真紅なる獄竜
吹雪のようなラキアの殺気が、溶岩洞の熱気を斬り裂く。
黎一は剣に風の
互いに剣を構え、じりじりと間を詰める。まだ
(今のアイナさんに前衛はできねえ。俺が立つしかねえ……!)
残像が、動く。先駆けて動くために、力を込めた。
瞬間――。
『ナツ、カシイ』
――溶岩洞に、声が響いた。
場の動きが止まる。魔物たちすら、怯えた動きでクマ野郎の近くに戻っていく。
「ええいっ! 今度はなんだっ!」
すでに魔物の一体を屠ったヴォルフが、苛立った声で辺りを見回した。
だが黒い台座の上にも、溶岩洞の中空にも、それらしき姿はない。
『カン、ジル。ナツカ、シイ、チカラ』
「なんだ……なにを言っているっ!」
ヴォルフは喚きながらも移動し、ちゃっかり自身の衛士たちと合流している。レオンも魔物たちと距離を取り、黎一たちのもとへと退ってきた。
「キミは本当に、こうした事象に縁があるな」
「……わざとやってるわけじゃないっすよ」
軽口を叩いたところで、不意に台座が揺れ始めた。見ればマグマを噴き出す溶岩洞の壁もまた、かすかに振動している。
その時、黎一の肩で沈黙を守っていた青い鳥が大げさに羽ばたく。
『こ、こちら通信管制室、コザトッ! 周囲の火の
台座全体に響いた声に、場にいる全員の表情が変わる。
「……
最初に動いたのはクマ野郎だった。
左手をかざすなり、背に負った大きな鞄の中に手を突っ込む。中から出てきたのは、大きな羽をもった魔鳥の身体だ。明らかに鞄に入る大きさではないが、瞳に生気がない。
(こいつも
クマ野郎はさらに、鞄からいくつかの部位を取り出した。それらを、手早く魔鳥の死骸にくっつける。すると、魔鳥の瞳に光が灯った。
「ラキアさんッ!」
「チッ、仕方ないか……」
はやくも元気に羽ばたき始めた魔鳥の背中に、ラキアとクマ野郎が飛び乗る。
生き残っていた魔物たちは、いつの間にやら消えていた。どうやらクマ野郎の
「おい貴様ら、さっさと逃げるぞッ! このままでは退路を断たれる!」
飛び去る魔鳥には目もくれず、ヴォルフたちが駆け寄ってくる。
見れば先ほどまでブロックが動いていた溶岩洞の中空は、方々から噴き出た火炎や溶岩で満たされている。
「いやもうとっくに断たれてません⁉」
「つべこべ言わずに走るぞ! 可能性があるならそれに賭ける!」
(お~お~、ご立派だねえ! さて、そろそろ仕込んでおいた隠し玉が……)
「レイイチさんっ!」
「……マリー⁉」
期待通りのアニメ声に、レオンが顔をしかめる。
見れば黎一たちが元来た方角から、マリーがいそいそと駆けてくるところだった。火が噴き上がる中を抜けてきたせいか、桃色のガウンがところどころ焦げている。
「良かった~、間に合いましたぁ! あとちょっとでブロックの仕掛け、使えなくなるところでしたぁ」
「ギリギリよっ!
「それがブロックの仕掛け分かってたから、ぶっちぎってきちゃって……あ、来ましたね」
マリーの声とともに、黎一の足元に金色の糸玉が転がってくる。
――
「よし、これで全員脱出できるな。集まって……!」
「それだとまずいですって! 今から
「ああ、そっか……。
「はいっ。ですから……これですっ!」
じゃん、とばかりにマリーが鞄から取り出したのは、額に入った一枚の水彩画だった。遠くに青空と白い尾根を望む雪のキャンプ地が、色彩豊かに描かれている。どこかで見た景色だ。
「これ、ひょっとして私たちがいたキャンプ地?」
「
「ぬうっ……! ええい、ままよっ!」
ヴォルフが毒づきながら絵に触れた途端、絵に吸い込まれるようにしてかき消える。レオン、蒼乃、アイナ、モルホーンと続く中、ひとり躊躇している者がいた。
「お願い、誰か手を貸して。彼も、彼も連れていきたいの……」
フィリパが涙を流しながら、ケリスの亡骸に目を向ける。しかしマリーは、悲しげな顔で頭を振った。
「絵の力を発動するのには、明確な意思が必要なんです。残念ですが、すでに意思がなくなった方は……」
「そんなっ……ウソよっ! ウソ……こんなの……」
『こちら通信管制室ッ! もう時間がありませんッ! 早く脱出をッ!』
泣きじゃくるフィリパに、黎一はギリギリのところまで近づいた。
身内以外の女性を前にすると、相も変わらず肌が粟立つ。それでも、今は言わないといけない。
「行ってください。早く」
「イヤ、イヤよっ! イヤ……」
「あんたを護って死んだんだッ! それを無駄にする気かッ⁉」
フィリパはびくりと肩を震わせ、黎一を見た。目を背けたい気持ちを、必死でこらえる。
わずかな間を置いて、フィリパは絵に触れた。その姿が、すっと消える。
「最近、たまにカッコイイですよねぇ」
「……さっきも似たようなこと言われたよ」
黎一は悪戯っぽく微笑むマリーの顔から、敢えて目を逸らした。
* * * *
絵画に触れると、そこはすでにベースキャンプだった。空はすでに、
すぐ側にはへたり込んだフィリパと、それを介抱するモルホーン。少し離れた位置ではレオンとヴォルフが、夕闇に沈む山並みを睨んでいた。
そんな中、蒼乃とアイナがゆっくり歩いてくる。
「すまない……。迷惑をかけた」
「いいっすよ、別に。力になるって言ったじゃないですか」
側に来るなり頭を下げるアイナに、さらりと応じる。
励ましたつもりはない。実際、交わした約束を果たしただけだ。
すると今度は、蒼乃が深刻な表情を向けてきた。
「レオン殿下が呼んでる」
頷いて、歩きだす。
山の様子が徐々に見えてきた。すでに山頂付近は溶岩の色に染まり、どす黒い噴煙が上がっている。空をちらつく赤い燐光は、火山から溢れる火の
キャンプ地の裾に着いた黎一を、レオンは一瞬だけ険しい目で見た。その後、ふたたび山頂に目を向ける。
「……キミは、
視線の先、焼けただれた火口の際になにかが見える。
――指だった。爬虫類と獣を混在させたような、かぎ爪がついた赤い指だ。
それは、火口から徐々に這い上がってくる。角と牙が連なる頭部。真紅を宿した逞しい胴。雄々しき両翼。背角が連なる長い尾。
「知りませんよ。けど……いや、だから」
愛剣が震えた。柄を握り締めて、言葉を紡ぐ。
「知りに行かないと、いけないんです」
やがてそれは火口を脱し、燃え立つ山頂に姿を現した。
大きさは遠目に見ても、ちょっとした城や砦ほどはある。数多の神話において、『竜』と呼ばれる存在だ。
『こちらコザト……。火口の魔物の……照合が、取れました』
青い鳥から小里の声が聞こえた。わずかに、震えている。
『
胸が高鳴る。思わず一歩、前に出た。
隣に蒼乃の気配がした。同じことを、想っているのかもしれない。
赤く濁った竜眼と、目が合う。首を向けただけではない。そんな気がした。
(やっと、会えたな)
黎一の心の声に、応えるように――。
紅蓮の巨竜は、夜天を焦がす咆哮をあげた。
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