氷水の陣

 二時間後――。

 竜の影が見下ろす灼けた山裾には、幾多の旌旗せいきがはためいていた。その下には、毛皮と革の防具で身を固めた冒険者たちが集っている。

 中でもノスクォーツの冒険者たちは雫の形に似た陣形を維持しており、旗を取り巻く何名かが交代で魔法を遣っていた。


(あの旗と陣形で、弱い言葉の冷却魔法を増幅して地熱を下げてるのか。なるほど、俺の能力スキルと相性がいいわ)


 黎一は水巧結界デフト・ウォーターを維持しながら、ノスクォーツの技巧に舌を巻いた。おそらく旗すべてが、魔法増幅の効果を持った魔法の道具マジック・アイテムなのだろう。普段は陣形を組んでの、攻撃魔法の斉射に利用しているに違いない。

 そうこうするうちに、黎一の肩に留った青い鳥が羽ばたいた。


『こちら統合指揮、レオンだ。ヴァイスラント側の集合状況はどうかね』


 鷹揚な声が、青い鳥から聞こえる。

 今回の作戦は、切札としてフィーロと小里の能力スキルを遣う。黎一の視界を通して小里が照準を指示し、フィーロの純然魔力ピュア・マナをぶち当てる算段だ。

 マリーは別働で不在、無音の高峰に通信手オペレーターを任せるわけにもいかない。そんなわけで、こうして大将自ら代役を担っているのだった。


「今しがた終わったところっすよ。さすがにノスクォーツのほうが集合早いっすけど」


『やれやれ、急いだつもりなのだがね』


 ノスクォーツが集合を終えたのは、打合せからわずか一時間後のことだった。国王は元より、爵位を持った軍人も一律、冒険者として登録していると聞く。限りなく民間寄りなヴァイスラント冒険者ギルドとの差は、こういうところに出るのだろう。

 すると青い鳥が、再度羽ばたいた。


『れーいち~、おみやげまだ?』


『こら勝手に喋るんじゃないの! ちょっと八薙くんっ⁉ この子、全っ然言うこと聞かないんだけどっ!』


 幼い少女の声は、切札としてベースキャンプに配置したフィーロだ。

 なおも騒がしくする青い鳥を見かねた蒼乃が、その身体に触れた。


「フィロ~? いい子にしてお手伝いしないと、おみやげなしだよ?」


『んんぅ~。はぁい』


「お手伝い終わったら、おいしいご飯いっぱい食べられるからね」


(思いつきで言ったはいいものの、大丈夫かねぇ……。)


 フィロの声がようやくおとなしくなった時、ヴォルフが前に立った。紋様が描かれた全身鎧フル・プレートに毛皮の外套マント、手には狼を象った斧槍ハルバードと完全武装だ。

 ヴァイスラント側から、準備完了の連絡が入ったのだろう。


「草原の勇者たち……そして、凍れる地の猛者たちよッ! ふたつの旗の元に、よくぞ集ったッ!!」


 ヴォルフの声にヴァイスラントとノスクォーツ、ふたつの旗が交差して掲げられる。

 その下に集う冒険者たちから、歓声が上がった。


「かの竜を討たねば、その炎が我らが故郷を蹂躙することとなろう……。今こそ我ら意志を束ねて剣となし、友と家族と、国土の安寧を死守する時ぞッ!!」


『オオオオオオオオオッ!!』


 魔法が生み出した冷気が漂う中を、人が生む熱気が渦を巻く。

 ヴァイスラントは精鋭十二人で構成された編隊パーティが二十。ノスクォーツも同様のはずなので、総勢五百に近い大部隊だ。

 正直、得意なノリではないが、今回は相手が相手である。士気は高いに越したことはない。


「魔法士隊! 構えいっ!」


 ヴォルフの号令に、旗を取り巻く長衣ローブを着込んだ者たちが一斉に前に出る。いずれも、ノスクォーツの者たちだ。


「放てえッ!」


「「「暗き雲に在りし雪の精、降り来たりて道となれっ! 雪精冷咲スノウ・フロストッ!!」」」


 詠唱が、さながら合唱のごとく響き合う。

 水と風の魔力マナに導かれ、目の前に広がる山裾に雪が降った。未だ焼け焦げた山肌を、真っ白な新雪がみるみるうちに埋め尽くしていく。

 その様を見た冒険者たちが、一斉にどよめいた。


「火の魔力マナに負けていない! いけるぞっ!」


勇者ブレイヴ様様だぜ!」


「しかしいくら増幅してるからって……」


「こんな能力スキル、いくつも持ってるのってのか……?」


 歓声の中にちらほら混じる不穏な声を、敢えて聞かないふりをする。

 万霊祠堂ミュゼアムのことは、すでに噂になっているらしい。

 人は未知に遭遇した時、必ずと言っていいほど恐怖を抱く。今までも、これからも、嫌というほど見ていく光景だ。


「道は創られたッ! 征けえぃ、勇者たちよッ!!」


『オオオオオオオオッ!!』


 ヴォルフの号令に、鬨の声を上げた冒険者たちが一斉に進み始める。

 先頭を進むのはヴァイスラントの部隊。その後方を、ノスクォーツの部隊が旗を中心とした陣形を維持しながら続く。

 蒼乃、アイナとともに最前線を進んでいると、山頂に見える影が動いた。炎精獄竜ヘルカイトが首を巡らせ、表情を変える。


(あんにゃろう……。わらいやがった)


 口の端をゆがめた竜の顔を、負けじと睨みつけた瞬間――。


『グオォォオォオオォン……』


 竜の咆哮に、昏き天が震えた。黒焦げた山肌に、いくつもの火が生まれる。それはみるみるうちに、魔物の形を取る。

 獄烙鳥ヘルズ・バード火精蜥蜴サラマンダー炎熱巨人メルト・ゴーレム――。いずれも炎属性で上位の魔物たちばかりだ。


「……来るぞッ!!」


 赤き魔物の群れが、またたく間に眼前に迫る。

 愛剣に水の魔力マナを纏わせ、打ち出そうとした瞬間。


勇紋権能サインズ・ドライヴ! 水流噴出ハイドロ・ガッシュッ!」


 左手から迸った水流が、先頭を飛び来た獄烙鳥ヘルズ・バードたちを片っ端から薙ぎ散らす。水流に直撃された炎の鳥たちの身体が、焼けただれた石のようになって崩れ落ちた。

 誰が放ったのかは、考えるまでもない――。目を向ければ、果たして水色の髪の女性が、鬼気迫る表情で左手を突き出していた。


(フィリパさん……。あの人が主上マスターだったのか)


 一対ペアにおける主上マスターが死んだ場合、眷属ファミリア能力スキルを含めた勇者紋サインの力を失う。

 だが眷属ファミリアが先に死んだ場合の主上マスターは、少し能力が落ちるだけで済む。

 フィリパは表情そのままに、さらに短杖ワンドを両手で構えた。


「水に宿りし巨鯨の魂、そのあぎとで我が敵を喰らえっ! 波濤獣顎ウェイブ・ファングッ!」


 フィリパの声とともに、中空に巨大な水の鯨が現れる。それは中空を泳いで魔物たちに迫ったかと思うと、火の魔物たちを次々と屠っていく。能力が落ちたとは思えないほどの、魔法の冴えだ。

 おかげで前線は、抜けてきた少数の魔物を相手に優勢を保っている。だが当のフィリパは、すでに肩で息をしていた。


「フィリパ、温存しろッ! まだ魔物は来るぞッ!」


「……黙っててちょうだい」


 主君たるヴォルフの言に、フィリパが暗い声で応じる。


「なに?」


「宮仕えも、これで最後よ。あの竜と、あの男を殺すまでは……」


 フィリパが、さらに前へと出る。

 数体の魔物が、四方から襲いかかった。


「……死んでも、死にきれないのよッ!!」


 ふたたび放たれた水流が、魔物たちの命の火を狩りとった。

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