ジャガーとゴリラを従えた少女の物語

@erawan

第1話 ジャガーとゴリラを従えた少女


 オスのジャガーと共に密林を歩く少女がいる。ジャガーのなめらかな体長は180センチ、体重は100キロ近いとみられる。アマゾンでも最大級の体躯である。

 少女は少し開けた小高い丘に来ると、そっと身を乗り出し下を見つめ始める。黑い瞳で切れ長な目、肩を超える黒髪が風になびき頬を斜めに横切って、時折その端正で涼しげな横顔を隠す。どんよりとした熱気も少女の周囲だけは避けているように見える。

 隣に控えるジャガーも少女と呼吸を合わせて身を沈め、静かに見下ろしている。後ろから遅れて姿を現したのは小山のような厳ついゴリラだ。ナックルウォーキングと呼ばれる歩き方で、少女とジャガーの行動に興味を示した様に近づく。手の平は握っておらず、指の第1と第2間接の間だけを地面に付けた4足歩行。そしてジャガーを見ると、そんな身体を沈めるなんて出来るかとばかりに、腕は地面と垂直な状態を保ち丘の下を睨み始めた。

 鬱蒼としたジャングルの濃い緑が辺りを覆っている。

 しかしいつまでも動こうとしない状況にじれたのか、このオスのゴリラは鼻を鳴らして少女の方を向き、更に声を出そうと口を開く。だが少女のきつい瞳に睨まれると、体重150キロを優に超えているだろう黒い毛並みのゴリラは、申し訳なさそうに身をすくめた。

 程なくして立ち上がった少女とジャガー、そしてゴリラの姿が揺らいだようにふっと消え、辺りに再びうだるような熱気が戻ってきた。





「地元メディアの情報によると、消息を絶った旅客機はコロンビア南部のジャングルでアラクアラ川付近に墜落したとみられています。偶然地上から目撃した人の話では、爆発音がして機体から火が出たとの事です。なお、この便に乗る予定だった大統領候補の……」


 コロンビアの首都ボゴタの外れで、通りには、エンパナーダを売る店先に設置されたテレビが最新のニュースを流している。とうもろこしの粉から作った皮に、肉、じゃがいも、そしてチーズと野菜を詰め焼いたものを手に持ったまま、1人の男がニュースを見続けている。


 事故を起こした旅客機は、離陸した空港から約350キロ離れたサンホセデルグアビに向かっていた。だが半分ほどの距離で突然機体後部から爆発音が発生、操縦士は航空管制官に連絡する間もなく機体を制御できなくなりジャングルに墜落したとみられている。

 生存者は居なかった。胸から上がくの字になっていた子供は、母親のすぐそばで下半身を機体の残骸に挟まれて逆立ちしているような状態で見つかった。

 ジャングルに激突した旅客機の乗客乗員の大半は、機体の破断とともに外に投げ出され死亡し、多くの遺体は全身を強く打ち、内臓破裂、頭蓋骨骨折と激しく損壊していた。また火災により完全に焼損した遺体も多かった。また燃料の入ったドラム缶を貨物と一緒にして機内後方に積むというこの航空会社の慣例も、被害を大きくしたと噂されている。広い範囲で火災が発生して、地上でも逃げ遅れた野生生物に甚大な被害が出ていたのだ。


「……政府と和平合意を結んだ左翼ゲリラ・コロンビア革命軍の残党から脅迫を受けていたという……」


 話題の切り替わったテレビに背を向けて店を出た男は、雑踏を縫って歩き始めた。エンパナーダを掴んでいない手に持つ携帯を耳に当て、


「失敗だ。奴は乗っていなかった。……そんな事知るか。こうなったらまだるっこしいのは止めだ。直接殺るぞ」


 大統領候補だったセサル・ガビリアが乗る予定だった航空機が爆破されたニュースに、コロンビアの国民はまたかと顔をしかめた。幸いセサルは搭乗していなかったものの、事件は107人もの死者を出す大惨事となった。だがセサルはその後の選挙運動でボゴタ近郊を遊説中、複数の男達にマシンガンで襲われ殺されてしまう。ところがその襲撃の犯人は会場を警備をしていた警察官数人から銃で撃たれて死亡すると事態が起きる。犯人達は至近距離から正確に撃たれたのである。何故殺してしまったのかと非難されたが、結局事件の真相は分からずじまいになった。しかしコロンビア国民の皆は、暗殺は候補が主張していた麻薬の規制強化に反発したメデジン・カルテルの組織によるものだろうと囁いた。そして犯人達はその場で、組織と裏でつながる警察官に口封じをされたのだろうと。





 2頭の獣を連れて細い路地に忽然と現れ、大通りに出ようとしている少女がいる。


「ワイナ」


 雑踏を前にした少女は、傍に従っているジャガーをそう呼び、細い腕で何やら指示を出す。ワイナとは南アメリカ大陸の先住民言語ケチュア語で、インカ帝国の11代皇帝の名ともなっている「すばらしい若者」という意味である。

 指示を受けたジャガーのしなやかな肢体が、人気の無い天幕の影にすっと入る。すると反対の端から、剣を携えた端正な若者が覆いを広げ姿を現した。只ならぬ気配に気が付き、立ち上がって吠えかけた犬は、その若者の一瞥に首をすくめて尻尾を丸め唸るのを止めた。

 ワイナと同じように少女に付き従っていたゴリラの方は、いつの間にか猛々しい戦士の姿になっていた。その背中に背負っている大げさな武器を目にした少女は、少しため息をついたように見える。


「トゥパック、大人しくしていなさい。人間に変身したら自分の胸なんか叩くんじゃないのよ。それから勝手に騒ぎなんか起こしたらただじゃ置かないからね」

「…………」


 トゥパックという言葉もインカ帝国10代皇帝の名で、高貴な王という意味だ。そのトゥパックと呼ばれたゴリラ、いや戦士は上体を屈めて両手を地面に着き4足歩行をしようとして、慌てて姿勢を正すとチラッと少女の顔を盗み見た。実際ジャングルのゴリラを全て統率する実力と権勢の持ち主トゥパックも、少女にだけは頭が上がらないのである。

 だがゴリラの知能の高さは良く知られている。人間と手話を通して会話ができるようになった個体も居て、その知能は人の一般的なIQと比較してもかなり高いという。そしてゴリラの強さは握力にあり、平均は500kgで人間男子の握力は50kg前後。さらに筋肉質の身体から繰り出されるパンチ力は、怒ると2tを超える。世界有数のプロボクサーなどでも1t前後といわれているのだ。


「ここは大統領候補が殺害された広場よ」


 少女と2人の剣士はボゴタの広場に来ている。しかしその時少女の顔に影が浮かんだ。


「貴方は大統領候補だったセサル・ガビリアね」


 少女が前に伸ばした手の先には陽炎のような揺らぎが現れている。セサル・ガビリアの霊魂である。少女の指先に精霊界の密度の異なる空気が現れて、光が屈折してそこに霊魂が浮かんで見えているのだ。

 光は普通直進するが、空気の霊的密度が異なる場所では濃度のより高い方へ進む性質がある。そのように異質な空気が隣り合っていると、そこを通る光は違う経路を辿り、通常ではあり得ない見え方をするのである。


「貴方は密林の秩序を保とうとしていた。緑の森にすむ生き物たちの密猟を防ごうとしていたのは理解しているわ」

「…………」

「仇は必ず取ってあげる。私たちの穏やかな生活をこれ以上脅かすものは私が容赦しない」

「おい、お前たち、そこで何をしている」


 突然数人の警官が3人を取り囲んだ。


「…………」

「ここではお前たちのような不審人物は取り調べをする事になっている。襲撃事件があったばかりだからな」


 警官がワイナの剣やトゥパックが背中に背負った剣を見ている。その時少女の手が前に伸びた。


「アラヴォアラ・シスヴァー……亡くなったセサル・ガビリアの霊に従うがいい」

「……あっ……」


 威勢のよかった警官らは、夢遊病者のように棒立ちとなった。


「あなた方は襲撃犯の殺害に関わった警官ね」

「…………」

「今から私たちを雇い主のところまで案内しなさい」


 1987年にメデジン・カルテルの運び屋で最高幹部のカルロス・レデルは逮捕され、アメリカに移送された。そして2年後には同じくメデジン・カルテル最高幹部のロドリゲス・ガチャを特殊部隊が射殺。すると同年、カルテル側も応酬するように大統領候補だったセサル・ガビリアを暗殺。候補の進める運動は麻薬の生産・加工・販売や野生生物の密輸を撲滅しようとしていた矢先の出来事である。

 コロンビアではジャングルに住む先住民族などは文字を持たず、インカ帝国時代よりキープと呼ばれる縄の結び目で情報を記録していた。ゲリラやカルテルから馬鹿にされ脅迫されて、野生生物の捕獲に駆り出されるケースが常態化している。野生の動物を乱獲するカルテルと、生き物の精霊を敬う先住民とのいさかいが絶えず、迫害からの避難民は約500万人と世界有数であった。



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