それぞれの征路

 一週間後。

 黎一たちは晴れた空の下、カストゥーリア家邸宅の庭を歩いていた。

 ヴァイスラント王宮を囲む邸宅街”一の園アインツ・ガルテン”の中でも、特に格式の高い区画にある大豪邸だ。


「ロベルタさん、あっさり引き受けてくれたな……」


「なんかもうちょっとこう、あるかな~って思ってたんだけどね……」


 黎一の言葉に応じたのは、フィーロの手を繋ぐ蒼乃である。

 今は、カストゥーリア家による調査を依頼した帰り道だった。

 ロベルタに事情を言わずにどう説明したものか、と悩んだ結果。

 ひとまずアイナの弟の名と背格好、年頃だけを伝えてみたところ、あっさりと請け負ってもらえたのだ。


「まあまあ、いいじゃないですか。ロビィも命を救ってもらった手前、無駄な詮索はしたくないんだと思いますよ」


 後ろを歩くマリーが、取りなすように言う。

 いざとなったら親友パワーでゴリ押してもらおうと思っていたのだが、ものの見事に空振った形になる。

 当のアイナも、その横で微笑んだ。


「そなたらのおかげで、ひとまずの人事を尽くせた。この借りは、眷属ファミリアとしての働きを以て返そう」


「いやまあ、それは全然いいんですけ、ど……」


 蒼乃の視線が、アイナの右手に移っていく。

 今日のアイナは荷物が多かった。普段は世之断よのたちの一振りしか持たないのに、鞄や携帯用寝具までをひとまとめにして持っている。


「アイナさん、なんでそんなに荷物多いんです……?」


「うむ。今まで三の園ドライ・ガルテンの小さな宿だったから、増えないように気をつけてたんだが……。なんだかんだで増えるものだな」


「いえ、そうじゃなくて……。お宿、変えるんですか……?」


「ん? なんだ、聞いていないのか」


 アイナはくすりと笑った後、黎一の目をひたと見た。

 思わず目を逸らす。宮殿の屋上で見た、妙に艶のある眼差しだ。


「私も今日から、そなたらの屋敷に住まわせてもらう。すでに家主の許可はとったぞ」


「「……はい?」」


「んうっ⁉ アイナもくるの?」


「ああ、そうだぞ。よろしく頼む」


 なにかが、張りつめた音がした。顔を輝かせているのはフィーロだけだ。

 刹那の沈黙の後、蒼乃とマリーの顔がそうっと距離を取ろうとしていた黎一へと向く。蒼乃は無表情、マリーは光を失った虚ろな目だ。


「……聞いてないんだけど?」


「まあ、今から言おうと思ってたからな」


「……レイイチさん?」


「その、なんだ。レオン殿下もそのほうがいいって……ふごっ⁉」


 弁明を述べ終わる前に、蒼乃の右掌に顔を掴まれる。

 見覚えがあった。光河がよく食らっていたアレだ。


「新規ルール追加。私たちに相談なくなにか決めたら一週間、家事全回しね」


「ついでに個別のお出かけも込みで~」


「それとこれとは話が別ッ! ってちょっとアイナさん⁉ 私まだ許可してませんけど!」


「家主と上官の許可は出てるんだ。しばらく、厄介になる」


 アイナはフィーロの手を引いて、さっさと大通りへと抜けていく。


「だあああ……もうっ! だったらせめて、家事分担してください! こっちはマリーが戦力外なんですから!」


「ひっどい! やる気はあるんですからねっ!」


「やる気だけなのが問題なんだっての……!」


 蒼乃とマリーは言い合いながら、アイナの背を追って走り出す。

 後には、蒼乃のアイアンフィンガーから解放された黎一だけが残された。


(余計、騒がしくなったな)


 ちり、と腰間の愛剣が震える。

 ざまあねえな、とでも言いたげだ。


(うるせえ)


 柄をこつんと叩く。

 ふと、空を見上げた。異界の空は、どこまでも青い。


「……待ってろよ。父さん」


 黎一はそれだけ呟くと、蒼乃たちを追って歩き始めた。



 ◆  ◆  ◆  ◆



 ――大陸南方の半島を支配する海運の国、オーセアヌ王国。

 ラキアの仲間たちが隠れる洞窟は、その南部の海岸線にあった。

 うの体で仲間たちの元に辿りついたのは、火山を脱してから一ヶ月後のことだった。


「……ん? ラキアさん⁉」


 見張りの仲間が、素っ頓狂な声を上げる。

 無理もない。なにせろくに連絡も取らず、戻ってみれば全身ボロボロだ。挙句、手から包んで下げた外套は血塗れときている。


「すまない。今、戻った」


「どうしたんですか、そんななりになって! それに、フウヤは?」


 無言でフウヤを包んだ外套を掲げると、仲間の顔がわずかに強張った。

 すぐに状況を理解したのだろう。


「と、とにかくっ! まず傷の手当してくださいっ! 食事もありますから……」


 *


 *


 *


 ラキアが洞窟で、傷の手当てを受けていると。


「……お帰りなさい、ラキア」


 洞窟の奥から、赤と白の装束に身を包んだ女性が歩み寄ってくる。

 名をスズカ。連絡要員の勇者ブレイヴだ。認識した相手なら、距離を問わず念話できる能力スキルを持っている。


「すまない、心配をかけた」


「フウヤには凍結の処置をしておきました。それと……」


 スズカは、おもむろに手を差し出す。


「ヴェンさんよ。ラキアが戻ったって言ったら、すぐ出せって」


「……ッ」


 表情が険しくなったのが、自分でも分かる。

 仲間をひとり喪い、世之断よのたちの奪還は失敗した。

 合わせる顔がない。

 観念のため息をひとつつくと、スズカの手を取る。


(……ラキアだ)


『よぉ、派手にやられたらしいな』


 いかつい男の声が、脳裏に響いた。

 ズィパーグの玉都ぎょくと天鶴てんかくにいる頭目、ヴェンのものだ。


(すまない。フウヤが……)


『聞いたよ……。ま、仕方ねえさ。あいつだって、なんの覚悟もしてなかったわけじゃあるまい』


(代わりに、アイナと剣の位置は分かった。戦いの中で眷属ファミリアになったから、あの国から動くことはないと思う)


『となりゃ、珠はユイトのほうか。こすいマネをする。しかし、勇者ブレイヴになってまで守るたあねえ。あのお嬢ちゃんも、随分と肚が据わったもんだ』


(あまり笑ってもいられない。何人か手練てだれがいる。特にアイナの主上マスターになった男は、相当な遣い手だ。多分、大陸で一、二を争う)


『色々重なったとはいえ、お前を退けるくらいだからな。……で、オレとどっちが強い?』


(それは、ヴェンだね)


 しばし、笑い合う。

 こういうところは、ずっと変わらない。


『ま、大体分かった。こっちも少し状況が変わったから、一旦戻ってこい。フウヤの弔いもしたいしな』


(……剣を諦めろ、と?)


『そういきり立つなって。反抗勢力の中で、やたら盛り上がってるヤツらがいるんだよ。シホウ島にあるヒイズルの譜代、モロソネの城に立て籠もってる連中だ』


(モロソネ? たしか当主は、決起の日に討ち取ったはずだろう。それがなんで今になって……)


 ふと、モロソネには子が二人いたことを思い出す。ヒイズルの姉弟の守役として、側に使えていたはずだ。

 そのモロソネの城が、意気上がる理由があるとすれば――。


(……ユイトか!)


『多分な。お前の話を聞いてピンときた。未だヒイズルに忠誠を誓う勇者バカどもも、大勢集まってる。お前の力が必要だ』


(分かった……。玄熊げんゆうの準備ができ次第、本国そちらへ戻る)


『ま、そこさえ片付けば、あとは寄せ集めだ。ユイトの身柄を押さえれば、アイナの態度も変わるだろ』


(だと、いいんだけどね)


『おっ、おっ? やっぱアイナとなんかあったのか? どしたん、話なら聞くぜえ?』


(……疲れたから、切るよ)


『なんだよ、ツレねえなあ……。ま、さっさと帰ってこい。お前の恋人も寂しがってる』


(分かったよ。……我ら、一剣いっけんの如く)


『……我ら、一蓮いちれんの如し』


 集団の合言葉を以て、念話が途切れた。

 ラキアはため息ひとつつくと、スズカに向き直る。


「戻ることになった。玄熊、あとどのくらいかかる?」


「あの子、冷たい海は嫌がるから……。出られるのは、春先になるかもね」


「早くてひと月、ってとこか」


 フウヤの血に塗れた、外套を羽織る。

 携帯用の鞄に、食料などを詰め込んだ。


「ラキア……? 一体、なにを……」


「ちょっと修行してくる。玄熊が動ける頃には戻るよ」


「へっ⁉ ちょっと待って、ラキア……!」


「大丈夫だよ、無茶はしない」


「便利な言葉で誤魔化さないでっ! 大丈夫って言う人が一番、大丈夫じゃないのっ! 待って、ラキア……ッ!」


 スズカがまだ何か言ってるが、気に留めずに洞窟から出る。

 今、ラキアの胸の中にいるのはひとりだけだった。


(レイイチ・ヤナギ……ッ! お前を討ち……アイナを解き放つ!)


 仇敵がいるであろう、北の方角を見つめる。冬の空はただ青く澄み、何も応えることはない。

 ラキアは視線を戻すと、北を指して歩き始めた。

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