凱旋
翌日の正午。晴れ渡った空の下に、ヴァイスラントとノスクォーツの国旗が翻っていた。遠くからは、民衆の楽しげな声が聞こえてくる。
大都フロズフラウ。大陸北端に位置する、ノスクォーツ王国の首都だ。
そんな喧騒に湧く、都の端で――。
(なんで……)
ボロボロになった装備の代わりに礼服を着た黎一は、虚ろな表情で宙を見ていた。
噴火の直後に気を失い。今朝がた目覚めた矢先に、レオンから「ちょっとした催しがあるから、参加してほしい」と告げられ。言われるままに
後から聞かされたが、催しの中身はいわゆる凱旋パレード、らしい。
(なんで俺が、こんな目に……)
「すっごい賑わってるね~。
「そりゃあもう、大陸北部で最大の街ですもん。人口もうちの王都に次ぐ多さですから。パレードが始まったら、もっと増えると思いますよ」
前列では他の冒険者たちに混じって、蒼乃とマリーがしゃべり倒している。黎一の内心を支配する虚無などお構いなしだ。
二人ともやはり冒険者用の装備ではなく、黎一と同じ軍服に近い礼服姿である。
(……え、歩くの? このど真ん中を?)
押し寄せる事実に、思考が固まる。
今いるのは大都フロズフラウの南端にある、凱旋門の下だった。
この凱旋門から式典会場の中央広場まで練り歩く、というのが本日のミッションだ。認めたくはないが。
(人、まだ、増えるの?)
実際、目の前に見える南大通りの喧騒は、どんどん増している。
すでに都に入るルートは東西の門に制限され、南大通りはパレードのためにに封鎖されているらしい。首都の住人すべてが押しかけたとしても、なんの不思議もない。
(え、やだ。かえる。ねる。いますぐかえって、ねる……)
虚ろに蝕まれた思考に、身を委ねかけた時。
「……レイイチ殿」
不意に、背後から肩を叩れる。
見れば揃いの礼服を着たアイナが、微笑みを浮かべていた。ちなみに今も、黎一の安全距離を悠々と踏み越えてきている。
「もう少し、しゃんとしろ。主人がそんなことでは、私も肩身が狭い」
「え、いや、主人って……」
そのやりとりに、無駄話に興じていた蒼乃とマリーが振り返った。
二人とも、首のあたりから軋む音が聞こえてきそうな挙動である。
「アイナさ~ん? 昨日から妙に
「
慌てて目を逸らす。
二人の笑顔は殺気とも怨念ともつかぬ、負の色を纏っていた。
あの感情の色は知らない。知りたいとも思わない。
背後から、アイナが笑う声がした。くすりと笑う、いつもの笑みだ。
「先達二人の意見は、後ほど改めて拝聴するとしよう。……さて、始まるようだぞ」
アイナの言葉と同時に、目の前の鉄格子が上がっていく。
『我らが英雄たち! 竜殺しの英雄たちの……凱旋である!』
どこからともなく響いた聞き覚えのある声とともに、裏に控えていた音楽隊が盛大な音楽を奏で始めた。鉄格子が上がりきったら、パレード開始だ。
その時、誰かに背中を押された。
「さ、行けよヤナギ!」
「はっ……? えっ、いや……」
「お前が先頭じゃなかったらしまんねえだろ!」
周りの冒険者たちが、こぞって黎一の背を押し始める。
「えッ、俺は、その……」
「ほらほら、行った行った!」
「みんな、お前を見たがってるんだぜ!」
圧し出されるように、最前列へとたどり着く。
鉄格子が、上がりきる。
『オオオオオオオオッ!!』
大通りの脇は、詰めかけた民衆たちで溢れ返っていた。
投げ込まれる花束と、打ち上げられる魔法の花火が、まっすぐ伸びる道を彩る。
(どうしよ、どうしよ……。とりあえず、進まないと……)
「ほら、行きなさい。後がつかえるでしょ」
蒼乃に背中を押されて、とぼとぼと歩き出す。
きっと今の姿は、凱旋する英雄には程遠いものだろう。
『竜殺しだっ!』
『さすが男前……ってそれほどでもねえな……?』
『あれが? まだ子供じゃない?』
『てか、
『英雄って感じじゃないね……』
『後ろの人たちのほうが堂々としてるの、何なん……?』
民衆たちから漏れ聞こえる声を、聞こえないフリをして歩き続ける。
(なにも、かんがえない。なにも。なにも……)
感情を殺してしばし歩くと、中央広場が見えてくる。円形の庭園は、普段は花畑に囲まれた噴水が設えられているのだろう。今は、特設されたひな壇で半ばまでが埋まっている。
壇に上がると、例によって中央最前列へと圧し出された。なんとか隠れようともがいていると。
『国王の、御成りであるっ!』
聞き慣れた声の司会に、民衆がひと際湧き立った。
見れば司会をしているのは、袖口に立つモルホーンだ。意外としっかりとした声が出るらしい。
気を紛らわすために袖口を見て入ると、正装したヴォルフとレオンが並んで出てくる。二人は中央まで進み来ると、黎一たちの前に立った。
『……かつて、戦争があった』
一歩前に出たヴォルフの、朗々たる声が響く。
『
誰も声を発する者はない。
ヴォルフに注がれる視線を見れば、国民ひとりひとりが戦時の自覚を持っていたのだろうことは、なんとなく分かる。
『だがその戦も……昨日で終わった! 彼ら竜殺しの英雄の勇気が! 散っていった者たちの魂がっ! 凍りついた我らの国土に、炎を灯してくれたからだっ!』
ヴォルフが左手で、黎一たちを示した。
同時に、割れんばかりの歓声が巻き起こる。
『今、我らの国土は、竜の屍を呑み込み猛った火の
(えっ、そんなになってたの……?)
ふたたび民衆が湧く中、黎一はヴォルフの言を訝しんだ。
だが言われてみれば、暖かい。大陸北端にもかかわらず、ヴァイスラント国境にあったリドリー要塞よりもよほどマシだった。
そんな中、今度はレオンが一歩進み出て、ヴォルフの隣へと立った。
『ヴァイスラント王国宰相、レオン・ウル・ヴァイスラントです。ノスクォーツの新たな歴史の始まり……。その日に立ち会えることを、光栄に思います』
一転して、民衆たちが鎮まる。
無理もない。先に聞いた話が本当なら、レオンの名は先王殺しとして知れ渡っているはずだ。
『先の
民衆たちのどよめきが、さざ波のように広がっていく。雰囲気からして半信半疑、といった体に見えた。
そこへ、ヴォルフがふたたび進み出る。
『レオン宰相……
どよめきが、少しずつ歓声や拍手に変わっていく。
中には、むせび泣く者まであった。
『過去を忘れろとは言わないっ! だがどうか私とともに、遺恨を薪とし火にくべて……。新たな道を、切り拓いていこうではないかっ!』
刹那の間を置いて――。
今までで最大の歓声が、天を衝いた。
『ノスクォーツ、万歳!!』
『ヴァイスラント、万歳!!』
『竜殺しの英雄、万歳っ!!』
『さあ、酒を持てっ! 贅を尽くせっ! 新たな春の訪れを、共に祝おうではないかっ!』
(え、それ……。ここでもみくちゃにされるやつ……)
ヴォルフの一声に、黎一は気づかれぬようにため息をついた。
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