第4話 東の谷の女悪魔
アイダはジャガーのワイナとゴリラのトゥパック、キイロアナコンダを連れて、日が暮れた頃目的の谷に近づいた。
「そろそろ谷に差し掛かる頃ね。今夜はここで野宿をしましょう」
峡谷から聞こえて来る激流の音が、水量のせいか相当激しい。古木を集めて火を焚くが、暖を取る為では無い。この谷に近づくごとに魔物の気配を強く感じ始めたのだ。人に変身している4人は火を恐れる必要はないが魔物は別だろう。用心の為だ。
だが深夜である、
「なに!」
トゥパックが大声を上げた。
「どうしたの?」
「何かが喰いついて来た、くそ!」
トゥパックが叩いた首からは蝙蝠が飛び立った。
「上だ!」
頭上に無数の蝙蝠が舞っているではないか。
「もっと、どんどん火を焚きましょう」
「後ろを見ろ!」
ヴァンゲリラス、アマゾンの邪悪な吸血鬼と呼ばれる怪物が太い枝の上から羽を広げて威嚇してきた。蝙蝠たちのボス、もう火を焚き増ししてる暇はない。ワイナ達3人は剣を抜き身構えた。
だが、いつまで待っても怪物は襲ってこない。
「何してるんだ」
しかし皆が怪物の様子を見ていると奇妙な事に気が付いた。怪物はアイダ以外を見ていないのだ。ジャガーのワイナ、ゴリラのトゥパック、そしてキイロアナコンダを全く気にしないでアイダだけを凝視しているのが怪物の視線から分かる。
「くそ、こいつはおれたちが飛べないのを分かっていて、相手にしないって事だ」
アイダが前に出て来る。
「だったら私が相手をしましょう」
アイダの手が前に伸びると呪文が始まる。
「アラカザ――」
「あっ」
怪物が飛び去ってしまう。呪文を唱えている暇がない。だから怪物はアイダの様子だけを凝視していたのだ。これでは手も足も出ないではないか。
戻って来た怪物がニタニタと笑っている。何度やっても同じでらちが明かない。呪文を唱えようとするたびに飛び立ってしまうのだ。
アイダはうなだれて、がっくりと肩を落とした。
だが、
「アラ……カザンヴォアラ……」
「ん?」
怪物がうなだれているアイダを怪訝そうに見る。
「シャザムスヴァーハー」
アイダが再び顔を上げた時は呪文が完成していた。
「カアッ!」
と一声怒った怪物が飛び立とうとするのは一瞬遅かった。呪文をまともに受け太い枝を振動させてもがいた瞬間を、ワイナは見逃さない。ジャガーに戻ると一気に木の幹を伝って飛び掛かった。
「ギャアーー」
地上に落ちた身動きの取れない怪物の喉笛をジャガーが喰わえている。こうなるともう勝負は付いたようなものである。やがて怪物が動かなくなると、他の蝙蝠達も居なくなる。
夜が明けると、木の根元に昨夜の怪物が横たわっていた。
「さあ、先を急ぐわよ」
アイダは再びジャガーのワイナとゴリラのトゥパック、キイロアナコンダを連れて歩き始めた。女悪魔は東西南北4つの谷間にそれぞれ住んでいるという。
「まずは東の谷に行ってみましょう」
そこは確かに峡谷で、深い谷は切り立った崖を降りて行かねばならないようだ。人が簡単に降りて行けるような崖ではない。
「これは元の姿に戻った方が良いな」
ワイナはジャガーに、トゥパックはゴリラに、キイロアナコンダは蛇に戻って急な崖を降りて行く。人間のままよりこの方が手っ取り早い。
アイダはゴリラの肩にちょこんと収まって、何とか谷の底に着いた。
「ここが女悪魔の居る谷なのか?」
それらしい建物は無く、ただの険しい峡谷が荒々しい地肌を見せているだけである。濁流の音もうるさく、こんな落ち着かない所に人が住んでいるとは思えない。まあ精霊ではなく悪魔だから関係ないのか。
そしてまた夜が来た。
「こんな場所で野宿はあまりぞっとしないな」
「だがな、悪魔が出てくるまでは此処にいるしかないんじゃないのか」
4人は仕方なく野宿を決めて、燃えそうな古木を集めて適当に積み上げる。
「アラヴォアトシャザムハー」
アイダの指先から炎が出ると、古木に火が点いた。しかし虹の精霊であるアイダが何故そんな呪文を唱える事が出来るのか。以前からアイダは虹として雨上がりの空に出るだけの自分に満足していなかった。人界では野生生物の乱獲が動物たちを苦しめているではないか。それを漫然と見ているだけの精霊界に不満を高めていた。
虹の精霊とは思えないほど活発な性格のアイダは決心をする。様々な術を使う呪術師で、古い知り合いであるゾボの手ほどきを受けていたのだ。ゾボはオオカミの守護動物霊であったが、呪術師となった今も非常に高い攻撃力と守護力を誇っている。一旦味方と認識したからには、アイダを終生見守り続ける力強い存在である。
さらに、剣術の達人と言われているアモン神、エジプトの古代王朝の国々にも遠征してその武勇を轟かせている。そのアモン神の下にも日参して、剣の手ほどきも受けている。アモン神とは古代神話に伝わる竜の事である。巨大な2つ首を持ち、鳥のような脚と翼をした「高貴な竜」又は「輝ける竜」という意味だ。
深夜である。
突然何かが落ちる音に全員が飛び起きる。
「何だ!」
焚火に何かが落ちたのだ。
「怪物の死骸だ」
昨日退治した怪物の死骸が焚火に落とされたのである。そして不気味な声が辺りに響いた。
「よくも私の可愛い息子を殺してくれたわね!」
……まずい、これは相当まずい展開ではないか。昨夜の怪物は女悪魔の息子だったのだ。
「アラカザンヴォアシャザムスヴァーハー……キャー!」
呪文を唱え始めたアイダが何かの力で吹き飛ばされた。
「アイダ!」
ゴリラのトゥパックが、倒れてぐったりしているアイダを抱き起したが意識が無い。ワイナはジャガーに変身して女悪魔に飛び掛かって行くが、ひらりとかわされた。
「まずな、ここは一旦撤収だ」
気を失っているアイダを抱いたゴリラのトゥパックが皆に叫んだ。
「逃がしはしないからね、皆殺しだよ、はっはっはっ――」
女悪魔の執拗な追撃を逃れてアイダを抱いたトゥパックと他の2人は必死で逃げている。だが空からの爪による凄まじいスピード攻撃に全く有効な反撃が出来ない。背後からの攻撃には振り向いて刀を振るうか、こちらも爪で反撃するのだが、やられてから振り向くこの状況はどう見ても圧倒的に不利である。
「あそこに入れ!」
谷の端に崖が窪んでいる箇所がある。そこに皆が駆け込んで空を見た。
「これでしばらくは時間稼ぎが出来るだろう」
だがこのままではどうしようもないではないか。全員が絶望し始めたその時、
「ん?」
いつまで続くのかと思われ、執拗だった女悪魔の攻撃がいつの間にか止んだ。
「何故だ?」
「朝日だ、朝日が差してきた」
谷の底まではまだ差していないから暗いが、山の頂上辺りは明るく朝日が当たっている。
「奴は昨夜の怪物と同じで、吸血蝙蝠の属性を持つ悪魔なのではないか」
「そうか、だから日が昇り始めると動けなくなるのだ」
「助かった!」
「アイダ」
「大丈夫か」
やっとアイダが気づき目を開けた。
「どうなったの?」
顛末を聞いたアイダがため息をついた。
「これは面倒な事になったわね」
あの女悪魔の力を知り、手も足も出ない状況に皆が押し黙ってしまう。アイダの呪文さえ使う余裕が持てないのだ。それでもアイダが何とか声を出した。
「あの女悪魔は吸血鬼の属性で昼間は活動できないんでしょ。だったら今は攻撃するチャンスよね」
「だけどどうやって奴の住処を探したらいいんだ……」
ここでまた皆押黙ってしまったが、ゴリラのトゥパックだけは胸を張った。
「よし、ここは俺に任せろ」
「どうするんだ?」
トゥパックはそれに答えずいきなり走り出すと近くの高い木に飛び移る。そしてするすると昇って行き姿が消えた。ゴリラが木に登る事はあまり得意ではないが、この際そんな事は言っていられない。しばらくすると森中にトゥパックのドラミングが鳴り響いた。ゴリラは息を吸い込んで喉にある共鳴袋という器官を膨らまし胸を叩くことで、大きくてキレイな音を出すのだ。このドラミングは遠くまで聞こえるはずである。
やがて集まって来たのは森中全てのゴリラであった。森のゴリラを統括していたトゥパックはゴリラの王でもある。そのトゥパックの指示を受けた無数のゴリラたちが散って行った。
「アイダ、待ちましょう。あの者達が女悪魔の住処を突き止めてくれます」
「分かったわ」
結果は直ぐに出た。女悪魔の住処が分かったのである。
「行きましょう」
アイダはジャガーのワイナとゴリラのトゥパック、キイロアナコンダを連れて歩き始める。この辺りの森に住むというゴリラの案内で、女悪魔の住処だという場所に着いた。蝙蝠の館で、暗く不気味な谷にはそぐわない瀟洒な造りである。
「入りるわよ」
トゥパックがドアを開け、アイダが中に入ると、そこは正に洋館である。
広間の中央に棺が置かれて、木製の蓋がしてある。
「トゥパック、開けて」
トゥパックが蓋を持ち上げると、中には蝙蝠の翼を閉じた美しき貴婦人が横たわっている。その名はキュラノス、蝙蝠の姿をした美しき夜の種族と呼ばれる吸血鬼の魔物である。
キイロアナコンダが持参した、木材で作った十字のとがった先を翼の隙間から貴婦人の胸にあてがい、アイダの顔を見る。アイダがうなずくと、キイロアナコンダが一気に杭を貴婦人の胸に刺し込み貫いた。
「ギャーー」
すさまじい悲鳴と共に貴婦人が起き上がろうとする。
「アラカザンヴォアラカスプレストシャザムスヴァーハー」
アイダの呪文が響く。
「ガーッー!」
貴婦人の目は裂けんばかりに見開き、口は牙をむきだして尖り、巨大な蝙蝠に変身してキイロアナコンダの腕を掴むと、バタバタと暴れ出したが、呪文が効いてきたのか、ついに静かになり動かなくなった。
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