい」

「しかし……」

「急用が有ると言うの」


 警官はしぶしぶインターホンに向かい、急用で来たからゲートを開けてくれと声を掛けた。門の上に備え付けられたカメラが、意志を持った人の目玉のように動いている。


「後ろの連中はなんだ?」

「訳は後で話すから、とにかく開けてくれ」

「…………」


 暫くして自動小銃を構えた数人の男達が正面ゲートの向こう側に現れて、少女と2人の戦士を胡散臭そうに見ている。それでも銃を持っていない事を確認するとゲートを開いた。


「あの、事情は……」


 警官が訳を話そうとする前に、表門に現れた男の1人が怒鳴った。


「お前たち、その剣をよこせ」

「そうはいかん」


 次の瞬間、トゥパックの2tを超える鉄拳がうなりを上げ、男達の身体は吹き飛ばされた。少女が叫ぶ、


「トゥパック!」


 かろうじて逃げた男の1人が門に備えられていた警報ボタンを押すと、施設中に警報音が鳴り響いてしまう。秘密裏に建物の内部に潜り込む算段は崩れ去ってしまった。門の奥からは新手の男達がばらばらと集まって来るのが見える。


「これは無理ね、一旦撤収よ」


 表門から離れて逃げるが、男達は数を増して迫って来る。


「こっちへ!」


 3人の行く手には沼地が広がって、走って逃げる範囲が狭くなる。


「こっちよ」


 少女は沼に入るが、膝小僧から腰の付近までと様々な深さの沼で思うように歩くことが出来ない。


「ブハッ、ちくしょう!」


 体重の重いゴリラのトゥパックが深みにはまりもがいている。

 3人はそれでも頭よりも高く茂った草を両手でかき分け進んで行くが、追手は犬も動員している。ついに沼の中心部で周囲を男達に囲まれてしまう。放された犬が泳ぎ、吠える声が近寄って来た。


「仕方ないわ……」


 少女は手を前に伸ばすとつぶやき始めた。


「アラヴォアラ・シスヴァーアラカザンヴォアラホー……沼の主よ、姿を現せ」


 静かだった沼の空気がおどろおどろしく一変すると、周囲の水面がうねり出した。やがて淀んだ水の中からヌラッーと鎌首を持ち上げ現れた大蛇アナコンダは、先住民が畏怖の念を込めて呼ぶパチャである。主の名はケチュア語でパチャクテクからきている。世界を震撼させる者、世界を造り変える者というインカ皇帝の名だ。パチャクテク皇帝は宿敵のチムー王国を破り帝国を発展させ、南米にインカの統治を広げた。

 アナコンダは、ボア科アナコンダ属でヘビの総称である。有名な種としては大アナコンダとキイロアナコンダがあり、水生で南アメリカの熱帯雨林の湿地などに生息している。

 大アナコンダなどは全長10メートルを越える報告もあるが、確認されたもので最大は9メートル。アミメニシキヘビの9.9メートルに次いで世界第2位である。そしてアミメニシキヘビと同じ長さでも体重はずっと重い。最も重いヘビの一種であることは事実であり、体重250キロ、胴回り直径30センチ以上になる。メスはオスより大きい。水棲といっていいほど水を好む。浅瀬で待ち伏せによる狩りを行い、獲物を長い体で絞め殺して飲み込む。またキイロアナコンダは比較的小さいが大アナコンダより気性が荒い。

 しかしこの沼の主の全身を見た者はおらず、体長は想像を絶すると思われているのだ。現れた大アナコンダの鼻は小さな鱗ではなく発達した盾のようなシールドで覆われている。体色は暗い茶色で、背中に黒い斑点があり、ドラム缶のような胴の腹部は白っぽく、黒の斑点がある。アナコンダは哺乳類を食料とするが、獲物を待つときは水面に頭の先だけ出して水中に潜んでいる。夜行性であり、気質に難があって気難しいと地元の先住民からも恐れられている。

 そして水を滴らせる鎌首で不気味に3人を見下ろす沼の主パチャの声が響いた、


「その方ども、儂の眠りを妨げてただで済むと思っておるのか」


 少女がすぐ訳を説明した。


「貴方様の眠りを妨げてしまった事はお詫びを致します。ただこの森を騒がす者達が今も私たちを追い詰め周囲を包囲しており」

「…………」

「ここはぜひとも貴方様のお力をお借りたく、起こしてしまいました」

「…………」

「出来れば――」

「まて、それ以上言う必要はない」


 主の姿が水中に没すると、うねっていた水面が静かになった。

 だがその後に起こった惨状は言語に絶する。3人の周囲を囲んだ男達に、巨大なアナコンダが襲い掛かったのである。男達を束にして軽々とくわえたアナコンダがそのまま水中にもぐり、次に出てきた時は上空から、狼狽する者達の上に激しくのしかかる。必死になった男達の自動小銃も負けずにうなりを上げるが、全く歯が立たない。犬も逃げ惑い、ついに皆銃を水上に投げ出し逃走して行ってしまった。


 ブラジルで財を成した日系移民の男性がこれまでに知られたアナコンダの最大のものは長さ50メートルあったと主張し、その後、他の人々も30〜40メートル程度のものならいる、目撃者がいる、自分も目撃した、等々の論陣を張った。

 50メートル説の根拠とされるのは、1949年にブラジルの多くの新聞に掲載された記事である。ブラジル陸軍の国境警備の駐屯部隊が500発もの弾丸を撃ち込んで仕留めた巨大な蛇で、全長55メートル、胴回り2メートル、重さ5tであったとされた。


「お前たちが森の秩序を保とうとするのなら、この者を連れて行くがいい」


 騒ぎが収まると、3人に近づいて来たチャパがそう言い、後ろから現れて人に変身するのは、キイロアナコンダであった。他のボア類と比べて、やや大きめの餌を食べる傾向がある。狩りは待ち伏せと追いかけを巧妙に使い分けて行う。世界最重量級の蛇である大アナコンダと比較され、小さいというイメージが強い。だがそれでも平均体長は3メートルを超える大型種である。主の影より悠然と前に出て来たこのキイロアナコンダは、体長5メートルは有るだろう。体色は黄色で、黒く長い斑紋がびっしりと入っている。


「儂以上に気の荒いのが欠点だが、使える者である」

「…………」


 そこまで言うと、チャパは少女の返事も聞かず3人の前から姿を消した。但しその消え方は少々問題があり、荒々しいく水中に没した為3人は頭から泥水を被る事となった。

 少女は顔にべったり付いた泥水をぬぐうと、


「プハッ、まだ眠りを邪魔されたのが腹に据えかねているようね」





 メデジン・カクテルの建物への侵入は夜半に再び行われた。今回は4人である。


「トゥパック、今度また軽々しく動いたら承知しないからね」

「…………」


 建物の周囲をよく見るとカメラの死角になっている部分があるようで、そこから潜り込むことにした。塀を越えてうまく中に入れた。見張り番の小屋のようなものが建っている。


「…………」


 少女が指で合図を送ると3人がそっと建物に近づいて行く。

 窓から中を覗くと1人の男が居るだけで、他の者は巡視にでも出ているのか。

 その時ワイナが上を向き、トゥパックにあれを見ろと目で合図を送る。トゥパックがその視線の先を見ると、建物の屋根から隙間を伝って内部に入り込むキイロアナコンダの姿。

 やがて建物の縁から部屋に居た男の首に太い蛇が落ちた。そして首を絞め始めると、男の目は飛び出し痙攣して声も出せずに絶命した。

 それを目にしたトゥパックがワイナの方を向きながら、首を振りつぶやく、


「絶対に奴だけは敵にしたくないな」


 少女が先を促しカルテルの建物に近づいて行くと、ワイナの足が止まった。


「動物たちはこの建物には居ない。別の建物があるはずです」

「そうね、ここからは仲間の匂いがしてこない」


 メデジン・カルテルに捕らえられているという野生生物たちを救出するのが今回の使命である。森を荒らす賊達を懲らしめるのは後でいい。


「裏に回りましょう」


 3人が向きを変えて歩き始めた時、


「まずい」


 2人の見回りが銃を携え歩いてくるところに出会ってしまった。


「ワイナ」


 少女の声を聞く直前、とっさに動いたのはワイナだった。素早くジャガーの姿に戻ったワイナがダッシュすると、男が気付き銃を構える隙を与える間もなく襲い掛かった。さらに少女が手を伸ばす、


「アスヴァーハー!」


 少女の手から放たれた光はもう1人の男を倒していた。

 

「急いで、裏に檻があるはずだわ」


 4人は建物の裏にある檻の前にたどり着いた。2メートルは優に超える鉄製の頑丈な柵で囲われている。小さな野生生物も逃げられないように小さな柵が二重に張り巡らされ簡単には越えられない。


「トゥパック、おれを柵の中まで放り投げてくれ」


 キイロアナコンダがトゥパックに声を掛け、蛇の姿に戻った。


「よし」


 トゥパックは蛇の尻尾を持つとハンマー投げよろしく2回3回と回転して空高くキイロアナコンダを放り投げ、鈍い音がしたのだが、


「何やってるんだ、トゥパック」


 キイロアナコンダの声である。トゥパックが手を放すタイミングがずれて、柵の中ではなく反対側、2人の後方に飛んでしまったのだ。


「あっ、悪い」

「…………」


 やり直しである。今度はしっかり柵の内側に落ちる。

 キイロアナコンダの姿が柵内の建物の中にするすると消えてゆく――


「また首を絞められる奴が出るな」


 トゥパックは自分の首をそっと撫でた。


 檻の動物たちを解放していると、ジャガーの死骸が2頭見つかった。1頭の身体はほぼ無傷だったが牙が抜かれている。さらにもう1頭のジャガーは牙を抜かれて、皮まで剝がされているではないか。それを見たワイナが走り出した。


「ワイナ、待って!」


 ジャガーの体の一部を違法に取引することは禁止されているが、収集家たちは、長年その牙や毛皮を珍重してきた。牙は1本当たり120~150ドルで買われ、それは地元住民の月収よりはるかに高い金額だ。

 密猟の標的になりやすい動物の生息地は、厳しい財政状態に悩む国家に多い。だから動物保護は後回しにされてしまう。さらに密猟を取り締まるべき執行機関が賄賂によって懐柔されたり、時には治安警察官らが密猟に参加することさえある。

 柵に捕らわれていた野生生物を解放していたワイナは、牙を抜かれ、皮を剥がされたジャガーを見て怒り狂い、暴走を始めてしまう。


「トゥパック、ワイナを止めて」


 だがワイナの暴走は止まらなかった。メデジンの建物に1人で押し入り、次々とその場にいた男達を手あたり次第、刃の犠牲にし始めた。そして抑えられない怒りのあまりなのか、その姿は何度もジャガーに戻ってしまう。ジャガーと戦士の姿がダブリ、刃が振られ、牙が賊の喉笛をかみ切る。賊達に二重のダメージを与えてゆくのだ。その場にいた男達の死骸が累々と横たわると、ワイナは剣を横にだらりと降ろして、やっと深く息を吐きだした。


 少女とジャガーのワイナ、ゴリラのトゥパック、そしてキイロアナコンダが襲撃を終えて引き返す時は日が昇り始めていた。

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