黎月

 明けて、翌日の昼休み。

 一年三組の教室は心なしか、普段よりざわめきを増していた。

 例によって自席でスマホをいじる月にも、会話の断片が聞こえてくる。


「ねえねえ、聞いた? 昨日の話」


「あれでしょ? 部室棟に他校生が入り込んでたってヤツ」


「こっわいよね~。なにしてたんだろ」


「なんか女子の先輩たちも一緒だったらしいよ。つまりさあ……?」


「……えっえぇ~! そゆこと? そゆこと?」


 耳をそばだてなくとも、似たような会話がそこかしこで飛び交っているのが分かる。

 視線を移せば、経緯を得意げに話す光河の姿があった。


「由佳ちゃんが、天叢くんと一緒に追っ払ったんでしょ?」


「そ~そ~! 二組の御船くんと、五組の四方城さんも一緒! 四方城さんなんて、家の人たちまで連れて来てさあ……」


(ホントなら感謝しなきゃいけないんだけど……。なんかユカ、普通に楽しんでない?)


 身振り手振りを交えて話す親友に、若干げんなりする。

 とはいえ、文句を言うわけにもいかない。元はといえば、自身の驕りが原因なのだから。


(はあぁぁ~。スマホ取り上げられなかっただけ、まだいいか……)


 ――畑で、八薙を見送った後。

 月は職員室で、事の経緯を洗いざらい話した。

 体育教師の鹿島をはじめ、危険な行動は慎めと怒られる。

 当然、両親にも連絡が行き、すっ飛んできた両親にさらに怒られた。


(当然っちゃ当然なんだけど……。一応、被害者なんだけどなぁ)


 田所たちは、めでたくお縄頂戴となった。なにせ不法侵入に加えて、婦女暴行未遂の現行犯である。

 名も知らずに終わった先輩たちの処分は聞いていないが、天叢曰く退学は免れないらしい。


(学校側の対応も、なんともアレよねえ。オトナの世界って、ああいうもんなのかな)


 問題となったのが、内部にどういった形で発表するかだった。

 幸い由佳たち以外に、学生の目撃者はいない。だが外に漏れれば、学校のイメージダウンに繋がるのは分かりきっている。

 呼び出された校長の下した決断は、不法侵入のみを発表することだった。


(まあおかげで、こうしてのうのうとしていられるわけだけどね)


 月の説得により、両親は校長の提案を受け入れた。

 ひとまず未遂で終わっているし、下手に噂を振りまかれたら、次に何が起こるか分かったものではない。

 そんな中、由佳や天叢たちも渦中の人となることで、事の真相をカムフラージュする役目を引き受けてくれたのだ。


(しばらく由佳たちには頭上がらないわ。ついでに、あいつにも……)


 ちらと、教室の後方に目を向ける。

 視線の先では、八薙が自席でイヤホンをしつつ本を読んでいた。ムスッとした表情からは、なにを考えているのか読み取れない。


(あれだけのことやってのけたのに、落ち着いちゃってまあ……)


 八薙もといEvon Oneエボン・ワンのことは、教員や由佳たちには話していなかった。

 言質がとれなかった以上、今のところはただの妄想だ。なにより、八薙本人が望んでいないだろう。警察の調査で明るみに出るならそれはそれとして、自分から余計なことをする気にはなれない。


(そういうの嫌なのは分かったよ。けどちょっとくらい、こっち見てくれてもいいんじゃない?)


 結局、目を見て礼を言えなかった。

 それでも、肩を掴んだ時の感触は今でも覚えている。


(意外と、しっかりした身体つきしてたよね……)


「……る~なっ!」


「わはあッ⁉」


 唐突に視界を遮った由佳の顔に、思わず奇声を上げる。


「どしたん、ぼ~っとして。まさか昨日の今日で……」


 由佳が難しい顔を作って、小声で詰め寄ってくる。

 傍から見たら、だいぶ呆けて見えたのだろう。


「そんなわけないでしょ。ちょっと考え事してただけ」


「ふぅ~ん……?」


 由佳は面白そうに、月が見ていたほうへと視線を向ける。

 八薙の姿を認めると、意味ありげな笑みを浮かべた。


「えぇ~! まさかの八薙そっち? そりゃよく見れば、ちょっとイケてるけど……チャレンジャーだねえ」


「ちょっ、違うわよっ! たまたまそっち見てただけで……!」


「いやぁ~、さすがはるなさんですわぁ~。喰らえるものなら何でも喰らうみたいなぁ~?」


 苛立ちで、口の端が吊り上がる。

 どうやら由佳は、昨日の一件で恩を着せたと思っているらしい。

 だが沈んでばかりでは、周囲の努力を水泡に帰すことになりかねない。


(うん。あんまりに不自然なのも、よくないね)


 思うが早いか。由佳の口を塞ぐように、頭を右掌で鷲掴みにする。

 中学の頃からの伝統芸だ。


「ふごっ⁉」


「そうだよねぇ~。私はこうでないと、ダメだよねぇ~」


いやひひゃったまにはおとなしくはまひはほほはひふしててもいいとひへてほひーほ思うんですほもふんへふ! マジまひ離してははひへ……!」


 大騒ぎする二人に級友たちの視線がちらと向いた後、あっさり戻っていく。いつもの日常、と言わんばかりの反応だ。

 だが視線の中に八薙のものが混じっていたのを、月は見逃さなかった。


(そういう時にしか、見てくれないんだ……。でもいいよ。今は、それで)


 誰にも気づかれないように、微笑みを送った後。

 月はようやく、由佳の顔を掴んだ手を離す――。



 *  *  *  *



 ――月は、ソファの上でゆっくりと目を開けた。


「……ん」


 身を起こして、周りを見る。

 窓の外の空は、茜色に染まっていた。ソファと揃いのテーブルの上には飲みかけのお茶と、魔法書が一冊。

 異世界ゲフェングニルの都にある、月たちの屋敷のリビングだ。

 どうやら本を読むうちに眠ってしまったらしい。身体には、ブランケットがかけられている。


(夢か……)


 懐かしい夢だった。

 ちょうど一年ほど前のことなのに、ずいぶん昔に感じられる。

 欠伸をひとつすると、キッチンのほうから美味しそうな匂いが漂っているのに気づいた。月が好きな、鶏肉の煮込みのものだ。

 リビングに隣接するそこへ、目を移すと――。


「……あ」


 思わず、声が漏れる。

 かつて救ってくれた男子――八薙黎一が、キッチンに立っていた。

 共に暮らす少女であるフィーロを抱き上げて、子守までしている。すでに料理を煮えるのを待つだけらしい。


(やっば……。フィロちゃんの世話、任せちゃったか)


「おはよ。ごめんね、寝ちゃってた」


「いや、いい」


 月が起き上がると、黎一はフィーロを降ろしてリビングに行くよう促す。

 片方が食事を作る間、片方がフィーロの面倒を見ることにしているのだ。


「もう、メシできる」


「ん、ありがと」


(そうだ。今は、傍にいられる)


 異世界に転移し、八薙黎一と一対ペアになってひと月あまり。

 喧嘩もした。嫌な思いもした。死にそうな思いは、何度もした。

 それでも、こうして一緒にいられる。


(すぐ近くで見つめられる。私が守ってあげることだって、できる)


 フィーロをあやしながら、黎一をじっと見つめた。

 見つめられた本人も気づいたのか、ばつが悪そうに目を逸らす。

 その仕草がおかしくて、つい微笑む。


「夢、見てた」


「……なんのだ」


 笑みが意味ありげに思えたのか、珍しく聞き返してくる。

 転移した当初なら、間違いなく無視されているところだ。


「ふふっ、内緒」


「だったら言うな」


 黎一は穏やかに言うと、配膳の準備にとりかかる。

 言葉選びは冷たいが、以前は吐き捨てるように言っていた。


(これでいい。ちょっとずつ、ちょっとずつ……)


 ちょっとした変化が、愛おしい。

 暗い夜が、少しずつ明けていくように。


(貴方を見守り寄り添う、つきように……なんてね)


 夜明けまで、共に在りたい。

 願わくば、夜明けを迎えた後も。


「……ほら、フィロちゃん。一緒にれーいちのお手伝い、しよ?」


「はぁ~い」


 ――そんな思いを、胸に秘めて。

 月はいそいそと、黎一の配膳を手伝い始めた。

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