その御名は
その夜、黎一はフロズフラウ宮殿のバルコニーに佇んでいた。
中央広場で民衆たちに揉みくちゃにされた後、宮殿でノスクォーツの王侯貴族たちに囲まれ続け。ようやく隙を見つけ、脱出しての今である。
国の枢要たる面々を紹介してくれたヴォルフには申し訳ないが、さすがに限界だった。
(やっと楽になってきた……。その場で吐かなかっただけ、まだマシか……)
夜風は冬らしい冷たさだが、人に酔った今は心地が良い。
ちなみに蒼乃やマリーは、未だ宮殿内の会場で持ち前のコミュ力を存分に振るっている。特に蒼乃は、この異世界で初めてドレスを着て大いにご機嫌だった。放っておいても問題ないだろう。
フィーロも黎一たちの連れ子として、会場で料理にがっついている。
(コネ作りは
ノスクォーツ向けの演出は、上手くいったものの――。
そこをレオンが、二体目の
(政治ってのは難しいねえ。取り過ぎたらしっぺ返しがくるのは分かるけど、苦労したのは俺らだし。まあフィロのこと誤魔化せたし、いっか)
事後処理の中でその話が出た時、レオンはのらりくらりと躱したそうだ。ノスクォーツ側も
(あ~、部屋戻りてえ~。さっさと寝てえ~。でも戻り方、分かんねえ~……)
気分の悪さが先行して、ろくに道を確認せず来たのがよくなかった。
今から会場に戻る気はない。かといって下手に道を聞いて、会場に引き戻されるのもいただけない。
辺りを見回しても、上部に上がるのだろう階段があるだけだ。
(どっか別のとこに進める、渡り廊下とか……ん?)
ふと階段の先にいる、見覚えのある顔に気づく。
青みがかった黒髪をポニーテールに纏め、シンプルな青のドレスに身を包んだ女性だ。涼しげな美貌を冬の月明かりが照らす様は、中世の絵画から抜け出てきたかのように美しい。
(アイナ、さん? なんでこんなところに……)
アイナは元々、各国の要人とのコネを欲しがっている節があった。
ヴァイスラントでも冒険者ギルドの依頼は言うに及ばず、近衛騎士団の訓練に招聘されても嫌な顔ひとつせず応じている。
宴の時も、こうして席を外すことはあまりない。
(ちょうどいい。アイナさんに道を聞けば……)
考えながら階段を昇ると、アイナも気づいて微笑んだ。
距離があるにもかかわらず、肌がぞくりと粟立った。火山での一件から、笑顔に妙な
「宴の主役が席を外すとは、感心しないな」
「それ言ったら、アイナさんもでしょ……。てか珍しいっすね。こういう時に一人でいるなんて」
「そう、だな」
アイナはくすりと笑うと、ふたたびバルコニーの外に目を向けた。
本来は極寒の氷雪に閉ざされているはずの大都の街並みは、今や火の
「……これから、どうしようかと思ってな」
アイナが、ぽつりと言った。
その顔に、先ほどまでの微笑みはない。
「これから、って……。なんかあるんすか」
「
「……やめてください」
アイナの言葉を制して、眼差しを向ける。
「力になるって言ったじゃないですか。俺、まだなにも聞いてません」
「気持ちは嬉しい。だがそなた達には、今の立場がある。これ以上、巻き込むわけには……」
「なんなら、無理やりにでも聞きだします」
右手の
と、その時。階下に気配が生まれた。
「……その話、私たちも興味あるんですけど」
階段の下を見れば、めかしこんだ蒼乃とマリーの姿がある。
蒼乃は急場で用意したのか、シンプルな黒のドレスだ。黒髪をポニーテールに纏めているせいか、雰囲気がいつもと違って見える。
隣のマリーは、白基調のフリルドレスだった。バレッタで留めたボブカットが、やたら似合う。
「お前ら、なんでここに……」
「
「……って思って、わたしもついてきたんですけど。逢引きとはさすがですねぇ~?」
「いやだから、これは……」
「ま、そこの言い訳は、あとでとっくり聞かせてもらうとして……」
蒼乃は言葉を切ると、無言のアイナに視線を移す。
「アイナさん、教えてください。あいつら一体、何なんです?」
「……ッ」
なおも無言を貫くアイナを前に、蒼乃は髪留めを外した。
黒髪のミディアムロングが、冬の風にたなびく。
「私たちだって巻き込まれたんです。死にかけたんです。聞く権利、ありますよね?」
「口外はしないと誓います。ですから……」
蒼乃に続いて、マリーも促すようにアイナを見つめた。
アイナはしばし俯いていたが、やがて意を決したように顔を上げる。
「そうだな、どこから話したものか。……まず、私の名から教えよう」
「名前……?」
「ああ、ヤナギ殿はもう知っているだろう。私の本当の名は……アイナ・ヒイズル・ズィパーグ」
その言葉に、マリーが目を見開いた。
「ヒイズル……。ズィパーグ王国の、
「さすが、詳しいな」
アイナは、諦めたように笑う。
だが同時に、どこか突き抜けたような笑みでもあった。
「そう。私は、旧ズィパーグ王室の……第一王女だ」
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