窮地

 時は過ぎて夕方。茜の色に染まった空に、部活に励む者たちの声がかすかに響く。

 そんな中、月は重たい気分を引きずりながら、学校の敷地内を歩いていた。目指すはもちろん部室棟だ。


(気合い入れ直したのはいいけど……やっぱ、だっる)


 男子の歪んだ慕情のみならず、こういった手合いも慣れっこだった。

 曰く、ナントカくんは私が先に好きだったのに、とか。

 曰く、ダレソレさんの彼氏を奪った、とか。

 その他諸々、枚挙に暇がない。今のうちに纏めておいて、いつか”女子の恋愛パターン名鑑”などと銘打ち、出版したら売れるだろうか。


(そりゃ中学の子たちに比べれば、多少はマシかもしれないけどさあ……)


 無意味に遠い距離が、月のやる気を余計に減退させる。

 実際、採青高校さいせいこうこうはやたら広い。

 四階建ての校舎二棟は、各種の道場を収容した三階建ての体育館が直結している。

 サッカー部と陸上部が共存できるグラウンドの脇には、野球場とテニスコート。

 屋上に室内プールを備えた多目的棟の一階から二階は立体駐輪場、三階は更衣室。さらには食堂も別棟という豪華っぷりだ。


(さっさと済ませて帰ろ。入学したてでわざわざ因縁つけてくるってことは多分、上級生だろうけど……やることは変わらないし)


 げんなりしながら歩いていくと、ようやく目当ての建屋が見えてきた。

 部室棟は、多目的棟の真横にある。二階建てで、真ん中に走る通路に沿って部屋が並ぶシンプルな造りだ。

 目当ての第二準備室は、二階の一番奥のはずだった。行ったことはないが、部活の共同備品を閉まっておく場所だったと記憶している。


(あんなとこ、誰も来ないだろうし……。こういうの知ってるのが、なおさら上級生っぽ……)


 外付けの階段を昇る途中も、人の気配はない。

 夕方六時ともなれば帰る者はさっさと帰り、残る者はまだ部活に精を出している時分だ。七時の鍵閉めで教師が軽く巡回するらしいが、それまで人はほとんど来ないだろう。なかなか見事な時刻設定である。

 程なく、『第二準備室』と書かれたプレートが見えてきた。中からは、かすかに女性の話し声が聞こえてきている。


(さ~て、行きますか)


 軽くノックすると、話し声が消えた。入室を促す声は、聞こえない。

 ドアを開けると、八畳くらいの広さの部屋だった。カラーコーンやら白線引きやらが、雑多に置かれている。

 その部屋の奥、換気用の窓の前に、制服姿の女子が二人。うちひとりは、赤色のジャージを着ていた。学年ごとで違うこの色は、今年の二年生に割り当てられた色のはずだ。


「あ、来た来た」


 くすくすと笑うひとりは、黒髪のロングヘア。小柄で、くりっとした目をメイクとマスカラでやたら強調している。

 ジャージを着ているもうひとりは、茶髪のポニーテールの大柄な女子。メイクをばっちり決めているあたりは変わらない。

 この高校の校則は比較的ゆるい。だが二人のメイクや染髪の度合いは、やや規則を逸脱している気がしてならない。


「捨てアカからメッセもらって来たんですけど。私に何かご用ですか?」


「人のカレシに、ちょっかいかけてくれたみたいだからさ。ちょっと言っておこうかと思って」


 心の中でため息を吐く。

 中学よりはマシだろう、という予想はどうやら外れたらしい。この学校に入れるということは、それなりのおツムのはずなのだが。


「え~と、ごめんなさい。覚えがないんですけど……どこの誰のことです?」


 月の言葉に、黒髪ロングの顔立ちが怒りの色に染まる。


「トボけんじゃないわよっ! 新歓イベントの時、三年の浪川なみかわセンパイに言い寄ってたでしょっ⁉」


大羽おおばくんや桜井くんにも……。アンタ、節操ってもんないわけ?」


(いや、節操ないのどっちよ……)


 つまるところ、「アタシらが狙ってる男に手を出した」という誤解からの逆恨みだろう。

 ちなみに、名が挙がった男子たちを誘惑した記憶はない。新歓イベントの時にちょっと声を掛けられ、Arcstarアクスタのアカウントで相互フォローになったくらいだ。


「誤解です。ちょっと話した後、Arcstarアクスタで繋がっただけです」


「言い寄ってんじゃんっ! アタシら、話もフォロバもしてもらえないのに……!」


「てかそんなことで他人の写真、盗んだんですか? あの写真、私の履歴書からですよね。普通に犯罪ですよ?」


「アンタさ、ちょっと可愛いからって調子乗りすぎ。迷惑してんの、分かる?」


「ですから、話聞いてくださいって! 写真を返してください。そしたら私、もうなにも言いませんから」


 ぴしゃりと言い放つと、二人の顔が醜く歪む。


「もういいわ。ちゃんと謝るなら、許してあげようと思ったけど」


「謝られる理由はあっても、謝る理由はないです。もう一度言います。写真、返してください。これ以上やるなら、警察に届けますよ?」


 黒髪ロングが笑った。

 おもむろにスマートフォンを取り出すと、なにやら操作する。


「……こうなっても、まだ言ってられる?」


 ふと、部屋の外に気配がした。

 かと思うといきなり部屋のドアが開き、何人かの男子たちが入ってくる。

 全員、彩青の制服どころか私服姿だ。


(ヤバッ……! まだいたの⁉)


 部室棟は、敷地の外にある畑に面して建てられている。そこだけはコンクリートの壁ではなく、金網フェンスだけなのだ。

 おそらく畑から敷地に忍び込んだ後、隣の第一準備室にでも隠れていたのだろう。


「いよお、ルナ。久しぶりだな」


 先頭にいる、黒髪をチャラついた髪型にセットした男子が下卑た笑いを浮かべる。

 知った顔だった。よく見れば後ろにいる男子たちも皆、同じ中学の出身である。


「ちょっ、田所くん……⁉ なんで彩青ここにいんの⁉」


「いやあ、そこのセンパイたちにお呼ばれされちゃってよお。こっぴどくフラれた元カノに、挨拶させてもらえるっていうからさ」


 中学の頃、付き合っていた同級生だ。黙っていればそこそこ見れる顔立ちなのだが、いかんせん束縛が多くて一ヶ月もたずに破局した。

 だが田所は、他の高校に進学したはずだ。もちろん、催し以外での部外者立ち入りは禁止になっている。


「ありえないんだけど……っ! ちょっと、どいてよっ! 私、もう帰るからっ!」


「アハハ、バッカじゃないの? 状況分かってる? 今からここで撮影会だよ?」


「は……⁉」


 不意に、腕を掴まれた。田所と一緒に来た男子たちだ。


「もう色々経験してんでしょ? 元カレくんたちにご奉仕してあげなよ」


「バッチリ撮っといてあげるからさ。蒼乃月ちゃんAVデビュー、ってねっ!」


 息を荒くした田所が、身体をまさぐり始める。

 腕を掴む男子たちの力が、にわかに強まった。


「蒼乃とヤれるなんてな……」


「オレ、ずっと好きだったんだよ」


「アハハ、一発じゃ収まんないっしょ? お写真と動画撮ったら場所変えてぇ、全員スッキリするまでぱーりないっ!」


「いやっ、ちょっ……やめてっ!」


「固いこと言うなよぉ。付き合ってた頃、オアズケ食らってんだからさ」


 田所の手が、スカートの中へと入っていく。

 男子たちの空いた手が、胸や太ももに迫る。


「ちょっ、ほんっと最低……ッ! 離してッ!」


 反射的に、膝で田所の股を打った。


「ふんッごっ……⁉ てんめえっ!」


「ちょっと何やってんのお? もうみんなでっちゃいなよ」


 怒りに染まった田所の手が、肩に掛かる。

 押し倒される。

 口惜しさと恐怖で、目をつぶった時。


「あったっ! ここだよっ!」


 部屋の外から、聞き覚えのある声がする。

 瞬間――。

 ものすごい音とともに、部屋のドアが勢いよく吹き飛んだ。

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